血と知を探す僕のちょっと変な日常
灰ノ心
本編
何を持って幸福と言えるだろうか?僕の場合は新しい発見だとか、素晴らしいサンプルを見つけたりだとかそういった時に感じるかな。僕は研究を生き甲斐にしてるからね。
…可能ならば全てが裏返るような大発見をしてみたいものだね。笑いが止まらなくなるような奴さ。
1
南部72地区にて
「血液採取って面倒くさいな」僕は独り言のようにカインにぼやいた。
「だから言ったじゃありませんか。ロワ様が来るような所ではないと」カインは呆れたように僕に返す。
「あがって来るデータだけ眺めていても、新しい発見なんて出てこないからね。あと、ここでは僕は助手なわけだから呼び捨てで構わないよ」
「夜は誰も来ませんし…主人を呼び捨てにするのは馴れんのですよ」
カインは今日取った遺伝子情報を僕の第二の脳に紐づけながら返す。
「しかし、大したものだ。昼間は本物の医者のようじゃないか」
カインを持ち上げつつ、目を閉じて先程紐づけされたデータを丁寧に見渡す。…特に面白いものはない。
「医師免許なんてなくても第二の脳があれば多少はわかりますからな。あとはどっしり構えていればいいだけですよ」カインは笑顔で言った。
医者だとか助手だとか…まったくおままごとだな。まぁ僕の発案なわけだが。
「それもそうか。そもそも血液さえ手に入れれば別になんだっていいわけだしね」
「はい、仮に大病人が来たところで、彼らにはお金がないですからね。適切な薬を無償で提供している時点でロワ様のおこないは尊いと思います」
尊いね。彼らの人生や境遇に何の想いもないのに?
いや、僕の研究者としての姿勢にか?
「…なんだっていいんだけどさ。もう一週間だろ?何にも出てこないって事はこのアイディアは失敗だったかな」
この一週間で取ったサンプルは計258名。未発見の遺伝子どころか…レア遺伝子、レア配列も出てこない。どころか観察したくなるような奴も特にいない。
「まぁ我々には200年集めた膨大なデータがありますからね、簡単にはいかないでしょうな」
カインとの雑談の最中、体の中でアラートがなった。第三の脳と施設内カメラを同期していたからか。
「カイン。監視カメラの映像出して」
「はい」
カインは手早くモニターを割当てると見せてくれた。
「強盗ではなさそうか…。怪我した男ですね」
「面白そうだ。通して」
僕はすかさず言った。
「いやロワ様。こんな時間に来る時点で常識がない。対応の必要はありません」カインはピシャリと言った。
確かにそれもそうか。もう日も落ちて、数時間は経つ。
…面白いかも知れないな。ちょっとしたアクシデントはそろそろ欲しい。
「ここの連中って悪い意味で安定してるだろ?だからこういうマイノリティ側のデータも取っておきたい」
それっぽい事を僕が言うとカインは渋々ながら了承してくれた。
「…わかりました。危険を感じたら、主の判断を待たずして動きますが構わないですね?」
先程の和やかな雰囲気とは違い緊張感を感じさせるように険しい顔に変わる。カインは心配性だなと少々呆れた。
ドアを開けると左瞼に腫れ、唇と首筋に切り傷、右手に包帯を巻いた若い男が入って来た。
身長は僕らより小さい。170センチ代前半くらい。見たところ満身創痍のはずなのに、右目には強い光があり、妙な迫力があった。
「こんな夜中にどういった御用で?確かに我々はボランティアで医術を施しているが、24時間というわけではないんだがね」
カインは白衣を羽織りながら、少々トゲのある言い方をした。
「すんません、先生。町で噂を聞いてさ。なんでも治せるスゲェ先生がいるって」町ではそんな噂になっているのか。僕はちょっと可笑しくて笑いそうになるのを堪えた。
「私は内科だから、君の外傷は治せないが…診てやろう。とりあえず後ろ向いて、タグ読み取るから。あと左腕を出しなさい」
カインは後頭部のチップを読み取ると採血器を男の左腕に装着し始める。僕の第二の脳にテレパスしてきた。ここはすべて私がやりますから、ロワ様は下がって下さい。
僕は即座にそれには及ばないと返事をすると一歩前に出て採血器の装着を変わった。
カインの視線を一瞬感じたが、気にせず作業しているとカインは諦めたようで男に声をかけた。
「レイジさん、歳は22ね。何故そんなに怪我をしている?あと右手も見してみなさい」
僕は採血器の装着を終えると、第二の脳にアクセス。彼の登録データざっと洗う。
面白いものは特にない。よく居る違反者の子供で個体等級は最下層。…遺伝子情報も取り立てて面白いものはない。
ちらりと彼の様子を伺うとカインに言われるまま素直に従っていた。
「試合だよ。ちょっとミスった」
試合?視線を彼の右手に向けると、包帯をカインが丁寧に取っていた。
「…君の右手酷い状態じゃないか。一体何の試合だね?」
「格闘技だよ」
「なるほど。負けるとただではすまないようだね」カインは彼の怪我から察してそう言った。
「いや、勝ったのは俺だ。…んで来週、大切な試合があんだよ。なんとかならねぇか?」
彼はどの程度の選手なのだろう?いや、試合後にまともな治療を受けていない時点で大した選手ではないか。
「来週?なんともならんよ。…君の右拳たぶん折れてるよ。最低でもヒビは入っている」
今取れた血液から早速データを精査する。
まったく変異はない。ありふれた雑多な遺伝子のままだ。
少しだけ期待していたのだが…まったく面白くもない。
「右手が逝ってるのはわかってんだよ。頼むから目が見えるようにしてくれよ」
「えっ?その手で試合すんのかい?」
カインが驚いたように声を出す。
「視界さえ見えりゃ…やりようはあんだろ」
彼の声が少しうるさいからどうしても二人の会話が聞こえてくる。視線を移すと視界に彼の右手が入った。腫れ上がりパンパンな赤黒い手だった。
選手生命とかはわからないが、冷静に考えて最悪右手が使えなくなるわけだが…彼はわかっているのだろうか?少し疑問に思ったのでカインにテレパスした。
「いや、あなたの右手使い物にならなくなりますよ。格闘技ってそんなに甘い世界じゃないでしょ?最悪引退だってありえる」
「それは仕方ねぇ。これ以外に道がねぇからな」
つまらないと思ったが…ちょっと彼に興味が出てきたな。この状態で勝っても面白いが、拳が砕かれて打ちひしがれる様はもっと面白い。…彼の持ってる遺伝子、配列をちょっと精査してみるか。
「瞼の塗り薬と鎮痛剤用意して来ます」僕はそう言うと。顔がニヤケるのを我慢しながら、歩を進めつつ、カインにテレパスする。
彼、頭悪そうだし聞いたらなんでも教えてくれそうだから、触診とかしながら夢とか目標とか聞いといて。
「レイジさん。あなたの目標は?この道しかないって、チャンピオンにでもなりたいんですか?」
親身な雰囲気の声色でカインが言った。役者だね。
「いや金が欲しいだけだよ。早く個体等級をあげてよ。第二の脳だっけ?あぁいうのも手に入れてさ…とにかく金が必要なんだよ」
「なるほど。個体等級に第二の脳。手術費用は確かに高額ですからね」
「ホントふざけてるぜ。第二の脳がないとまともな仕事さえねぇ」
「何をするにしても、生身では限界がありますからね」
「先生も持っているのか?」
「私の仕事では必須ですからね。…しかしどんなに素晴らしい物でも、要は道具だ。あなたは何に使うつもりなんですか?」
「いや、そういうのは特にねぇよ。でも、なけりゃ何にもはじめられねぇからな。今のままで体が動かなくなったら俺は終わりだ」
なるほど。虫は虫なりに必死に足掻いているわけかい。確かに持たざる者は普通に暮らしている限り、死ぬまで持たざる者だ。そう言う意味じゃ本質的には馬鹿ではないか。
「わかりました。しかし、あなたはまだ22歳でしょ?ここはしっかり治して、次のチャンスを待つって手もありますよ」
カインが余計な事を言った。ここは派手に散った方が面白いじゃないか。…テレパスを送ろうか少し迷うが、もう少し成り行きを見守る事にしよう。
「俺は…この町にいるとスゲェ苛つくんだ。俺も早くなんとかしないと町の連中みたいになるって考えちまってよ」彼は興奮したように続けた。
「一日一回の配給に長時間並んでよ。先生から見たら俺も変わらないのかも知れねぇが…あいつらはもう死んでんだ。俺は違う」
横目で彼の表情を伺う。ふむ、なかなか鬼気迫るいい表情じゃないか。
合点がいったよ。覚悟があるから妙な迫力があるってわけかい。
「色々な思いがあるのはわかりました。しかし、それでも体は大切にしたまえ。先程自分で言ったじゃないか?体が動かなくなったら終わりだと」
カイン!思わずテレパスしてしまった。やめろ。つまらない事を言うな。
カインが焦ったように返事をする。医者の役に興が乗ってしまいました。すみません。
カインも口をつぐんだが彼も何かを考えるように押し黙った。
一瞬だけ静寂が室内を包んだが、それは一瞬だった。
「ありがとよ先生。確かに先生の言う通りなんだけどよ。けど今がチャンスなのも間違いないんだ」
彼は右手の握っては開くを繰り返し、少しだけ顔を歪めた。
僕は彼の言葉を聞いてちょっとだけいい気分になった。
次の機会を待つなんて言うのは余裕がある奴と阿呆のすることだ。
それに彼にとって最悪の結果になったっていいじゃないか。彼は覚悟してるし、僕は楽しいし。
僕は表情を整えて、彼に向かって歩みを進める。
「レイジさん。この薬は腫れを抑える塗り薬で、こっちカプセルは痛み止めや化膿止めです。試合まで毎日服用して下さい。応援していますよ」
僕は彼に笑顔で薬を手渡した。
「ありがとよ、助手のあんちゃん」
彼は嬉しそうに薬の包を受け取り、診察室を後にした。
「ロワ様先程はすみません。ついつい親身になってしまいまして」カインはバツの悪そうな顔で僕に頭を下げた。
「いや構わないよ。むしろ良かったよ。彼の覚悟のほどが聞けて」
僕は少々機嫌が良かった。
やはりショーを見るためには前フリって奴があった方がいい。
「僕らも見に行こうよ、会社か親父殿の名前使えば、どうにでもなるだろ?」
「はい。可能でしょう。私が責任を持っていい席を用意しましょう」
「いや、あくまでボランティア医師とその助手って設定だから、雑多な席でいいよ」
「わかりました。しかしあの手で彼にチャンスはあるのでしょうか?」
「さぁ?わかんない。でもどっちにしても、知れてるんじゃない?」
「と言いますと?」
「だって格闘技って実力が物を言う世界だろ。こんなところに治療に来る時点であんまり強くないんじゃない?」
「そうですね。ですが環境的にも恵まれてるとは言い難いですし、何よりまだ歳若い。…私としては頑張って欲しいですかね」
ふうむ。こういった所もカインの美点ではあるか。
「まぁ大した物食ってなさそうだしね。でも金の匂いがするなら、どこからでもハイエナが来るだろうし…まぁいずれにしても僕らは傍観者さ」
「そうですね。しかし何だかんだ言いながらもロワ様も彼にワクワクしてらっしゃいますね?」
「そうだね…。できれば負けて、拳と心が折れるところが見たいね」
僕は素直な気持ちで言った。
「まぁ…それも一興ですな」
カインはどうやら少し彼に感情移入しているようだ。話題を変えよう。
「でも一つ残念な事がある。さっきざっと見たけど、あんまりぱっとしないんだよね。彼の遺伝子」
僕の言葉を聞くとカインは目を閉じ思考を巡らせた。
「…確かに。身体能力はまぁまぁ良さそうですが、筋肉はそこまで発達しなそうですし。頭は悪くなさそうですが、思考はおそらく苦手ですね。ハズレでもなければ当たりでもないくらいでしょうか?」
「まぁ付け加えるなら免疫能力がそこそこ高いし、精神疾患も出ないんじゃないかな?普通に生きていくなら当たりの部類だよ。でも、できれば詳しく調べないでも欠陥があったり、レアな遺伝子持っててくれたら良かったのに」
「なるほど。確かに標準的な人の研究はあまり我々が目指すところではないですからね」
「そうなんだよね。でもまぁ気分転換にはちょうどいい」
「そうですね。ロワ様がそう感じたのなら何よりです」
2
闘技場にて
「もう始まっているのか。しかしすごい席だね」
闘技場の金網を中心に円を描くように客がスタンドを埋めるなかで我々は2階のVIP席のような所にいた。
「警備の観点から、こういう席になってしまいました。すみません
カインは僕に丁寧に謝罪をした。
「実際来てみたら、ここで正解だよ」
スタンドを見下ろすと粗野な輩でごった返していた。金網の中の2人のファイターに野次なのか声援なのか、とにかく怒号だけがこちらに聞こえてくる。
「彼はいつ出るの?」
「次ですね」
中央の金網に視線を向けると2人の男が、それ相応の攻防をしていた。知らない2人の男がただ殴りあうこの光景…一体何が面白いのか良くわからないな。
「今のは入りましたな」カインが声を弾ませて言った。どうやらカインは楽しめているようだ。
「正直僕は良くわからないな。まぁ今倒れた彼が立ち上がれない事はわかるが」
予想通り倒れた男が金網から出されて担架で運ばれていく。
金網の中に目を戻すと勝った選手は本当に嬉しそうに飛び跳ねていた。
「いよいよレイジ君の試合ですな」
レイジが入場するとなかなかの声援があがった。彼はなかなか人気があるようだ。
「目の腫れは引いたみたいですね」
カインは顎を触りながら目を細める
「そうだね」
次に対戦相手が入場してきた。
そこには大男がいた。レイジ以上にすごい声援だった。
「対戦相手のオルス選手ですね。今現在、唯一全勝の選手です」
「随分とでかい男じゃないか?この体格差でありなのか?」
「はい、無差別級らしいです」
なるほど。こういった環境でやれているなら、僕が考えるよりもずっと有望な選手なのかも知れない。
だが、
「これは勝負になるのかい?」
オルスは190センチ以上はあるだろうか?
「どうでしょう?ですがレイジ君の過去の試合を拝見しましたが、なかなか面白い選手でしたよ」
「ふーん、イヤに気にかけるじゃないか?」
「いやそういうわけではありませんよ」
そんなやり取りをしているとゴングがなった。
レイジは右手を庇うように左の重心を前に出して構えた。普段どう構えているかなんて知らないから右手を庇っての構えではないのかも知れない。
対戦相手のオルスは特に構えずレイジに歩み寄る。リーチが違うからなのか、あるいは経験からなのかとにかくオルスは前に出た。
「オルスはレイジが右手を骨折しているのってわかっているのかな」僕の呟きにすかさずカインが返す。
「まぁ怪我の程はともかく、痛めている事はバレているでしょうな」
オルスは間合いに入ると小さなジャブを2発放った。レイジはサイドステップで右に飛ぶ。そういった攻防を3度繰り返した。
なんだ。話にならないじゃないか。狭い金網内を器用に逃げ回るのもきっとすごい技術なのだろうが…防戦一方だ。
せっかく足を運んだわけだから、このままあっさり敗北とかはやめてくれよ。
そう思っていた最中、オルスのジャブに合わせるようにレイジのローキックが入った。一瞬体勢が崩れたオルスのサイドに素早く回り込むと再度ふくらはぎの辺りを蹴り込む。しかしオルスも体勢を戻し再び膠着状態。
レイジは一発も被弾していないにも関わらず、息が少々荒くなって見える。オルスは左足を気にしている様子だが、息づかいは整っていた。
「スピードだけはレイジが勝っているようだね」
彼は何故こんな条件で闘っているのだろう。もうちょっとスピードを活かせるフィールドなり、体格にハンデがない環境でやればいいのに。
「そうですな。しかし逃げ回る体力が切れたら、パワー差が出ます。その辺りが勝負の分かれ目でしょうか?」
カインの言う通り徐々にオルスの打撃を受ける場面が増えてきた。となりを見るとカインは手に汗を握っている様子。僕には凡戦にしか見えないのだが。
そんな風に思っていた最中、怒号のような歓声があがる。金網を注視するとオルスの首に腕が絡まっていた。
「…全然見てなかったけど、何が起きたの」
なんて勿体ない。とでも言いそうな目でカインはこちらを見ていた。
「一瞬の攻防でした。レイジ君はおそらくわざと打たせていたのですよ。そしてオルスの振りが大きくなったタイミングで脇からバックにまわったというわけです」
「なるほど…それはそんなにすごい事なのかい?」
カインは嬉しそうに解説してくれた。
「忍耐力の勝負でしょうな。あの体格差ですから、防御したところで痛みは蓄積していきます。なのでガードできているうちにオルスの隙をつけるかの勝負というわけです。そして…あそこまで綺麗に決まればもう抜けることは叶いません」
とカインが解説をしてる最中事態は動いた。
………少しだけ愉快ではあるんだが僕はまぁ大人だから、野暮な事は言わない。
オルスは宙返りの要領でレイジに全体重を浴びせるように横になった。
首のロックが一瞬緩んだのか、寝技の攻防に移行していく。パワーの差なのかそこからは一方的に体が入れ替わりオルスはマウントのような体勢になる。
そこからはただただ一方的に。
顔を、あるいは腹を。
瞬間瞬間生命力が失われていくのが素人の僕でもわかった。
なるほど格闘技の面白さってこれかい。抗いようのない程に蹂躙されていく様は美しいとさえ思ったね。こういうのが見たくて、会場の連中は観戦するわけか。
まぁ右手は破壊されなかったわけだが、悪くはない。
試合の決着はついた。
と誰もが疑わなかった時にそれは起こった。オルスの拳が空を切ると、その刹那どういう訳かレイジはマウントを抜け出し両の足で立っていた。
オルスもすぐ様立ち上がり、再び睨み合う。
だが、もう勝負は誰の目にもついていた。先程まで大男に上から殴られていた満身創痍のレイジと数カ所にダメージを負ったもののまだまだ健在のオルス。そして埋まらない圧倒的体格差。
しかし何故だがレイジは構えた。骨折した右手を前に出し、表情は笑っていた。僕もつられて広角があがる。
諦めてないってわけかい。…彼の闘争心は一体どこから来るんだろう?遺伝子配列を洗いざらい見たがこんなに粘り強い奴じゃなかったじゃないか。
勝てるビジョンがまだあるとでも言うのか?
一瞬だけ頭にちらつく。魂の存在。いや、そんなものはない。
人間は設計図がすべてだ。そこから環境次第でどんなエピジェネティクスが起こるかどうかだ。それだけだ。
魂なんて曖昧なものはこの世にはない。もしもあったならば、幾多の研究者の誰もがしっぽを掴めなかった理由などない。
…いや、そんな事は関係がないか。幾多の研究者って誰だよ。誰もが僕ではないんだ。
はっきりさせればいい。…魂の存在を。僕が。
ふと気がつけば、金網の中ではオルスが勝ち名乗りをあげていた。
3
再び南部72地区にて
僕の指示でレイジの身柄は72地区の臨時病院に入院させた。無論、本人の許可などはとっていない。
一日経ってレイジは目を覚ました。
「ここは」
「起きたかね」
「先生か?って事は病院か?ありがとよ」
「ここに運んだのは我が主の意思であり、君に話があるようだ」
そう言ってカインはこちらを紹介するように手を広げる。
「とりあえずおはよう。起きてそうそう申し訳ないんだけど、君に選択の権利をあげるよ。このままここで一生足掻くか。あるいは僕に仕えるか」
このまま攫ってモルモットにするのも良かったかも知れないが、できる限り自由を与えて、観察したほうがいい気がしていた。
ただの感だがね。
「助手のあんちゃん?さっぱり状況がわからねぇんだが?」
レイジはまったく状況を飲み込めていないようだった。それにしても酷い顔だ。
「まぁそうだろうね。実は僕がここで一番偉いんだ」
「助手のあんちゃんが一番偉い先生で、先生はその部下って事か?」
そんな話はどうだっていいが、まぁ多少は説明をしておくべきか?いや面倒だな。
「そういう事だ。とりあえず答えを聞こう。どうする?」
「どうするも何も…あんちゃんに仕えてなんか俺に得があるのかよ?」
相変わらずの困惑顔、まぁそれもそうか。
「僕に仕えるならば成果次第で、1年後に君の欲しい物を何でもあげるよ」
彼は目を丸くするとすぐに頭を振る。
「何でも?わりぃ、なんか全然意味がわからねぇんだが」
頭はやはり良くはないか。
「あまり同じ事を二度と言うのは好きではないが…何でもだ。一応言っておくと僕の部下は全員第二の脳をつけてるし、君だったら第二の骨格をつけたらもっと強くなれるよ」
「信用した訳じゃねぇけど…。あんちゃんなら俺の個体等級をあげられるか?」
最下層には許されていない権利が多すぎてまるでピンと来ないな。何が欲しい?
「君は第二の脳が欲しいんじゃなかったのか?それとも個体等級をあげたいのか?」
「俺は…個体等級をあげたい」
「そうなったとして何がしたいんだい?僕に仕えるならば、一切の嘘や裏切り行為は認めてないから、そのつもりで答えてくれ」
レイジはうつむくと小さい声で言った。
「…結婚して家族が欲しいんだ」
あぁ…そんな事か。
なんというか遺伝子と同じく思考も有象無象だな。
先日の閃きを我ながら疑いたくなった。
だがまぁ…とりあえず確保しよう。
そんな時いいアイデアが頭に浮かんだ。
「じゃあ、僕に仕えれば容姿のいい女も同時に見繕ってあげるよ」
瞬間レイジは目を見開いてこちらに敵意を見せた。
「ふざけんな。そういうのはちげぇだろ。お前バカにしてるのか?」
何かミスったようだ。思考を巡らせていると先程からずっと黙って様子を伺っていたカインが強い口調で言った。
「ロワ様になんて口をきく!」
レイジはカインの強い口調に僕とカインを交互に見て戸惑いの表情を見せる。そして思考が定まらないのか何も言わずにうつむいた。
「本音ならば別にいいよ。何を言っても構わない。むしろ腹の内では不満があるのに、しっぽをふるような奴の方が嫌いだ」
僕は続けた。
「それに僕が間違えてたわけだしね…女より男が良かったんだろ、別に何でもいいよ。君が望む伴侶をつけるよ」
レイジは僕の言葉を聞くと、身震いをした。
一呼吸するとこちらを見て口を開く。
「いや、全然ちげぇよ。結婚相手を探して欲しいなんて誰が言ったよ。でもマジで…俺の個体等級をあげてくれるんだったら、俺を雇ってくれ」
眼差しは一直線に僕を貫いた。悪くない。
「ならば、僕の言う事はこれから絶対だ。嘘つきと裏切り者は嫌いだからね。そこさえ守れば楽にしていいよ」
続けて僕は言った。
「とりあえずここで体を治すといい」
僕は踵を返し、病室を後にしようとした時呼び止められた。
「待てよ。嘘つきと裏切り者は俺も嫌いだ。俺が嘘も裏切りもしないと誓ったら、あんちゃんも俺に誓ってくれるのか?」
ふうむ…。どう答えるべきか。別に口先だけの嘘をつくのは容易いわけだが、何がどう影響するのかわかったものではない。
「貴様とロワ様は対等ではない。レイジよ、口を慎め」
カインが口を挟んだ事で考えが纏まった。
「君が誠心誠意尽くせば君の欲しいものは手に入るし、そうじゃなければ、手に入らない。それだけだ」
僕は続けた。
「だがまぁ、いいだろう。信頼関係を結ぶのは大切だ。誓おう。君に対して嘘も裏切りも僕はしない」
一つ君は勘違いしている。僕が君の心を裏切ったとしたら、それは君自身が僕の期待を裏切ったという事にほかならないわけだ。だから誓うとか誓わないとかそんな話じゃない。
「そっか。あんがとよ。じゃあその誓いに俺は命をかけるよ。あんちゃんが俺を信用できないって思ったら全部好きにしていい」
ふむ。本気か?
だとしたら、なかなかの胆力じゃないか。この僕にそういった駆け引きをしてくるなんてさ。
「悪くない覚悟だ。改めてレイジ、僕はロワだ」
僕は彼に手を差し伸べて、彼は僕の手を強く握った。
魂の証明。
設計図上、肉体と精神が乖離したこの男で。
降って湧いた話だし、現状何の手がかりもないわけだから、気ままにやればいいか。
まぁ彼は死ぬかも知れないわけだが、別に壊れたって構わないわけだしね。
願わくばこの研究が素晴らしいものになりますように。
僕はそんな風に祈りながら眠りについた。
血と知を探す僕のちょっと変な日常 灰ノ心 @taka0925
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