歪な愛すべき家族の形

ねここ

奪われた愛しき日常


 我が家の長男である兄が車の事故で死んだ。


 私が母のお腹に宿り始めた頃のこと。兄は三歳の誕生日を目前にし、突然その命を奪われた。

 兄が死んだ日は母の誕生日の前日、葬式の日は誕生日だった。

 

 すぐに救急車を呼び父は兄と共に病院に、母は一歳半の姉と、事故があった現場の目の前にある自宅で、病院に運ばれた兄をひたすら待っていた。

 

「あんま、いたい」

 幼い兄の最後の言葉。母は今でも覚えている。

 

 父は可愛い盛りの長男の、変わり果てた姿を目の前にし、救急車の中で愛しい息子の体に触れた。

 

「……次第に温かさが消え、冷たくなる体が、だんだんと硬くなった」

 兄が死んで二十年後、父の言葉に、胸が詰まった。

 



 死因は内臓破裂だった。

 


 兄が亡くなった時の状況をこれ以上知ることは未だできない。

 なぜなら両親はその話を自ら話そうとしない。

 だから私も聞くことはない。


 ただ、幼い子供が交通事故で亡くなったニュースが流れると、父は聞きたくないという。その言葉に、その心情を推し量るだけ。


 

 息子を失った父は元々の性質も大いにあるが、浮気を繰り返すようになった。

常に女の影がある。父は何かを埋めるように女を追いかけ始める。


だが、その一方で家族を愛し、三人娘への愛情は深かく、娘が結婚しても孫ができても今だクリスマスにはサンタとしてプレゼントを三つ、兄の仏壇の前に置く。時々兄の分、母の分もある。

 父は浮気を繰り返しながらも、家族への愛も持つ。


 そんな危ういバランスの中での生活。


 だが、どれほど時間が経っても父の圧倒的な空洞は埋まらない。



 一方で母はとても強い人。中学生の頃に母親を亡くし、気性の激しい父親の元、生きてきた人間。

 根性があった。

 浮気を繰り返す夫と真っ向から挑む激しさもあり、ある部分で母親として未熟な所もあった。娘の前で父と喧嘩を繰り返し、父の浮気を包み隠さず娘に話す。気持ちは分からなくはなかったが、それでも年頃の娘には苦しい時もあった。


 ただ、母は兄が亡くなっても幼い娘を、生まれてくる子供を育てなければならない。必死に現実を受け止め、生きてきた人。今ある現実に目を背けることもできず、逃げることもできず向き合い続けた母。


 父とは対照的だ。


 兄が亡くなって十七年ほど経った時、父は突然家と経営している会社から出て行ってしまった。

 愛人と共に隣県に家を借り、新たに会社を起こした。


 父が出て行った会社。その敷地内は兄が死んだ場所だ。

 そこから目を背けたのか、それとも本当に興味が無くなったのかわからない。


 父はどうしようもない人間だが、商売の感覚に長けている。新たに起こした会社はすぐに軌道に乗った。


 父が出て行った会社を守るため母は苦労しながら生活しているのに対し、羽振りよく自由に、愛人と共に生きる父。

 それでも私には父が不自由に見えた。常に苦しみのある自由。喪失感。もがく心。

 

 父はこの辛い現実を必死に溺れるように生きているのだ。何かと向き合うのではなく新たに取り入れることで前に進む、ずっと永遠に進み続ける。


 娘たちは、そんな父の自分勝手な行動を許すわけではないが、許さないわけでもない。

 

 このどうしようもない愛すべき父、そのうち、父と言えども同じ弱い人間なのだと思うことができた。


 そして母は会社で苦労しながらも、ロクデモナイ男に振舞わされることない人生を歩み始める。母は後ろ向きになる人間ではない。


 常に前を向く苦しみを超えた母。


 対照的な両親。上手くいくはずもない。


 私たち姉妹は母に離婚を強く勧めたが、それだけは絶対にしなかった。

 その心情は推し量ることのできないもの。


 

  父は愛人と生活をしながらも何人も恋人を作る最悪な男だが、天性の人たらし。

 性格は子供のような純粋さがあり、殺生は絶対にしない。我儘だが可愛いところもある。同性からも好かれる、他人だったら最高に面白い人だ。

 

 だから世間はそんな自由な父を受け入れ、私たちも親というよりも『どうしようもない弱い男』だと受け入れた。

 

 母はそんな夫を横目に我が道を行く。


 家族それぞれの自立。


 自立は家族を人として客観的に観察できる最大の武器。


 経済的にも精神的にも、特に両親からの精神的な自立は人生に大きな影響を与える。

 私たちが出した家族という形の答えは、それそれの自立なしでは成り立たなかった。


 一見バラバラな家族。


 だが根底にある『兄の死』がこの家族を常に繋げていた。

 


 年をとっても父は変わらず。ただ、また住み慣れた地元に戻り、母に任せていた会社をたたみ、新たに会社を起こし、また軌道に乗せた。

 そして新しい彼女と生活し、その他にパパ活で出会った相手が数人。本人は秘密にしているようだがSNSの通知画面でバレバレだ。


 一方、自由になった母は面倒な夫の世話をしなくて良い、自分らしい人生を謳歌している。

 

 姉は父の会社を継ぎ、私と妹はそれぞれ起業し、経営者として、それぞれの人生を歩んでいる。


 バラバラな家族。


 それでもほぼ毎年、家族旅行と称したイベントを行い、理解不能だが夫婦二人で旅行にも出かける。

 その時の父は嬉しそうにはにかみ、調子に乗ってべろべろに酔っ払い、私たちに疎まれる。

 本当にどうしようもない人だ。

 

 でも、父は、気がついている。本当はずっと前から知っている。

その圧倒的な空洞は、女では埋められないことを。

 

 永遠に埋まらない失われたもの。

 

 愛する我が子の消えゆく命の温かさは、

どれほどの時間が経過しても決して忘れることができず、

失ったその心は絶対に埋められない。


 でも、それを唯一共有できる母の存在。


 この歪な夫婦。


 理屈では語れない何かがあるのだと、彼らを見ていると感じる時がある。


 幼い兄が残してくれたもの。

 

 それは形が変わっても決して途絶えることのないこの歪で美しい家族の絆。


 今日も仏壇の前に置かれてたサンタクロースからのプレゼント。


 それを見て色褪せた幼い兄に言う。

 

「今年もまた、サンタクロースが来てくれた」


 

 


 

 

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