第17話




 交渉の日まで、二日。

 結衣は部屋で、交渉に備えて準備をしていた。

 服装を選ぶ。

 武器を確認する。

 魔法の練習をする。

「結衣、大丈夫?」

 紫苑が入ってきた。

「うん……ちょっと緊張してるけど」

「私も」

 紫苑は結衣の隣に座った。

「でも、冴子さんがいるから、大丈夫だよ」

「そうだね……」

 結衣は頷いた。

 だが、不安は消えなかった。

「ねえ、紫苑」

「ん?」

「もし、これが罠だったら……」

「その時は、全力で戦う」

 紫苑は即答した。

「二人で、絶対に生き残る」

「うん」

 結衣は紫苑の手を握った。

「一緒だからね」

「うん、一緒」

 二人は抱き合った。

 お互いの温もりを確かめ合った。

「絶対に、生き残ろうね」

「約束」

 二人は指切りをした。

 何度目の約束だろうか。

 でも、その度に――

 二人の絆は強くなっていった。


 交渉前日の夜。

 冴子が結衣と紫苑を呼んだ。

「明日のことだが……」

 冴子は地図を広げた。

「交渉の場所は、ここだ」

 地図には、都心の高級ホテルが示されていた。

「五つ星ホテルか……」

 紫苑が呟いた。

「政府も、本気みたいだね」

「ああ。だが、油断はできない」

 冴子は真剣な顔で言った。

「もし、罠だった場合――」

 冴子は別の地図を広げた。

「この三つの脱出ルートを覚えておけ」

「はい」

 二人は真剣に地図を見た。

「ルートA。ホテルの裏口から、地下鉄に逃げ込む」

「ルートB。屋上からヘリコプターで脱出」

「ルートC。正面から強行突破」

 冴子は三つのルートを説明した。

「状況に応じて、最適なルートを選べ」

「わかりました」

 二人は頷いた。

「それと――」

 冴子は二つの小さな装置を取り出した。

「これは、緊急信号発信器だ」

「緊急信号?」

「ああ。ボタンを押すと、アジトに信号が送られる」

 冴子は二人に一つずつ渡した。

「もし、私が殺されたら……これを押せ」

「冴子さん……!」

「最悪の事態を想定しておく。それが、生き残るコツだ」

 冴子は微笑んだ。

「だが、そうならないことを祈っている」

「はい……」

 結衣と紫苑は、装置を受け取った。

「では、明日に備えて休め」

「はい」

 二人は部屋に戻った。


 その夜。

 結衣は眠れなかった。

 隣で、紫苑も寝返りを打っている。

「紫苑、起きてる?」

「うん……眠れない」

「私も」

 二人は起き上がった。

「怖いの?」

 紫苑が聞いた。

「うん……正直、怖い」

 結衣は認めた。

「もし、罠だったら……死ぬかもしれない」

「……私も怖い」

 紫苑も認めた。

「でも、行かないわけにはいかない」

「そうだね」

 二人は沈黙した。

「ねえ、結衣」

「ん?」

「もし、明日私が死んだら……」

「やめて」

 結衣は紫苑の口を塞いだ。

「そんなこと言わないで」

「でも、可能性はある」

「ダメ。絶対に死なせない」

 結衣は紫苑を抱きしめた。

「私が、絶対に守る」

「結衣……」

「だから、約束して。絶対に生き残るって」

「……約束する」

 紫苑も結衣を抱きしめた。

「絶対に、生き残る」

 二人は抱き合ったまま、しばらく動かなかった。

 やがて、紫苑が囁いた。

「結衣……今夜、最後まで愛し合おう」

「え……?」

「もし、明日が最後かもしれないから」

 紫苑は結衣の目を見た。

「後悔したくない」

「……うん」

 結衣は頷いた。

「私も」

 二人は唇を重ねた。

 深いキス。

 魂が溶け合うような。

 やがて、服を脱ぎ始めた。

 月明かりの中で。

 二人は、朝まで愛し合った。

 お互いの体を。

 お互いの心を。

 全てを。

 確かめ合った。

 もし、明日が最後なら。

 せめて、今夜のことだけは――

 永遠に覚えていたい。

 二人は、そう願った。


 交渉当日。

 朝六時。

 結衣、紫苑、冴子の三人は、車に乗り込んだ。

 運転は、山本が務めた。

「じゃあ、行ってくる」

 明日香が心配そうに見送った。

「気をつけてね」

「大丈夫」

 結衣は微笑んだ。

「必ず、戻ってくるから」

「約束だよ」

「約束」

 車が発進した。

 アジトから、都心まで。

 三時間の道のり。

 車内は、重い沈黙に包まれていた。

 結衣は窓の外を見た。

 田舎の風景が、徐々に都会の風景に変わっていく。

 ビル。

 車。

 人。

 半年ぶりの都会だった。

 懐かしいような。

 でも、もう別世界のような。

「着いたぞ」

 山本が言った。

 車は、高級ホテルの前に停まった。

『グランドパレスホテル東京』

 五つ星ホテル。

 豪華な外観。

「ここか……」

 結衣は緊張した。

「行こう」

 冴子が車を降りた。

 結衣と紫苑も続く。

 山本は車で待機する。

 三人は、ホテルのエントランスに入った。


 ホテルのロビーは、豪華絢爛だった。

 シャンデリア。

 大理石の床。

 高級な家具。

「すごい……」

 結衣は思わず呟いた。

 こんな場所、来たことがない。

「こちらへどうぞ」

 黒服の男性が近づいてきた。

 政府の人間だろう。

 三人は案内されて、エレベーターに乗った。

 最上階。

 ペントハウス。

 エレベーターが開くと――

 広い会議室があった。

 そして、中央のテーブルには――

 すでに、三人の人物が座っていた。

「ようこそ」

 中央の男性が立ち上がった。

 五十代くらい。

 グレーのスーツ。

 威厳のある顔つき。

『鑑定』

『名前:柳沢健一――レベル???――職業:政治家』

 鑑定が、レベルを表示しない。

 強力な防御魔法がかかっているのか。

「私は、柳沢健一。政府特殊対策部の部長だ」

 柳沢と名乗った男性が、手を差し伸べてきた。

 冴子は握手に応じた。

「神崎冴子。解放戦線のリーダーだ」

「お噂はかねがね」

 柳沢は笑った。

「そして、こちらが……」

 柳沢は結衣と紫苑を見た。

「若き覚醒者たち。紫苑さんと、結衣さんですね」

「はい」

 二人は警戒しながら答えた。

「どうぞ、座ってください」

 柳沢が促した。

 三人は席に着いた。

 柳沢の両脇には、二人の人物がいた。

 一人は、軍服を着た男性。

 もう一人は、白衣を着た女性。

「紹介しましょう。こちらは、自衛隊の佐藤将軍」

 軍服の男性が頷いた。

「こちらは、覚醒者研究所の山田博士」

 白衣の女性が微笑んだ。

「さて」

 柳沢は手を組んだ。

「本題に入りましょう。我々は、停戦協定を提案したい」

「停戦協定……」

 冴子が復唱した。

「具体的には?」

「簡単です」

 柳沢は書類を取り出した。

「解放戦線は、武装を解除し、政府に降伏する」

「降伏?」

「ええ。その代わり、我々は君たちを罰しない」

 柳沢は笑った。

「恩赦を与えます。全員、無罪放免です」

 結衣は驚いた。

 本当に?

 それなら――

 戦いが終わる?

「だが、条件がある」

 柳沢の目が、鋭くなった。

「君たちは、政府の管理下に入る」

「管理下?」

「ええ。定期的な検査。行動の監視。それらを受け入れてもらう」

「それは……」

 冴子が言葉を詰まらせた。

「自由を奪うということですか?」

「いいえ、保護です」

 柳沢は否定した。

「覚醒者は、危険な存在です。だからこそ、適切に管理しなければならない」

「我々は、道具じゃない!」

 紫苑が叫んだ。

「一人の人間だ!」

「もちろん、わかっています」

 柳沢は冷静だった。

「だが、力には責任が伴う。君たちの力は、一般市民を脅かす可能性がある」

「私たちは、そんなこと……!」

「では、聞きましょう」

 柳沢は紫苑を見た。

「あなたは、堕天者ですね」

「……はい」

「暴走したら、どうなりますか?」

「それは……」

 紫苑は言葉に詰まった。

「何人、殺しますか? 十人? 百人? 千人?」

 柳沢の言葉が、紫苑を刺した。

「だからこそ、管理が必要なのです」

 柳沢は書類を冴子に渡した。

「これが、停戦協定の詳細です。よく読んで、決めてください」

 冴子は書類を受け取った。

 目を通す。

 その顔が――

 徐々に険しくなっていった。

「これは……」

「どうかしましたか?」

「これ、実質的に……」

 冴子は怒りを込めて言った。

「奴隷契約じゃないですか!」

「奴隷とは、心外ですね」

 柳沢は眉をひそめた。

「これは、相互の安全のための協定です」

「嘘を言わないでください!」

 冴子は書類を叩きつけた。

「この条項を見てください! 『政府の命令に従う義務』『拒否した場合、処罰する権利』」

「これのどこが、自由なんですか!」

 冴子の怒りに、柳沢は冷たく笑った。

「やはり、あなた方は理解していない」

「何を?」

「覚醒者は、人間ではないということを」

 柳沢の言葉に、三人は凍りついた。

「何を言って……」

「覚醒者は、進化した存在です。もはや、人間とは別種です」

 柳沢は立ち上がった。

「だからこそ、管理が必要なのです。野放しにはできない」

「ふざけるな!」

 紫苑が剣を抜こうとした。

 だが――

「動くな」

 佐藤将軍が拳銃を構えた。

 同時に、部屋の扉が開いた。

 武装した兵士たちが、なだれ込んできた。

 十人。

 いや、二十人。

 全員、銃を構えている。

「これは……!」

「罠か!」

 冴子が叫んだ。

「やはり、そうだったのか!」

「罠? いいえ」

 柳沢は冷たく笑った。

「これは、交渉です。ただし、選択肢は一つしかない」

 柳沢は三人を見た。

「降伏するか……死ぬか」

「くそっ……!」

 結衣は魔法を構えようとした。

 だが――

「待て、結衣!」

 冴子が制した。

「ここで戦っても、勝ち目がない」

「でも!」

「落ち着け」

 冴子は深呼吸した。

 そして、柳沢を見た。

「一つ、質問がある」

「どうぞ」

「なぜ、こんな茶番を?」

 冴子は冷静に聞いた。

「最初から、武力で捕らえればよかったはずだ」

「ああ、それは……」

 柳沢は笑った。

「見せしめです」

「見せしめ?」

「ええ。あなた方が、自ら降伏したという既成事実を作る」

 柳沢は窓の外を指差した。

「外には、報道陣がいます。彼らに、あなた方の降伏を見せる」

「それで、他の覚醒者たちに――」

「そうです。抵抗は無意味だと、知らしめるのです」

 柳沢の笑みは、悪魔のようだった。

「さあ、決めてください。降伏か、死か」

 冴子は拳を握りしめた。

 悔しさで、震えていた。

 だが――

 選択肢はなかった。

 ここで死んだら、全てが終わる。

 解放戦線も。

 仲間たちも。

「……わかった」

 冴子は言った。

「降伏する」

「冴子さん!」

 結衣と紫苑が叫んだ。

「いいのですか!?」

「仕方ない」

 冴子は二人を見た。

 その目には――

 何か、意図が込められていた。

「今は、従うしかない」

 冴子は柳沢に向き直った。

「だが、一つだけ条件がある」

「条件?」

「結衣と紫苑は、解放してくれ」

「何を言って……!」

 紫苑が抗議しようとした。

 だが、冴子は手で制した。

「彼女たちは、まだ若い。未来がある」

「私だけでいい。私を捕らえろ」

 冴子の言葉に、柳沢は考え込んだ。

「……いいでしょう」

「本当ですか!?」

「ええ。ただし――」

 柳沢は条件を出した。

「二人は、二度と解放戦線に関わらないこと」

「わかった」

 冴子は即答した。

「結衣、紫苑。行け」

「で、でも……!」

「いいから! 早く!」

 冴子の叫びに、二人は迷った。

 だが――

 紫苑が結衣の手を引いた。

「行こう、結衣」

「でも、冴子さんを……!」

「冴子さんの覚悟を、無駄にしちゃダメ」

 紫苑の目には、涙が浮かんでいた。

「……わかった」

 結衣も涙を流しながら、頷いた。

 二人は、部屋を出ようとした。

 だが――

 その時。

「待ちなさい」

 山田博士が立ち上がった。

「彼女たちを、逃がすわけにはいきません」

「何?」

 柳沢が驚いた。

「どういうことだ?」

「特に、紫苑さん」

 山田博士は紫苑を見た。

「あなたは、貴重な研究材料です」

「研究材料……?」

「ええ。堕天者の力を解明すれば、我々は究極の兵器を手に入れられる」

 山田博士の目が、狂気に染まっていた。

「あなたを、解剖させていただきます」

「何だと!?」

 冴子が叫んだ。

「話が違う!」

「ええ、嘘をつきました」

 柳沢は冷たく笑った。

「最初から、三人とも捕らえるつもりでした」

「貴様……!」

 冴子が柳沢に飛びかかろうとした。

 だが――

 銃声。

 冴子の肩に、弾丸が命中した。

「ぐっ!」

『神崎冴子:HP 300/650』

 冴子が倒れた。

「冴子さん!」

 結衣と紫苑が駆け寄った。

「大丈夫ですか!?」

「く、くそ……」

 冴子は血を流しながら、二人を見た。

「逃げろ……今すぐ……!」

「でも!」

「いいから!」

 冴子は緊急信号発信器のボタンを押した。

 ピッ。

「信号を送った……山本が、すぐに来る……!」

「冴子さん……!」

「お前たちは、生き延びろ……解放戦線を……頼む……!」

 冴子の目から、涙が流れた。

「頼んだぞ……」

「冴子さん!」

 だが、兵士たちが二人を捕らえようとした。

「逃がすな!」

「くそっ!」

 紫苑が剣を抜いた。

「【魔剣解放(ダークブレイド)】!」

 黒い剣が、兵士たちを薙ぎ払った。

『政府軍兵士×5撃破』

「結衣、窓を!」

「わかった!」

 結衣は窓に向かって魔法を放った。

「【光の槍(ホーリーランス)】!」

 窓ガラスが砕け散った。

「飛び降りるよ!」

「え!? ここ、最上階だよ!?」

「大丈夫! 私が受け止める!」

 紫苑は結衣を抱きかかえた。

 そして――

 窓から飛び降りた!

「きゃああああっ!」

 結衣の悲鳴が、空に響いた。

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