宿題の神様

 私たちのクラスには、一学期からずっと「透明人間」が一人いる。それは転校生のカナちゃんだった。カナちゃんはいつも少しだけ鼻をすすっていて、教科書の端っこを指で丸める癖があった。


 ある日の放課後、私とサキは、カナちゃんが机の中に「食べかけのパン」を隠しているのを見つけた。「これ、神様へのお供え物にしようよ」サキが名案を思いついたように言った。サキはクラスで一番声が大きくて、髪がいつも綺麗に編まれている。


 私たちは、理科室の裏にある古びた百葉箱を「神様のポスト」と呼ぶことにした。  カナちゃんのパンをそこへ入れ、翌日、代わりに誰かの消しゴムのカスや、ちぎったノートの端切れを入れておく。「カナちゃん、神様からお返事が届いてるよ」私がこっそり教えると、カナちゃんは困ったように、でも少しだけ嬉しそうに笑った。それが始まりだった。


 二学期になると、神様への「お供え物」はエスカレートしていった。サキは「もっと神様を喜ばせなきゃ」と言って、カナちゃんの筆箱から鉛筆を一本抜き取り、代わりに校庭の隅に落ちていた、乾いてカチカチになったミミズを入れた。カナちゃんはそれを見ても、悲鳴一つ上げなかった。ただ、じっとミミズを見つめてから、それをそっと自分のポケットに仕舞った。


「カナちゃんって、本当に神様を信じてるんだね」サキはクスクス笑いながら、私の腕をつねった。サキにつねられた場所は、いつも少しだけ青あざになる。


 冬休みが近づいた頃、サキが新しい遊びを思いついた。「ねえ、神様はね、温かいものが好きなんだって」私たちは放課後、カナちゃんを飼育小屋の裏に呼び出した。 「カナちゃんの髪の毛、神様にあげよう?」


 サキは図工の時間に使うハサミを取り出した。カナちゃんは逃げなかった。ただ、私の方をじっと見ていた。その目は、昨日雨上がりの水たまりに浮いていた油の膜みたいに、妙にキラキラしていた。


 サキがカナちゃんの髪をザリザリと切り始めた。切り口はガタガタで、地面に落ちた髪の毛は、まるで死んだカラスの羽みたいに見えた。「ほら、見て。神様が喜んでる」サキは切った髪を百葉箱に詰め込み、満足そうに笑った。


 でも、その翌日から、サキの様子がおかしくなった。サキの自慢の編み込みに、毎日少しずつ「ハゲ」が混じるようになったのだ。まるで夜中に誰かが、少しずつ少しずつ、丁寧に髪をむしり取っているみたいに。


 一週間後、サキは学校に来なくなった。私は一人で、百葉箱を見に行った。中にはサキの髪の毛が、鳥の巣みたいに丸まって入っていた。


 背後で、鼻をすする音がした。振り返ると、カナちゃんが立っていた。ガタガタになった短い髪の隙間から、真っ赤になった地肌が見えている。「次は、あゆみちゃんの番だよ」カナちゃんは、サキの筆箱から持ってきたらしいハサミを私に差し出した。


「神様、あゆみちゃんの指が欲しいんだって」カナちゃんは、昨日まで私がカナちゃんにしていたのと同じ、とても優しくて、透明な笑顔で言った。


 私は自分の指を見つめた。逃げなきゃいけないのに、なぜか足が動かなかった。カナちゃんの差し出したハサミの先が、夕日に反射して、宝石のように綺麗に輝いていたから。

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