小京都の傍観者

西藤りょう

第1話【真夜中の傍観者】1


 ――真夜中の傍観者。

 それは今から約二年前、とあるタウン誌に掲載された写真集の名前である。

 

 別に特集が組まれていたわけではない。

 ただ、ページの片隅にひっそりと掲載されただけの作品で、真夜中に撮影されたその写真には人は映っておらず、どこにでもあるような夜中の街並みを切り取ったような……そんな写真を集めたものだった。

 

 点滅する街灯が弱々しく照らす商店街。

 普段なら通勤や通学で賑わうはずの駅前。

 電気が消え、人けを感じさせない住宅地。

  

 斬新、非凡、特別。

 シンプルに心を動かす要素はなかったが、どこか悲しみや寂しさといった負の感情を心に生み出してしまうような……そんな不思議な作品だった。


 しかし、そんな隠れた名作とも言える作品を撮影した人物は”真夜中の傍観者”を最後に表舞台から姿を消してしまう。


 どこで何をしているのか。

 既にカメラを手放してしまったのか。


 それは誰にも分からない。


 ――撮影者、白河綾音しらかわあやね

 唯一分かっているのは学生時代に天才と呼ばれ、いくつかの賞を獲得していたことと、その名前だけだった。




 栃木県、茂木乃市もてぎのし

 その場所は小京都と呼ばれていて、歴史を感じさせる神社やお寺が数多くあり、情緒ある街並みと、そんな街を横断するように流れている巴川ともえがわが特徴的な街である。


 都心から電車で一時間半という、田舎にしては恵まれた土地にあり、観光客こそ多くはないが落ち着いた雰囲気がある場所だ。

 

 そして、そんな小京都……巴川を挟んだ道から一本入ったところにある商店街の一角に、ひっそりと佇む写真館が一つ。


 "橋本写真館はしもとしゃしんかん"。


 その写真館は昔から地元の人に愛されており、お祝い事があった時などに記念撮影をする場所として知られていた。


 子供が産まれた時、学校に入学した時、成人した時。

 生きていれば訪れる思い出の瞬間を切り取り、記憶だけでなく記録としても保存する。

 それが橋本写真館の存在意義だった。


 そして今――そんな橋本写真館で二つの影が、一つの小さな影の気を引こうと忙しなく動いていた。


「こっち~、こっち見て~」


 手に持った犬のぬいぐるみと、透明なプラスチックの容器。

 プラスチックの中に入っているカラフルなビーズは、腕を左右に振る度にシャカシャカという小気味の良い音を奏でては、グズる赤ちゃんの視線を集め、犬のぬいぐるみは、その赤ちゃんの笑顔を引き出そうと、踊るように体をクネクネと揺らしていた。


「はーい、笑って~笑って~」


 "木崎健斗きざきけんと"は慣れない手付きでぬいぐるみを動かしながら、ゆっくりと後ろに下がる。


 そして、背中に構えられていたカメラが赤ちゃんの笑顔を捉えた瞬間――パシャリという音がその場に響いて、フラッシュの光で部屋が一瞬真っ白に染まると、カメラを持っていた女性が口を開いた。


「んー、惜しい! まだちょっとご機嫌斜めな感じかな! もう一回!」


「……はい!」


 写真の出来に満足していない様子の女性は、人差し指を立てながらそう言う。

 それは何度も繰り返してきたこのやり取り。

 この人のこだわりの強さは健斗が一番知っていた。


(今日はあとどれくらいで終わるかな……)


 そんなことを考えながら、健斗は特に嫌な顔を浮かべることなく、次々と出してくる指示に従った。



 結局撮影が終わったのは、それから三十分ほどが経過したあとのことだった。

 ドレスに始まり、着物や国民的キャラクターの衣装等々……様々な格好に飾られた赤ちゃんを撮影し、その都度、至高の一枚にこだわりを見せていた女性は、満足そうに親御さんと写真を確認すると、会計を済ませて店先まで送り届ける。


「やっと終わった……」


 健斗は誰もいないスタジオで一人そう呟くと、撮影で使った機材を片付け始めた。


 今年の春に橋本写真館に就職して半年。

 想像していた環境とはだいぶ違う点に関しては少々――いや、だいぶガッカリしていたが、それでも仕事を辞めないのには理由があった。


「健斗く~ん! お腹空いた~」


 真剣な表情を浮かべ、カメラを持っていた女性、"白河綾音"はクルリと癖のある茶髪をガシガシと手で搔きながら、力の抜けたような目をしてそう言う。


 先ほどまでいた格好良い女性はどこか遠い場所へと逃亡を図ってしまったようだ。


「たまには自分で用意して下さいよ」


「えー、私が料理なんてできると思ってるの?」


「……コンビニとかあるでしょ」


「お金がない!」


 綾音はそう言い切ると、スタジオにセットとして置いてあったソファーに腰を下ろして足を組む。


「そんな自信満々に言わないで下さい。そもそもの話、綾音さんはサービスしすぎなんですよ」


「そうかな?」


「そうですよ。今日だってドレスだけって話だったのに、キャラクター衣装やら着物やらを引っ張り出してきて……」


「いいじゃん。ここは小京都って言われてる場所だよ? 着物を着なくてどうするの?」


 綾音は首を傾げると、さも当然のことのようにそう言った。


 綾音は社長という立場でありながら、商売というものを知らない人だった。

 真っ先に一番安いプランをお客さんにオススメしては、サービスと言って最高のプランを提供する。

 そんなことをしていれば、収入が減るのは当然のことだと言えるだろう。

 

「そんなことよりご飯、ご飯! もうお腹ペコペコだよ」


「何度も言わなくてもいいです。どうせ用意してないと思って、予め作っておきましたから」


「なんだ、やっぱり準備してくれたんだねぇ~」


「綾音さんの性格は知ってますからね。今日はおにぎりとみそ汁です。いつもの場所に置いてあるんで勝手に食べて下さい」


「おにぎりだけじゃなくてみそ汁付き! いつもご苦労!」


 ソファーからバっと立ち上がると、いつも食事を置いているスタッフオンリーの部屋へとご機嫌に歩いていく綾音。

 健斗はそんな彼女の背中を見送ると、

 

(俺がもしこの仕事を辞めたら、綾音さんは生きていけるのだろうか……)

 

 そんなことを考える。

 そして、フーとため息をつくと、ポケットからスマホを取り出して、とある写真に目を向けた。


 それは専門学校を卒業し、橋本写真館に就職して間もない頃に綾音と”一つのお願い”と引き換えにして貰った"真夜中の傍観者"の画像だった。


 かつて天才と呼ばれ、忽然こつぜんと姿を消した白河綾音の最後の作品である真夜中の傍観者。


 様々な視点から夜中の景色を捉えたその写真たちは、一見するとただの風景写真なのだが、何度見ても悲しみや寂しさを強烈に感じるのは、この作品にそれだけの力があるからなのだろう。


(これを撮ったのが綾音さんだなんて、未だに信じられないけど……でも、この写真が俺の人生を変えたのは事実なんだよなぁ……)


 健斗は真夜中の傍観者によって否が応でも植え付けられる負の感情を噛みしめると、午後からの予定を聞くために今頃ウキウキでおにぎりを食べているであろう綾音の元へと向かうのだった。

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