令和8年、1月7日、東京湾は暖かかった。

海原海

第1話 令和8年、1月7日、天気快晴。

心はどこにあるのか、ずっと考えていた。ある哲学者によれば心だけは本物らしい。何か絶対的なもの、それが欲しい。





足裏がわずかな振動を感知してすぐ、地が崩落し、光すら飲み込むような奈落に落ちるような感覚に包まれる。しかし、俺の体は驚くほどその位置をとどめていた。

すぐに首筋を舐められるような気色悪さに襲われる。

視界の端々が赤黒く飛んでいる。それが、砕けたガラスと混じり重々しく光っていた。

揺れから数十秒後だろうか。遅れて頭が現実を理解する。どうやら、地震が起こったようだった。

大学生だろう女の叫び声が鼓膜を鋭くつんざき、辺り一帯に立ち込める血の錆びついた臭いは嗅覚を酔わせる。耳も鼻も目もすべて覆いたくなるような現実だった。

はっと、俺の果たすべき役割を思い出す。

そうだ、地震など知ったことではない。

ふと体に目を向ける。

幸い、両膝から出血しているだけだ。膝と服が血を媒介に結合し、踏み出す足が重い。


「行かないと」


年初めにもかかわらず高田馬場ロータリーにはいつも通り某大学の学生が蔓延っている。

目指す場所は品川。

当然、この大地震では山手線は使えない。

だが、行かなければならない。もう一度逢わなければならない。

歩いて品川まではどれほどだろうか。

前を向く。前方には、赤黒く光るつつじ通りが続いていた。



品川につく頃には空はわずかに火照り、窓ガラスが割れいくつも空洞の空いたビル群に太陽が隠れていた。

膝に加えふくらはぎの大部分が服と張り付き、下半身にはふわふわとしたわずかな感覚だけが残っている。

体重を前にかけ、倒れそうになり前に進む。

国立海洋大学品川キャンパス、御海研究室、そこに行かなければいけない。


「大丈夫ですか?」


突然誰かに声をかけられた。どうでもいい。無視をして進む。


「ちょっと!声聞こえてますよね?」


しつこい。逃げるために走りだそうとするが、足は主の命令を聞こうとしない。

仕方なくそのまま無視して歩き続けていると、やがて声は聞こえなくなった。

本土と埋立地を結ぶ、大道路を渡る。

そこには、普段の喧騒からは考えられないほど車通りは失せていて、異質で平行世界に迷い込んだような、そんな感覚がした。

もし平行世界があるなら、そこでは彼女と俺は今も一緒に暮らしているのだろうか。



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令和8年、1月7日、東京湾は暖かかった。 海原海 @mihara_kai

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