凡悼日記

犬猫あれとぴー

4月11日 ( ) 雨

 その日、4月の11日は例年よりも少しばかり蒸し暑い上に、軽い雨が降っていた。サーサーという音が今でも微かに聞こえてくるほど、印象的な小雨だった。けれども、それは段々と雨らしくなった。式場に着いた頃は傘を差すか、差さまいか迷うほどの弱ったらしい雨だったのが、今は外装の屋根や壁に当たってくる程の雨になっている。会場の出入口にいちばん近い席に居た私は、外の優しいしっとりとした雨音を薄く聞き入れながら、内の木魚やお経やすすり泣きを眺めて、ふとした邪念に浸ってしまっていた。


 誰にだって、死ぬことは平等だろう。しかし、死んだ後の道は、誰しも平等ではないのだろうと。


 私が死ぬことは決まっているし、死んでしまえば私は私を気にかけなくて済む。けれど、私が死んだ後、私を気にかけてくれる人は、一体どれ程いて、どれ程気にかけていて、一体死んだ私をどうさせるのか。私はそれを今、考えてしまった。


 本来ならば、こういう場所では、主役と言ってはなんだが、その人のことを強く悔やみ、強く想い、天へ届ける事が最重要で、自分のことは後回しで、その人その人その人と、なることが、なるべきなのだろう。そうしてみると、今の私というのは、とてつもなく薄情な人で、薄汚い人だなと、今でもよく思うのです。


 それでも、私は考えた。だって、わからないもの。何回も自分の死の流れを経験する人なんて、存在しないから。と思った矢先、葬儀屋さんがいるではないか考えついた。確かに、彼らなら自分の死とはいえまいが、他人の死の流れについて幾度となく経験があるし、知識もあるし、今の私なんかよりもずっと、その主役を残念に思っていることだろう。けれど、彼らも彼らで商売の一つであるだろう。彼らから伝えられること全ては金銭が関わるだろう。こう考えてしまっては、なかなか居心地が定まらないように思えてきた。


 どこまで言っても私は金というものに目くじらを立ててしまう悪癖があるのだと気づかされる。他人と言えども死は死であるのに、そんな時でも金がどうやらこうやらと考えてしまう。これなら最早、自分を豊かにするのに金を追っているつもりが、金が金がと金に追われ、ついには金に殺されるのではないのかと思えてくると、どこからか痺れを切らした汗どもがじんわりと肌に馴染んでくるのだ。


 そんな時、ちょうど私の番に回った。はっとして、浮き足立つ私を掴んで立ち上がり、彼の顔を見るためにそこまで歩いた。


 歩けば歩くほど、誰彼の泣きの音は強まって、悲しみの深層へ沈んでいくようだった。歩けば歩くほど、誰彼の顔は手や布で覆われて、視界の彩度が落ちているようだった。けれど、そのグラデーションは悲しみだけを表すものではないのだろう。それとは対照的に、彼の祭壇の花々は色鮮やかで、目に跡が残るくらいに綺羅綺羅していた。彼の顔を見た時、彼は死んでいるようには見えなかった。まだ自分の意思で誰かを愛して、誰かに愛されているようだった。


 今になってもまだ、邪念は居座っている。

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