身代わりの名を呼ぶまで

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プロローグ

 ひなは、炎に起こされた。

 

 家が軋む音。

 焚き火をさらに鋭くしたような焦げた匂いが、夢の中に滲んでいく。

 誰かの叫び声、怒号、悲鳴──いくつもの不協和音な音が、雛の耳に押し寄せた。


 朦朧とする意識の中、視界を塞いだのは、布団を焼く朱色の炎だった。


 息を吸うたび、熱と煙が喉を刺す。“逃げろ”と心の奥で声がするのに、身体は鉛のように動かない。

 七歳の雛は、強く目を閉じれば魔法のように炎など消えてしまうと信じていた。


 だが炎は確実に雛の元へと迫っている。


 恐怖で強張った小さな指先は、布団の縁を強く握りしめることしかできなかった。


 炎が雛の髪を燃やそうと襲いかかったその瞬間、不意に、身体が宙を舞った。


 指先からうさぎのぬいぐるみが滑り落ち、爆ぜる炎の中へと吸い込まれていく。白い毛並みがチリチリと黒く縮れ、瞬く間に骨組みだけになっていくのが見えた。

 

 叫ぼうとした喉は、煙で焼かれて音にならない。

 瞼が焼けるほど熱く、誰が助けてくれたのかさえ見えない。

 パキパキと、炎が何かを焼いていく音だけが、はっきりと聞こえた。


「おにぃ……ちゃ……、おねぇ……ちゃ……」

 声を出したつもりだったが、実際は咳き込むことしかできなかった。

 意識が朦朧とし始めた頃、不意に自分を抱きかかえる腕の感触があった。


 自分を抱き上げた人物からは、石鹸か、煙か、――あるいは、もっと鼻をつく油のような匂いがした。


 

 焼け落ちる音が奏でる中、耳元で祈りにも似た声が、ひとつなのか、ふたつなのか、わからないまま響いた。


「──生き延びろ。……ごめん、ごめんね」









 それが、七歳の私が最後に見た炎だった。

 



 あの夜、私を抱き上げたのが、本当に“兄“だったのかどうか、今もわからない。




 そして十三年後、私は“あの炎を起こした人間“の名を、あの村で知ることになる。

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