「ババァじゃと……!?」婚約破棄された鬼姫は鬼の王になるため人間退治に行ってきます!

雨葉

「ババァじゃと……!?」婚約破棄された鬼姫は鬼の王になるため人間退治に行ってきます!

 今は昔、播磨の国にぬばたまの髪をもつ美しい鬼の姫がいました。彼女は鬼の国を統べる頭領の娘であり、親の決めた許嫁がいたのですが……。


「婚約破棄、じゃと……!?」


 えんじゅは年若い婚約者が何を言っているのかわからず目を見開いた。

日課の鍛錬をしているところに押しかけてきて突然、「お前との婚約を破棄する」である。脈絡も何もない。

 槐が呆れて二の句が継げないでいると焦れた婚約者は話を続けた。


「俺は彼女、ももと結婚する! 自分より七十も年上のババァと結婚なんてできるか!!」


 槐は般若をどうにか笑顔の下に押しこめた。確かに槐は今年でちょうど百二十になるが、鬼は百でようやく一人前の成人である。百二十では確かに少々行き遅れ……いや、まだまだぴっちぴちのはず。

 年齢の話は置いておくとして。槐はそこで初めて婚約者が見知らぬ若い女鬼を連れていることに気が付いた。最近噂になっている、男連中をたぶらかしている余所者の鬼にちがいない。

 桃は槐の視線に気が付くと勝ち誇ったような視線を返した。


「……はぁ。わかったわかった」


 小娘の態度は鼻につくし、婚約者の言いぐさには教育的制裁を加えてやりたくなるが、槐とてこの結婚に乗り気だったわけではない。

 ならば父に報告しようと話を終わらせたところで、ちょうど良く小間使いの鬼が「姫様、御方様が部屋でお待ちです」と呼びにきた。



「お前には隣国の危機を救ってもらう」


 どうして鬼の男どもは話を省略するのか。父は槐が部屋に入る間もなく、床の間に飾られた刀を手渡した。先ほどの騒動はすでに聞き及んでいそうだ。

 ということは、つまり。

 槐は内心溜息をついた。


「お前は権力など興味がないだろうが、こうなった以上はお前に頭領を継いでもらう」

「はい。しかし、何の実績もない小娘が血筋だけで次の頭につくのは実力主義の古い鬼たちが許さない。だから手柄を立てよということですね」

「そうだ」


 父は有無を言わせぬ形相で地図を広げた。


***


 隣国、摂津の国の惨状は以前から耳にしていた。民に重税を課し、暴虐の限りをつくす人間の皇子が治めており、民が怒りに立ち上がらんとしているのを強大な権力で押さえつけていた。

 噂では元々家柄と財力を笠に着た傲慢な男だったが、女に袖にされてからよりひどくなったのだとか。蓬萊の玉の枝とかいう宝を持って来いと言われ、偽物を作らせたのが女にばれて恥をかいたと聞いたが、最初からお断りされているのに気が付かないのだから、さぞや残念な人間なのだろう。


「とはいえ、一人ではさすがに心もとない」


 まずは協力者探しだ。目的地をどことも決めず、大きな街道からはずれた川沿いを歩いていた、その時。


「おい、ねーちゃん。一人でどこにいくんだい?」

「ずいぶん上等なもんぶらさげてるじゃねぇか」

「へへ、その腰の刀と着物をおいてきな。そうすりゃ手荒な真似はしねぇ」


 絵にかいたような荒くれものが槐の行く手を塞いだ。犬のように息の荒い男と猿のような顔面の男が槐ににじりより、雉のように高い声の男が背後に回って逃げ道を防ぐ。人々は遠巻きに見て関わり合いになりたくないのか足早に立ち去って行った。

 ええい、面倒だ。切り捨ててしまおうか。


「何をしている」


 しかし研ぎ澄まされた刀のように静かな声が槐の抜刀を遮った。と同時に鈍い音がして、一瞬のうちに男たちが崩れ落ちる。槐が唖然としていると背中に打って変わって優しい声がかかった。


「お怪我はありませんか」

「え、あ、ああ」


 慈愛に満ちた音に槐の心が揺れる。いや、それよりも今まで人間に背後を取られたことがあっただろうか。相当な手練れだと予想して振り返るとそこにいたのは身長こそ槐よりも高いもののすらりとした手足の柔和な優男だった。薄茶色の瞳が心配そうにこちらの顔色を窺っている。

 まずい、かっこいい。


「ああ、ええと。すまぬ。助かった。私は槐じゃ」

「無事でなによりでした。私は亀樂きらく、旅をしています。あなたもおひとりですか? お強い方とお見受けしますが、貴方のような美しい女性が供もつけずにとは……危険だ」


 亀樂、きらく、と舌に乗せ、忘れないように胸に刻む。鬼の国では同年代で敵なしだったこともあり、心配され慣れていなかった槐は四十そこらの童のように赤面した。

 しかしこれは都合がいい。

 槐は鬼であることは伏せ、かくかくしかじか、かの皇子を倒さねばならないことを説いた。


「そんな大変なことをおひとりで……」

「誰かがやらねばならないことなのじゃろう」

「……では、私も連れて行ってください」

「そなたを?」

「はい。隣国の惨状は私も憂いていました。貴方のような女性が国を変えようとしているのに、見て見ぬふりはできません」


 予想通り。善意につけこむような形になってしまったのは申し訳ないが、これで二人旅ができる……ではなく、腕の立つものの協力を得られた。

 と、邪心が混じっていたのが神にばれたのか、槐と亀樂の会話に割って入る声が三つ。


「なぁ、お前皇子を倒すなら俺たちも連れて行ってくれよ」

「なんじゃ?」


 亀樂の打突を受けて伸びていた男たちは三人そろって槐たちの前に膝をつき頭を垂れた。


「俺たちは細工師の村の出身だったんだが半年前、その男に村を焼かれて逃げてきたんだ」

「あの男だけは許せねぇ。村の連中の敵討ちをさせてくれ」

「お前が倒すつもりなら俺たちも連れてってくれ」


 代わる代わる説明されて、さらに深々と頭を下げられてはさすがの槐も無下にはできなかった。せっかくの二人旅は惜しいが数が必要なのも事実だ。

 槐は犬彦、猿之助、雉男と名乗る男たちを供に加えることにした。


***


 槐は供を得て皇子のいる東へと向かった。道中は時に暴れ川に悩む村に助言をし、時に金銭を奪わんとする非道な山賊を倒していくというゆっくりしたものだったが、姫は亀樂の困っている人を見捨てない優しさに、あるいは弱きを助け強きをくじく正義感にますます惚れこんだ。


「で、この先なのか? その坂田という男がおるのは」

「ええ、山を少し入ったところに家を建てて住んでいます」


 そして現在、亀樂の友人に助力を仰ぐため、槐たちは藪がかろうじて取り払われた獣道を歩いていた。彼の話では友人は顔が広く戦事に長けた人物であるという。どこで知り合ったのかと聞けば、とんでもない答えが返ってきた。


「私は漁村の生まれなのですが、ある日旅をしてみたくなりまして。さしたる知識もなく山を越えようとしたときに熊と遭遇してしまい……。そこで助けてくださったのが坂田殿です」

「まさか、熊と戦ったと?」


 亀樂はそれには微笑むだけで、代わりにあそこですと竹林の奥の藁葺を指さした。


「んで? 俺に悪鬼を退治してほしいって?」

「悪鬼というか、極悪人ですよ」


 坂田という男は筋骨隆々で身長は六尺をゆうに超える、まさに熊でも倒せそうな大男だった。男は友との再会を喜び槐一行を歓待してくれたが、皇子を倒す話をすると腕を組み難しい顔で唸った。


「協力してはもらえんだろうか」

「……俺が手伝うのはやぶさかじゃない。だが一つ、やってもらいたいことがある。俺も前々から皇子の横暴については相談されていたんだ」


 坂田は知り合いが土地を奪われそうになっているのだと説明した。その知人は雪解け水が流れ込む豊かな土地を管理していたのだが、皇子が理不尽にも管理権を剥奪しようとしてきたという。


「領民がどんな扱いを受けるかわかったもんじゃないからとのらりくらり躱していたんだが……最近、しびれを切らした皇子が側近を派遣して力づくで潰そうとしていると耳にした」

「それを返り討ちにしてほしいということじゃな」

「旅の話を聞くにお前たちはかなりの実力者みたいし、悪い話じゃあないだろ? もちろん、お前たちだけに押し付けるつもりはねぇ、俺も行くぜ」

「決まりじゃな」


 槐は早速坂田と共に知人の元へと向かった。知人の国司は盛り土の上に建てられた屋敷と周りを堀と塀で囲んだだけの簡素な、ひとたび攻められれば三日と持たないような城を陣としていた。一地方の管理を任されているに過ぎない国司にとっては一人でも味方がほしいのか、坂田から事情を聞くやいなやすぐに槐たちを強者と認めて手を合わせてきた。


「ああも期待されては、少しばかり本気を出す気にもなる」


 槐は一番高い屋根の上から陣取る敵軍を視界にとらえた。

歩兵の後ろに弓兵。騎馬が数人。中央で指揮をとっている一番の重装備が皇子の側近だろう。こちらの陣営の数十倍は兵がいるように見えた。


「では、いってきます」

「本当におひとりで行くつもりですか?」


 屋根から飛び降りたところで亀樂が待ち構えていた。槐の実力も知っているだろうに、彼は最後までこの作戦に反対していた。

 でも心配されるのは悪くない。ためらいがちに伸ばされる手をするりと躱し、槐は上機嫌で堀を一足に飛び越えた。


 敵陣の真正面へと身を翻す。単騎で向かってくる人型をすぐに敵と判定はできまい。弓兵が矢をつがえる前に陣の目前にまで迫る。

 鬼の身体能力は人間と比べるべくもない。

 槐は突進する歩兵を跳んで避け、そのまま頭を踏み台に大きく前に勢いづけた。

スパンと刀を横凪に振るうと騎馬に乗っていた首が落ちる。

 刹那の静寂が場に満ち、続けざまに控えていた騎兵を切り捨てると残りの敵は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。右翼に待機していた味方の兵が強襲を仕掛けるのを見て、お役御免だと槐は撤退した。


「ただいま」

「……っ、よかった」


 屋敷に戻るとまっさきに亀樂が出迎えてくれた。彼は槐の両手をとると身をかがめて祈るように自らの額に押し当てる。このように身を案じてくれた者は鬼にはいなかった。 

 しずかに鼓動が早くなる。


「い、いったじゃろ。心配は無用じゃ」

「ええ。ですが、貴方に怪我がなくてよかった」


 彼の手が熱い。いつまでも重ねていたらこの気持ちが伝わってしまう気がする。でも離すのも惜しくて、槐はそっと握り返した。



 それから丸一日経って盛大な宴が開かれた。人間はこの力に恐怖するかと宴を遠慮しようとしたら、彼らの目には毘沙門天にでも見えているのか次々に酒を注いできた。

 仲間たちを探すと坂田は若い女に囲まれて上機嫌で歌を歌い、犬猿雉も三人で踊り騒いでいる。

 槐はその中のどこにも亀樂の姿が無いことに気が付き、酔い覚ましだと言って屋敷を抜け出した。


 沈み始めた日は赤く燃えるようで遠い山肌を照らしている。探していた人は夕日を背にして倒木に座り、一人で酒を飲んでいた。


「手酌じゃ寂しいじゃろ」


 瓢箪を掲げながら声をかけると、亀樂はたった今気が付いたように微笑んだ。


「いえ、自分で注げますから」

「遠慮するな」

「……実は、美人に酌をされるのが苦手でして」


 困った顔の中に寂しさが浮かんでいて、なぜ、と問うのが躊躇われる。槐はこの男のことをあまり知らない。深い事情に踏み込む勇気もなく口を噤んだその時、無粋な大声が二人の間に割り入った。


「おいおい、主役がこんなところにいたのかよ」


 先ほどまで女と遊んでいた男はずんずんとこちらに近づくと槐と亀樂の肩に腕を回してきた。


「なんだ、逢引かぁ? 邪魔したみてぇだなぁ」

「な、なにを言っておるんじゃ!」

「そうですよ。槐さんに失礼でしょう」

「そうかぁ? 俺はお似合いだと思うんだけどなぁ」


 自分が先に否定したにもかかわらず、亀樂にきっぱりと否定されてちくりと胸が痛む。


「冗談が過ぎますよ。それで、本題はなんです?」」


 亀樂がさりげなく坂田の手を退けながら尋ねると、坂田は揶揄うのをぴたりと止め、槐から瓢箪を受け取って一気に煽って口の滑りを無理矢理よくした。


「どうやらあちらさん、側近をいとも簡単に倒されてずいぶんご立腹らしい。俺たちを討ち取らんと明日にも出てくるとさ」

「へぇ、好都合じゃな」

「ああ、敵は先日の数十倍はいるだろうがな。幸い、前もって近隣の貴族たちに手紙を出して皆こちら側に付くとの返事をもらっている。相当敵を作っていたみたいだな。嬢ちゃんのおかげで勝機ありと判断したんだろう」


 亀樂の目がすぅと細められる。普段とは違う冷たいまなざしの先にあるのは皇子かあるいは日和見な貴族か。しかし槐の視線に気が付くとふっと気配を柔らかくして微笑んだ。大丈夫ですよ、とそっと腕に手が添えられる。


「俺たちは明朝発つぞ。近くの貴族と合流し、皇子を迎え撃つ」

「わかった。私が先陣を切って勝利を掴む」


 こういうのは上に立つものが堂々としていたらどうとでもなる。そういう父の姿を見てきた槐は夕日を背にして宣言した。


「っしゃ、さすが嬢ちゃんだな! そうと決めたら夜が明けるまで飲むぞ~。ほら、亀樂にも注いでやるよ」

「ありがとうございます。ってこれ水じゃないですか」

「まぁ、酔い覚ましするためにでてきたからの」

「そうなのかぁ? 気付かなかったぜ」

「坂田さん酔いすぎでしょう」


 結局屋敷から酒とつまみを持ってきて三人で日が沈むまで飲んだ。


 翌朝、村人たちに見送られ屋敷を出発した槐一行は道中有力な貴族と合流してその度に味方を増やした。気が付けばわずか三日の間に両軍の数はほとんど同数になっている。これは坂田の手腕も大きかった。

 そして、決戦の日がきた。


「怯むな!! 討ち取れ!!」


 矢が飛び交う合戦場を馬に跨り直線に駆ける。両軍がぶつかるその瞬間、槐は上方から強い殺気を感じて馬から飛び降りた。

 槐の首があったところに白刃が通る。殺気の主は避けられるのを見るや舌打ちをして間合いを詰めると刀を振り下ろした。

 鈍く金属がぶつかる。人のものとは思えない力に槐は奥歯を噛んだ。


「ぬし……鬼、か! なぜ皇子に味方しておる!」


 別の鬼の国のものか、はぐれものか。どちらにせよ力量は互角だ。後方からは援軍が続くが、鬼同士の戦いに手を出す無謀な人間はいない。


「あの方はここにはいない」


 鍔迫り合いを続けながら鬼は低く唸った。そんなことは始まる前から知っていた。あの金で人を動かすことしか知らない皇子が自分から危険な戦場に出てくるはずがない。作戦も槐が主力を引き付けて戦力を削ぎ、亀樂が別動隊を率いて皇子を討つ算段だ。だが敵に鬼がいるとわかった以上、鬼が複数いることを考え槐も別動隊に合流しなければ彼が危ない。


「お前の相手は俺だ」

「くぅ……ッ」


 亀樂を助けに行きたい。けれど、鬼の相手は人間には荷が重い。

 そして別事に意識を飛ばすような真似を敵の鬼が許すはずなく、鋭い突きが槐に迫った。


「終わりだ」


振りぬかれた凶刃が確実に槐を捉える。


「そう簡単に大将をやらせるかよ……ッ!」

「坂田!!」


 向けられた刀が弾かれ、坂田の後ろから犬彦、猿之助、雉男が加勢に入る。坂田は鬼の刀を受け止めたまま振り返らずに言った。


「ここは俺たちに任せな、嬢ちゃん。なぁに、こう見えて俺は、鬼退治したことがあるんだ!」


 嘘ではないのだろう。彼は文字通りの剛腕を振るい鬼と互角に打ち合っている。犬猿雉の三人衆も連携力で的確に鬼の勢いを削いでいた。ただの人間であったならば四人が束になったところで勝てるはずがないが、ここまで共に旅した仲間は槐に勝利を信じさせてくれた。


「武運を」

 


 屋敷の前では亀樂率いる別動隊が戦っていた。向こうにろくな兵がいないのか互角だ。槐は戦況をひっくり返す一手になるべく、馬で敵陣に突っ込み蹴散らした。

 陣形が崩れたところに味方が一気に攻めかかり、寸刻で片が付く。


「槐さん! 助かりました」

「状況は?」


 ここまでくれば屋敷は目と鼻の先だ。体制を立て直す暇を与えず戦えるものをまとめて屋敷に攻め入りたいところだが亀樂は負傷者が多く、こちらも立て直す時間が必要だと報告した。


「……私が一人で行く」


 これだけ暴れたのに鬼が出てこないということは、ここに鬼はいないということだ。ならば屋敷内に何人いようが物の数にもならない。

 亀樂は何か言おうとして、溜息でそれらを押し流し代わりに力強く頷いた。


「私も行きます。今度こそは、貴方を一人ではいかせない」

「……わかった」


 屋敷に侵入するまでは恐ろしく順調で、敗走した兵に襲われることもなかった。屋敷に入っても人の気配はあるがこちらに襲い掛かってくる様子がない。誘導されているような不気味さを覚えながらも廊下を突き進むと、目の前のふすまがすっと開き、数十の人間が待ち構えていた。残りの手勢はこの部屋に固めていたらしい。


「ほう。麿に逆らった女が美しいと聞いてわざわざでてきてやったが……まぁ、無駄足ではなかったか」


 大広間の中央の男が手を広げ、槐を招く。扇子越しに下卑た笑みが透けていた。不快さを振りまく皇子はとても実用的ではない華美な鎧をじゃらじゃらと鳴らし立ち上がった。こんな男は敵ではない。さっさと切ってしまえばいい。

 しかし刀を構えなおしたところでぐわんと天地がひっくり返ったかのような眩暈が襲った。ぶれた視界が踏み込んだ足をその場にとどまらせ、体勢を崩して膝をつく。


「槐さん!?」

「ふっ、ははは! まさか麿が何の準備もなく野蛮な鬼を屋敷にあげると思っていたのか?」


 きんきんとした耳鳴りに混じって亀樂の焦る声が聞こえる。


「鬼にのみ効く毒よ。獣には首輪をつけておかねばな? ほうら、お前も麿が飼ってやろう」


 刀を支えに崩れ落ちないようにするので精一杯で、もはや皇子が何を言っているのかもわからない。皇子が片手をあげ、控えていた兵に合図を送る。


「き、らく……にげ、ろ……」


 槐は後ろから力強く引っ張られ、誰かの腕の中にいた。衝撃で少しだけ朦朧としていた意識が戻る。同時に目の前にいた敵がどさりと崩れ落ちた。


「私が貴方を守ります」


 見上げると彼は安心させるように微笑んでいた。亀樂は後ろに下がり槐をそっと床に座らせると自身は槐を庇うように敵に向き直った。

 斬る。受け流す。刺す。避ける。

 狭い室内では同士討ちを避けるために囲まれて袋叩きにはなりづらいとはいえ、このままでは多勢に無勢だ。


「ッ痛……!」


 篭手が割れ、鮮血が舞った。槐の目に赤が焼き付く。

先ほど腕に抱かれたときの熱を思い出し、槐は力強く唇を噛んだ。鋭い爪が掌に食い込みぽたりと血が落ちる。

 愛する人を……守らなければ。

 無理矢理腿から足に力を伝える。槐はこじ開けた眼で目標をまっすぐに捉えた。


「退け!!!」


 槐の怒号に亀樂だけでなく敵すら怯んで動きを止めた。その一瞬の隙をつき、たった一歩で皇子に刃が届く。戦うことを知らない皇子は扇子をカタカタと震わせた。


「や、やめ」

「女にフラれた腹いせかは知らぬが。愚か者が」


 一刀両断。決着は一瞬だった。

 わずかに残っていた敵も我先にと逃げ出し、屋敷の中が静かになる。亀樂は自身の手当てをするよりも先に膝をついた槐をひょいと横抱きにした。


「なっ……! 私なら大丈夫じゃ!」

「だめです。毒が余計にまわりますから」


 下手にもがけば腕の傷に触ってしまう。槐はばくばくする心臓を押さえることしかできず、そのまま屋敷の外まで運ばれた。そして間の悪いことに丁度屋敷に着いた坂田にばっちりと見られてしまった。


「ははっ! 邪魔したか?」

「坂田っ!」


 今度こそ亀樂に離してもらい、槐は坂田を馬上から引きずり下ろした。からかう背中をぽかりと叩く。

 彼もいくつか傷を作っていたが問題はなさそうだ。万事うまくいったと報告してくれる。勝利の狼煙をあげると遠くから本隊の勝鬨があがり、周囲の山にこだました。


 帰る途中、槐は馬の手綱を引いて前を歩く亀樂に話しかけた。


「亀樂」

「はい」

「……鬼であることを黙っていてすまぬ」


 屋敷で皇子にはっきりと鬼だと言われたことをなかったことにはできない。拒絶されたくなくて今までひた隠しにしていたのに。


「大丈夫ですよ。気づいていましたから。貴方の身体能力をみれば、普通の人間じゃないことくらいわかります。私は坂田さんから鬼という種族がいることを事前に聞いていましたから」

「じゃが、隠していた事には変わらぬ……皆を、……そなたを騙して」

「あなたは私達人間のために先陣を切って戦ってくださった。それだけでいいんですよ」


 鬼も人間も変わらないと言う。

槐は気づけば彼の広い背中に手を伸ばしていた。


「亀樂」

「はい?」

「好きじゃ。結婚を前提に付き合ってくれ」


 つい愛の告白が口をついて出た。彼が自分を拒絶しないとわかると我慢できなかった。だって旅が終わればもう二度と会えなくなるかもしれないのだ。


「!? それは難しいでしょう」

「私が鬼じゃからか?」

「違います、そうではなく、貴方と私では歳が……」


 亀樂が口籠り、気まずい沈黙が流れる。ババァと結婚できるか、という元婚約者の言葉が閃光のように頭を駆け巡った。

 目の前が水滴に覆われ、すぐにぽた、ぽた、と涙が伝い落ちた


「亀樂も結局、若い女が好きなのか」

「え? 槐さん?! なぜ泣いて。っ、待ってください、貴方みたいな若くておきれいな方がこんな老いぼれをと言われましても……冗談でしょう?」


 亀樂は自身の真っ白な髪をかきながら、困りはてた顔で槐を見た。


「? おぬし、いくつじゃ?」

「七十くらいです」

「なんじゃ、わしより五十も下ではないか。見た目を気にしておるのか? ならこの一族に伝わる桃をたべればよい! 見る見るうちに若返り、わが血族に……」

「ちょ、ちょっと……」


 年齢が問題でないなら話は早い。鬼の一族に伝わる秘蔵の桃は食べればたちまち若返り、鬼の力を得られるのだ。旅立つ前に父に気に入った人がいたら食べさせろと冗談交じりに乾燥桃を持たされたのがまさか本当に役に立つとは。

 涙はどこへやら、ぐいぐいと桃を押し付けていると後ろで耳をそばだたせていた、もとい事の成り行きを見守っていた坂田が大笑いしながら馬を横につけた。


「はははっ! まぁまぁ嬢ちゃん。こいつ昔悪い女に騙されたんで美女からの好意に警戒してんのさ」

「余計なことはいわないでください。」

「まぁそう言うなよ。あんまり女の子に恥をかかせるのもどうかと思うぜ? 鬼が長命だってことも教えてたはずだし、嬢ちゃんは本気だ。んで、お前はどうなんだよ、浦島?」


 坂田は確実に面白がりながらも、言うだけ言うとまた後ろに下がっていった。亀樂の過去を覗いた気がしたが、今は置いておくとして。槐は静かに亀樂の答えを待った。

 手綱が引かれて馬が止まる。亀樂は降りようとするのを制して手を取った。


「年甲斐もなく……と貴方は思わないかもしれませんが、私も貴方のことを好ましく思っています。ときに勇ましくときに優しく、人々に手を差し伸べるあなたの隣にいたいと思っています」



***


「我が娘、槐を次代の王とする」

 大広間に集められた有力な鬼の家の者たちは父の宣言に頭を下げた。次期頭領を指名する大事な式ではあるが内々に知らせてあったので、ほとんど形式的なものだ。すでに槐の功績は国中に広がっていて、誰にも文句は言わせなかった。

 皆、次期頭領の言葉を待っている。槐は一度あたりを見渡し、口を開いた。


「私、槐はこの鬼の国を守り、導くことを誓う。若輩者ゆえ至らぬ点はあるじゃろうが、お手柔らかに頼む」


 十六回の拍手と共に皆が頭を下げる。しかし、順調な進行だと思ったのもつかの間、一番の末席に座っていた男が立ち上がった。槐が旅をしていた間にこちらは何も変わっていなかったようだ。


「な、なんでお前が次期頭領なんだよ!俺だったはずだろ!?」

「何じゃ、騒々しい。鬼の一族は実力主義。私にすら勝てぬお前に頭領が務まるわけないじゃろう」


 元婚約者が次期当主候補だったのは単に槐の夫になる予定だったからだ。それも形だけで実質的には槐が取り仕切るだろうと元から言われていた。知らなかったのは本人だけだ。


「~~ッ!! この年増!」


 語彙の少なさも相変わらずか。力づくでもわからせるべきかと立ち上がろうとしたその時、静かに襖が開いた。その先にいた青年は美しい所作で槐の隣に並び、現当主の父に一例をしてから元婚約者と向かい合った。


「初めまして、亀樂と申します。この度は槐様のご厚情にて一族の末席に加わらせていただきました」


 亀樂が平然と挨拶をし始めたので、槐も慌てて皆に向き直った。


「この男を鬼とし、私の伴侶とすることにした」

「婚約を解消していただきありがとうございました。おかげで私は心から愛する人と巡り合うことができました。槐は私が幸せにしますので、どうぞお引き取りを」


 どちらがふさわしいなどと比べることもおこがましい。今のやり取りで突然の新顔をいぶかしんでいた鬼たちも笑い出し、元婚約者は地団太を踏みながら逃げ帰っていった。



 その後、鬼の王となった鬼姫は生涯の伴侶に支えられ、共に戦った仲間たちと平和な鬼の国を栄えさせたのでした。めでたしめでたし。


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