ガイディング・スター

水円 岳

第一話

「ううー、さぶさぶ」


 仕事帰りにコンビニで晩飯を仕込み、冷え切ったアパートの部屋に戻る。こんなことなら中古のワンルームマンションでも買っておけばよかったと思うものの、さすがに五十過ぎてからしんどいローンを組む気はしない。

 二年前、それまで住んでいたおんぼろアパートの取り壊しが決まって退去を余儀なくされたが、今住んでいるアパートは築浅だから当分大丈夫だろう。通勤に時間がかかるようになった反面、駅近で買い物が便利になった。生来ものぐさな俺の腰がますます重くなったのは、加齢のせいではなく新住居の環境が良すぎるから……ということにしておこう。


 ただなあ。生活環境が整っていれば人も多くなる。郵便受けの中をDMとチラシでぱんぱんに膨らませるのは勘弁してほしい。新聞もとってないのに、資源ゴミ回収の日に古紙が出せるってのはいかがなものか。

 とかぶつくさ言いながら、山のような雑紙を郵便受けから引っ張り出して、ビニ弁の入ったエコバッグに放り込む。チェックなしで全部ゴミ箱にぶち込みたいんだが、役所からの公的書類も混じっているからそういうわけにもいかない。この前、駐禁で切符切られた時の反則金納付督促はがきを危うく捨てそうになったからな。駐禁ごときで前科をつけられたんじゃ、たまったもんじゃない。


 冷え切った部屋に入ってすぐにエアコンを入れ、エコバッグから雑紙をつかみ出して洗濯かごに放り込む。どこかにまとめておかないと、すぐに部屋が散らかっちまうからな。

 弁当を電子レンジに入れてお任せで温めている間に、ラインをチェックする。こちらも郵便受けのチラシに負けず劣らずのお得情報ばかりで、目を通す価値のあるものはほとんどない。特にクリスマス直前は独身者に縁のないものばかり勧めてきやがって、鬱陶しいことこの上ない。そんなに嫌ならとっとと友達登録を外せよと言われそうだが、目先の特典やポイントにつられてぶくぶく膨れ上がった友達リストを整理するのがどうにも面倒臭い。結局、まあいいやになってしまう。


「おっと」


 あぶないあぶない。いつものようにろくに見もしないで全部既読にするところだった。


「岩倉じゃん。どうしたんだ、今頃」


 岩倉は俺と同い年のダチだ。俺は一人っ子で兄弟がいないので、ガキの頃から兄弟感覚でずっとつるんでいた。あいつは頭が良くてはしっこい。メンもいい。ただ、腕力はからっきしで堪え性もない。俺はあいつのちょうど正反対だから、でこぼこがかみ合ってうまいことやってこれたんだろう。

 小中高でずっとコンビでいろんなバカをやらかしていたが、あいつが東京の大学に進学してからはメールやラインでのやり取りだけになった。互いのことは知り尽くしているのでまめに近況を報らせ合う感じではなく。おーい生きてるかあという消息確認の感覚で、年に一度か二度連絡を取っていた。


「そういやここ一年、あいつからの返事がなかったなあ」


 俺も大概ぼけてるな。二人揃ってアバウトだから、既読がつけばそれでいいと鷹揚に構えてたんだが。


「あー、なんだって?」


『弾ちゃん、すまん。すっかりご無沙汰してる。やっぱアメリカは遠いな。仕事が忙しくて今年もそっちには帰れそうにない。代わりにといってはなんだが、客が弾ちゃんとこに行くから会ってやってくれ。頼むな』


「おいおいおいおいおいおい」


 携帯にツッコミを入れてもしょうがないんだが。久しぶりに返事をよこしたと思えば、なんだこれ。客だあ? アメリカからってことはガイジンさんだよなあ。俺が英語なんざしゃべれるわけないだろ! てか、何時にどこでとか一切書いてないし。いくら付き合いが長いからって、これはあんまりだぞ。

 呆れ半分、怒り半分で返信文を打ち始めたところで呼び鈴が鳴った。


「ちょ! 冗談だろ!」


 慌ててドアスコープ越しに相手が誰かを確かめたんだが。絶句してしまった。金髪、青い瞳。長身。スタイルのいい白人女性だ。それがぞっとするような美女なら、俺は絶対にドアを開けなかっただろう。だが。

 ドアの向こうにいるのは、紛れもなくおばさんだった。そして彼女は、訛りのない流暢な日本語で俺を呼んだ。


「弾ちゃん。いるんでしょ? 久しぶり」


 だ、誰だあ?

 ドアを開けようか開けずに追い返そうか、しばらく悩んだ。でも、彼女は「久しぶり」と言った。俺はどこかで彼女に会ったことがあるんだろう。それがいつどこでだったのか記憶にないんだが。岩倉が「客」と言ったのだから、俺だけでなく岩倉にも共通の知己。どうしてもすんなり思い出せなかった俺は、結局好奇心に負けた。


「どなたか存じませんが。どうぞお入りください」

「ありがとう」


 喜ぶでも拗ねるでもなく、彼女もまたいくらか好奇心に乗せられるようにして部屋に入ってきた。


「ふうん、独房みたいねえ」

「五十男の一人暮らしなら、こんなものじゃないかと」

「あら、そうなの?」


 馴染みのないオトコの部屋に入ることを警戒している様子はない。そして、彼女が下げているでかいビニール袋からは旨そうな匂いがぷんぷん漂ってきた。たぶん、フライドチキンだな。


「申し訳ない。岩倉から客が私のところに来ると連絡が来ていたんですが、あなたがそのお客さんですか」

「他人行儀ねえ。あの頃は取っ組み合いしてたのに」


 取っ組み合い? つーと、俺らが相当ガキの頃だな。それでやっとこさ思い出したんだよ。俺も大概鈍臭い。俺と岩倉共通の知り合いなら……マリーしかいないじゃん。


「もしかして。マリー?」

「やあっと思い出してくれた。まあ、あれから四十年も経ってるものね」

「げ……」


 いくらガキだったとはいえ、あの頃の俺らはどうかしていたんだろう。まさに黒歴史だ。俺は驚きと苦笑をとっかえひっかえしながら、マリーが持ち込んだフライドチキンのでかいバレルを凝視していた。彼女の顔なんざ、正面から見られやしない。


◇ ◇ ◇


 ちょうど小三になった時。俺と岩倉のいたクラスに転校生がやってきた。パツキンの美少女だ。クラスの男子は色めきたち、女子は嫉妬でもだえた。もし彼女が英語しか話せないおしとやかな女の子だったら、虚像は長持ちしたんだろう。だが、マリーはこってこての武闘派だった。

 日本語ぺらっぺらで汚い言葉も容赦なくぶちかます。その上、口より先に手が出た。クラスの腕自慢の男子を残らずぶちのめし、あっという間にクラスボスの座に着いた。マリーが唯一勝てなかった相手が俺だったんだよ。俺はぼけっぱあだからマリーの挑発には乗らなかった。それだけの理由だけどな。


 マリーは、お父さんの仕事の関係で二、三年に一度転校しなければならないらしい。で、お父さんの仕事ってのが教会の牧師さんというのはまるっきり俺らの予想外だった。牧師の娘が武闘派って、どうよ? 右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ、じゃなかったのか? 倍返しどころか、万倍返しのマリーとのギャップは凄まじかった。


 それでも。俺らはガキだったから、がらっぱちなマリーにすぐ慣れた。マリーは誰とでもフランクにやり取りしたが、ど突き合いに唯一加わらなかった俺にご執心で、相棒の岩倉を加えた三人でバカをやることが多かった。クラスは四年も持ち上がりで同じだったから、一年間これでもかと三人で遊び倒したんだ。ただ……マリーはいずれ転校する。俺たちから離れるんだ。別れに耐えられなかったのは俺でもマリーでもなく、岩倉だったんだよ。子供心にマリーを好きになったんだろう。


 岩倉は、四年の後半からマリーの親父さんが牧師をしている教会の日曜学校に通うようになった。日曜くらい自分の好きに遊びたい俺は、岩倉に付き合うつもりなどなかったんだが。一緒に行ってくれと泣きつかれて、通う羽目になってしまったんだ。

 もっとも、『学校』と行っても実質お茶会だ。大人の礼拝が終わったあとで、信者さんの子供たちとお菓子を食い散らかしながら遊ぶだけだから、俺もまあいいかと割り切れた。マリーと一緒に過ごせる時間を少しでも確保したい岩倉の気持ちは痛いほどわかったからな。

 しかし。しかあし! マリーは日曜学校をほとんどとんずらしていた。いいのか? 牧師の娘がそんなことで? 日曜学校に行けば小学校以外でもマリーに会えると信じ込んでいた岩倉の落ち込みようは半端なかった。だからといって「マリーがいないからもう来ません」と言えるはずのないチキンの岩倉と、岩倉の巻き添えを食ってしまった俺は、ずるずると日曜学校に通い続けた。牧師さんとマリーが次の任地に向かうまでの、半年間だけだったけどな。


 まあ、いかんせんガキの頃の話だ。どんなに恋慕の情が濃くても、去る者は日々に疎し。ああそんなこともあったなあといつしか記憶の底に埋もれていき、薄れるのが普通だと思う。実際、俺はマリーのことを数ある思い出の一つとしか留め置いていなかった。

 だが……岩倉はそうじゃなかったんだろう。


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