第14話 冷たいカンファレンス
三日後。 病棟のカンファレンスルームには、重苦しい空気が漂っていた。
長テーブルを囲んでいるのは、主治医、病棟看護師長、ソーシャルワーカーの門田、そしてリハビリ科からは成瀬と叶多。 対面には、小さくなった妻の芳江と、作業着姿のまま腕を組んでいる長男の聡が座っていた。
「……単刀直入に言います」 聡が、疲労の滲む声で口火を切った。 「親父を、ここから転院させたいんです。療養型の病院か、老健(介護老人保健施設)へ。……なるべく費用のかからないところでお願いします」
予想していたとはいえ、直接聞くと胸が詰まった。 叶多は膝の上で拳を握りしめた。 主治医がカルテを見ながら淡々と答える。 「久保さんの身体機能は改善傾向にあります。今、転院させるとリハビリの密度が下がり、せっかく良くなった機能が後退するリスクがありますが」
「構いません」 聡は即答した。 「良くなったところで、家には戻れないんです。母さんの腰も限界だし、俺も仕事で面倒は見られない。……それに、正直に言えば、今のうちに金銭的な余裕がないんです」
芳江が「ごめんなさいね……」と小さく肩を震わせた。 聡の言葉は冷たいが、それは嘘偽りのない悲鳴だった。 ソーシャルワーカーの門田が、事務的な口調で補足する。 「回復期リハビリテーション病棟は、あくまで『在宅復帰』を目指す場所です。ご家族が施設入所を希望されるのであれば、当院での治療継続は制度上も難しくなります」
大人の理屈だ。 金と制度。それが全てを決定していく。 叶多は我慢できず、手を挙げた。 「待ってください! 久保さんは今、劇的に良くなっているんです。杖歩行も安定してきました。もう少し時間があれば、ご自身の足で生活できるようになるんです!」
聡が冷ややかな目を向けた。 「生活できる? 誰がさせるんですか。先生、あなたが家に来て、二十四時間親父のトイレ介助をしてくれるんですか?」 「それは……」 「リハビリで歩けるようになったからって、誰かの見守りが要ることに変わりはないでしょう。その『誰か』が、俺たちにはいないと言ってるんです」
正論だった。 在宅介護は、綺麗事ではない。 叶多は言葉に詰まった。だが、ここで引けば久保の「職人復帰」の夢は絶たれる。
「でも、久保さんには目標があります! 『神社の修復』です。あの現場に戻りたいという一心で、歯を食いしばってリハビリしているんです。その希望を奪う権利は、家族にだってないはずです!」
ダンッ! 聡がテーブルを叩いた。 湯呑みのお茶が跳ねる。
「希望だと……? ふざけるな!」 聡が立ち上がった。その目は充血し、怒りと悔しさで潤んでいた。 「その『希望』が、俺たちを地獄に落としたんだぞ! 親父が神社の修復にこだわって、採算度外視で金をつぎ込んだせいで、工務店は潰れかかってるんだ! 実家だって抵当に入ってる!」
室内が静まり返った。 聡は肩で息をしながら、叶多を指差した。 「あんたはいいよな、病院の中で『頑張れ』って言ってればいいんだから。でもな、そのリハビリ代を払うのも、親父が散らかした後始末をするのも、全部俺なんだよ!」
叶多は打ちのめされた。 自分の正義感がいかに薄っぺらで、相手の生活を見ていないものだったか。 返す言葉がなかった。
「……座りたまえ」 それまで沈黙していた成瀬が、静かに口を開いた。 その声は低く、しかし不思議なほど通った。 成瀬は聡をまっすぐに見据えて言った。
「息子さんの仰ることはもっともです。経済的基盤のないリハビリは、絵に描いた餅だ」 成瀬は叶多を庇わなかった。むしろ突き放した。 だが、続きがあった。
「しかし、一つだけ確認させてください。……もし、久保さんが『自分のことは自分でできる』レベルまで回復し、あまつさえ『現場監督として指示が出せる』状態になったとしたら。……それでも、工務店に彼の居場所はありませんか?」
聡が眉をひそめた。 「……はあ? 何言ってるんですか。そんなの夢物語だ」 「夢かどうかは、我々が証明します」 成瀬は表情一つ変えずに言った。
「現場作業は無理でも、彼の知識と経験は、今の工務店にとって無価値ですか? 神社の修復も、彼がいなければ他の誰かが引き継げるものなのですか?」 聡が言葉に詰まった。 図星なのだろう。親父の腕は一流だ。あの神社の複雑な組み木は、久保勝にしか分からない。
「……親父がいなきゃ、あの現場は止まったままだ。他の職人じゃ手が出せねえ」 聡が悔しそうに呟いた。 「なら、話はシンプルだ」 成瀬は眼鏡の位置を直した。
「期限を決めましょう。一ヶ月です。その間に、彼が自宅で自立生活ができ、かつ現場まで通えるレベルまで回復しなければ、大人しく療養型へ転院させます。……それでどうですか」
一ヶ月。 今の状態から考えれば、無謀に近い期間設定だ。 だが、聡はしばらく沈黙した後、ドカッと椅子に座り直した。 「……一ヶ月だけです。それ以上は、金が持ちません」 「十分です」
成瀬は叶多の方を向きもせず、淡々と言った。 「聞いたな、橘。一ヶ月だ。……死ぬ気で仕上げろ」
叶多の背筋に戦慄が走った。 助け舟ではない。これは、成瀬からの最後通告だ。 失敗すれば、久保は病院を追われ、叶多もまた、セラピストとしての無力を突きつけられることになる。
「……はい!」 叶多は声を絞り出した。 もう、後戻りはできない。
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