教えない、なんにも

一途彩士

タンポポの君

 太陽の光を反射した水面が、きらきらと輝いている。そんな明るい状況を、たったひとりの青年が変えてしまう。


「そろそろ名前くらい教えてよ」


 隣に座る黒髪の青年は、呆れたように私に言った。


「もう、はじめて会ってから一か月は経ったよね」

「そうですね」

「この池を見るだけじゃなくて、どこか遊びに行かない? 僕は詳しくないから、楽しい場所を教えてほしいな」


 ベンチに人ひとり分の隙間をあけて、私たちは座っている。

 図書館の近くにあるこの池は、公園の中にある。

 たまに散歩をする人や貸しボートに乗る人もいるけれど、静かに過ごすにはうってつけの場所だった。


 それが変わってしまったのは、一か月前。この青年と出会ってしまったからだった。


 池のそばにあるベンチで、私と彼は毎日会っている。


「お兄さんは」

「トドキって呼んで」


 教えたじゃん、と不満げにいう。


「トドキくんは、どうして毎日ここに来るの?」

「君がいるからだよ」


 青年は、見目麗しい容姿をしている。まるで、人間じゃないみたい。

 いつだったかそういうと、青年は慌てていた。


 そんな彼に口説き文句のようなことを言われて、ぐらっと心が揺れる。

 しかし、心を鬼にしないといけない。


「一人で行けばいいじゃない。それに、この公園を出れば私以外にもいるよ」

「君に用があるというか……君しかダメなんだ」


 私よりずいぶん背丈が高いくせに、器用に上目遣いで私を見る。


「ねえ、やっぱり教えてほしいな」


 必死さを隠しきれていない。そうだろう。


 私は、トドキが、この地に降り立った日を知っている。



『その土地の言語に設定してみたぞ。私の声も聞こえるな』

「アイサー」


 その日、いつものように池のそばで読書をしていると、ざざ、ざざ、と不快な機械音が公園の林から聞こえた。


 読んでいた本がたまたま連続爆破事件を解決するミステリものだったせいで、予感を働かせた私は音の鳴るほうへ向かった。


 そこで見たのは、UFOといわれた百人中百人が思い浮かべそうな形をした銀色の円盤と、どろりとしたスライム状のナニかから人間の形に姿を変える瞬間だった。


『お前がこの星で完全に擬態するには、はじめて出会った生物の名前が必要だ』

「わかってるよ」


 青年の持っている見たこともない高度な機械は、通信機の役割を持っているらしい。青年ではないものの声と青年が話している。


『首尾よく星を征服したまえ。健闘を祈るぞ、トドキ』

「アイサー」


 心臓がバクバクしながら、私はベンチに戻った。ひとつ深呼吸をして、さっきと同じように読書に戻る。

 道なりに進めばきっと、青年はそのベンチにたどり着くと思ったから。


 そして、予想通り彼は来た。一か月前のことである。



「名前くらい、いいだろ? 君のことを、名前で呼びたいよ」


 本当に名前しか興味ないのね。私はこっそりとため息をついた。


「適当に呼んでくれればいいよ。タンポポとか」

「それが君の名前?」


 投げやりになっただけの返事に、トドキはぱっと表情を明るくする。

 さすがにかわいそうになって、私はすぐに訂正した。


「ううん。花の名前」

「植物か……」


 うんうんうなっているトドキは、真実を知らない。


 ときどき、トドキはあの通信機で自分の星と連絡を取り合っている。私は、彼にばれないようにその会話を聞いている。

 聞きとれた情報をまとめると、彼らのいう生物の条件を満たすものは、この星の植物も該当しているようだった。


 わずかな知識の食い違いで、彼は私の名前を知る必要があると誤解している。


 彼を宇宙船のそばで見たとき、彼の手元には通信機のほかにしおれたタンポポがあった。少なくとも私より先に、あのタンポポと出会っているのに。


 だから彼は、あれの名前を知ればいいんだけど。


「ああ、もう暗くなってきた」


 トドキは残念そうに地に沈んでいく太陽を見ていた。彼は私がこの時間になると家に帰ることを学習していた。


「じゃあまた明日ね」

「……ばいばい」


 さみしそうな声だった。私は、トドキを置いて公園を出る。トドキも自分の宇宙船に戻るだろう。



 トドキとの攻防は、いつまで続くのだろう。


 この星が征服されるのも嫌だけど、きっと目的を果たしたら彼は私に会いに来なくなる。それが、たまらなく胸をしめつけた。


 だから、決して名前は教えない。トドキが、自分の星の命より私を選んでくれるまで。

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