このクソッタレな世界を終わらせよう

帯川 颯太郎

第0話 プロローグ

 ◇


 嗚呼ああ────私の愛した国が終わった。


 物悲しさだけが残る灰の大地で、少女は琥珀色の眼を伏せ、自らが壊した箱庭の死をいたんだ。


 愛が無くなった。欲が無くなった。血が無くなった。気温が無くなった。闘争がなくなった。美しさが無くなった。あるのはただ、水を打ったような静けさだけ。


 ────でも、まだこれだけ。


 少女は悔いる。そして、伏せていた眼を上げ、地平線の向こうを見つめた。 その瞳は、常人が目を合わせれば呼吸が止まるほど冷たく、あまりにも虚ろ。


 ────汚れが残ってる。汚濁だらけだ。綺麗にしないと。


 その瞬間、少女の呪いは世界へ向け、行進を始めた。いつ止まるのかは分からない。もしかすると、行進は止まらないのかもしれない。そう、世界が美しく壊れる、その時まで────。


 ◇


「この度はご愁傷様です。七織 仁ななおり じんさんですよね?」

「はあ」

「やっぱり!私、千太郎先生と古い交流があってですね────」


 まただ。


 吊り上がった口角。弧を描いて垂れ下る眼。小さく角度をつけて曲がった腰。下心が見え透いたその態度すべてに俺は嫌悪感を覚えた。


 京都府某所────。祖父の通夜が行われるその斎場には、祖父の親族、知人、友人など多くの人が集まっていた。かく言う俺も例に漏れず、こうして渋々訪れたわけだが……。


「────で、どうですか?今度私の家で会食でも!」


 吊り上がった口角をさらにせり上げて目の前の男は言った。


 行くわけねぇだろ。


 そんな悪態を内心吐きつつも、俺は即座に相手と同じ作り物の笑みを返す。


「すみませんがこういった場ですので、そのお誘いにはお答えできません。お引き取りを」

「あっ……。そ、そうですよね。大変失礼いたしました……。ではその……またの機会に……」


 想定外の答えだったのか、男はぎょっと顔を歪めてそそくさと去っていった。


 そんな顔するなら最初からわきまえていればいいものを。今日に入って三度目だ。


 俺の家、七織家は明治期の貴族。いわゆる旧華族の家柄だ。以前までは小さな企業を数個ほど持つだけの無名の家だったのだが、祖父が当主になり全てが一変した。


 七織千太郎。俺の祖父は自らの力で大企業をいくつも育て、地域活性にも尽力、さらには政界進出となんでもありの人だった。


 そして俺はそんな偉人の孫。この機会に唾をつけておこうとする輩が発生するのも頷けるだろう。


「けどなぁ……。」


 苦笑と一緒に、小さなため息が溢れた。その時、真っ白なエントランスに鈴のようによく通る高い声が響いた。


「仁兄様!!」


 声の方を向くと、長い黒髪を下ろした可憐な少女が転がるように駆け寄ってきた。俺はその子に見覚えがある。


「小春じゃないかっ!久しぶりだな!」

「はい!三年ぶりです!」

「三年……もう、そんなに経つか」


 小春は俺の妹だ。三年前、俺がまだ十三歳で小春が十歳の頃に離れ離れになったきりだったが、こんな場で再会するとは……。


 感慨深さを噛み締めて、俺は一回り小さい小春の頭を優しく撫でた。


「綺麗になったな、小春」

「そんな……仁兄様も大人びて、その……かっこよくなられましたね……」


 頭を撫でられたからか、それとも褒めることへの気恥ずかしさからか、小春は俯いて答えた。髪の隙間から覗く頬はやや赤面して見える。


 久方ぶりに見るその微笑ましい姿に笑みを浮かべていると、またもや後ろから声が掛かった。


「おい小春。そいつを兄なんて呼んでんじゃねーよ」


 見ると、歳の離れた三人の男女が俺を睨んでいる。

 その中でも一際生意気そうな少年が小春にまた告げる。


「忘れたのか?そいつは妾の子。俺たちとは兄弟なんかじゃないのさ」


『兄弟じゃない』その言葉に小春の体がぴくりと揺れた。


「そんなことありません!腹違いであっても兄は兄!!それを呼ぶことの何がいけないのですか!!」

「なっ……!」


 小春の激昂に少年……訂正。俺の弟はビクッと動揺したように、たじろぐ。


 どうやら、何に対しても物怖じしない勇気はあの頃と変わっていないらしい。俺は自分のためにいかる小春に瞳を窄めた。


 妾の子。弟が言った内容に嘘はない。小春たちと俺は腹違いの兄弟だ。

 妻の元に生まれず、父がメイドに手を出して生まれた子。それが俺。中々にクソッタレな出自だと今でも思う。


 すると、小春に言い返された弟は負けじと俺を指差して吠えた。


「はっ!!愚かなメイドが出産で命を落とし、おじい様の計らいで七織家に入っただけの身の程知らずが兄だと?そんなの俺は認めない!!」


 侮蔑、怒り、嫌悪、差別。その瞳にこもった感情に永遠と晒され続けた苦い記憶が沸々と蘇り始める。


 弟の言うように俺は母の顔を知らない。病弱であった母は出産と同時に息を引き取り、それを哀れに思った祖父が七織家に迎え入れてくれた。だが、そんな唯一の味方であった祖父もほとんど家にはおらず、もはや俺の居場所は七織家に存在しなかった。


「まるで一家の汚点ね」


 無言のままの俺を見て、長女が嘲笑気味にこぼす。すると再び、小春は俺のために声を震わせて叫んだ。


「春子姉様までなんてことを言うのですか!!」

「だってそうでしょぉ?私たちに散々苔にされて、いじめられて、虐げられて。でもお祖父じい様に気に入られてるからって、いつまでも家にしがみついていた寄生虫ゴミムシなのよ?妾の子ってだけで恥なのに、どこまでそれを上塗りする気なのかしら〜?」

「そうだ!お祖父様が病床に伏してからは、母様に家を追い出されて親戚を盥回たらいまわしにされていたくせに生意気なんだよ!!」


 あの頃と全く変わらない態度の家族に、俺は小さく嘆息をこぼす。


 俺は孔雀くじゃくの群れに紛れ込んだ鶏だ。七織家という孔雀たちからしてみれば俺はさぞ醜く映るだろう。


 だが、そんな孔雀の群れにも救いはあった────。


「兄様……」


 目の前でガラス玉のような瞳を潤わせ、こちらを見上げる小春の存在だ。


 醜い俺を、小さいながらもその美しい羽で必死に包もうとする小春だけが、俺に生きる意味を与えてくれたんだ。


 だから……唯一俺を兄と慕ってくれる妹を悲しませることだけはあってはならない。


 俺は上目遣いを続ける小春の頭を撫でて、苦笑と共に────


「どうやら、成長したのは小春だけみたいだな」


 醜い孔雀どもに向けて皮肉を言ってやった。俺の言葉に、小春はきょとんとした表情を見せる。だが、すぐにくすっと小さく吹き出して────


「そうみたいですね」


 楽しそうに顔を綻ばせた。その笑顔はどんな美しい翼よりも輝いて見えた。


「おい何コソコソ喋って────」

「何をしているんだ」


 怪訝そうな義弟の声を遮るように、奥から一人の長身の男がぬっと姿を現した。それは俺の父、七瀬 源次郎に間違いなかった。


「久しぶりだな仁」


 俺は短く息を呑んで、その巨躯を見上げた。


「……お久しぶりです」

「それで……」


 会話を続ける気もないのか、源次郎はふいっと視線を小春と弟の元に移す。


「お前たちは通夜だというのに何を喧嘩しているんだ。恥を知れ」

「すみません……」

「ごめんなさい父様……」


 その長身から出る凄みに、両者とも顔を俯かせて小さく謝罪を口にする。それを見届けると、次は全員に向けて口を開く。


「お前たち、もうすぐ通夜が始まる。準備を済ませて席についておきなさい」


 俺含め、兄弟全員が父の言葉に頷く。


「ところで父様、母様はどこに?」


 それまで黙っていた兄が辺りを確認しながら源次郎に問う。すると源次郎は俺をチラリと見やったかと思うとすんなりと答えた。


「あいつはもう席に着いている」

「そうですか。分かりました」


 兄は軽く会釈して場を離れていく。それに続いて姉と弟も、最後に俺を睨むことを忘れず去っていく。


 場には小春と俺、そして源次郎だけが残った。エントランスを出入りする人の波が俺たちの周りだけぽっかりと空いている。


「悪いな、あいつにも挨拶するように言ったんだが」


 源次郎がそう口にする。あいつとは義母のことを言っているのだろう。


「いいですよ。あの人も俺とは会いたくないでしょうし」

「そうか」


 三年前、目障りで家を追い出した子との再会。気まずくて耐えれたもんじゃないだろう。むしろこうして平然と会話できている源次郎の方がおかしいと言える。


「大丈夫ですよ父様。仁兄様の話し相手は小春が請け負うので!」


 小春は俺の腕にしがみついて言った。腕に当たる感触が……うん。やはり成長している────ッ!!


 くわっと目を見開く俺を横目に、源次郎は無表情のままこちらに背を向けて一言。


「任せたぞ」


 それだけ言い残して去っていった。


 他人に興味を持たず、我関せずを貫くスタンス。やはり変わっていないようだ。


 そしてその後、順調に通夜は進んでいき、やがて俺の焼香の番がやってきた。


 棺の前。手に持った一本の線香からは、羽衣のようにうねる煙が立っている。


 小さく息を吐き、視線を落とす。そして、灰が綺麗にならされた香炉に線香を立て、俺は手を合わせた。


 片手で数える程度しかあったことのない祖父。だが、それに比べてもらったものが大きすぎる。救ってくれた命、小春に出会わせてくれた環境、ここまで費やしてきてくれた金。その全てに俺は感謝を伝え、閉じていた目を開けた。


 瞬間、涼しい風が顔を撫でた。叔父を飾る供花と真っ白な壁に囲まれていたはずの景色は灰色に染まっていた。


 ────────??????


 理解が及ばないその景色に俺の思考が一瞬停止する。


 確かめるようにもう一度目をこする。だが、周りに広がる光景は相変わらず────灰、灰、灰。


 脳が理解を拒む。だが、否応なく自覚させられる、その光景に俺は息を呑んだ。


 ここは────葬儀場なんかじゃない……。というか……地球ですらないんじゃないか────?

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