捕食惑星ゾラ ~ 星を喰らう湖と、少年が見つけた空の記憶 ~

近藤良英

第1話

第1章 ターラの少年


 ターラの朝は、いつも風の音から始まる。


 草原をわたる風が、フラ麦の穂を波のように揺らし、木造の家の壁を軽く叩く。その音で、コナは目を覚ました。


 窓の外には、からし色に染まった麦畑がどこまでも広がっていた。収穫を前にした畑の香りは、少しだけ甘い。鳥の鳴き声が遠くで響き、どこか懐かしい気持ちにさせる。


「今日の収穫はどうだい?」


 リビングから母リムの声がした。


 コナは、椅子の背にかけてあった濃い緑の飛行服を身につけ、玄関の戸を開けた。扉の外は朝靄が立ちこめていて、空の色がまだ灰色に近い。


「だめだった。森で巨鳥に逃げられたよ」


「また巨鳥かい。あれは頭がいいからねぇ」


 リムはくすっと笑って、薪ストーブの火を強めた。煙突から白い煙がゆるやかに昇っていく。


 ターラでは、原油を精製した「耐油たいゆ」が燃料として広く使われている。だが最近は少しずつ不足気味で、生活のすべてが燃料に左右される時代になっていた。


 コナは拾速起動銃しゅうそくきどうじゅうを壁に立てかけた。銃身の長さは一メートル。銃口は焼けた鉄のように鈍く光っている。火炎弾を発射する仕組みで、燃料にはこの星で採れる耐油を使う。


 外に出ると、空気はひんやりしていた。遠くで鳥が一羽、鳴きながら走り去る。巨鳥だ。背丈が四メートルもある、空を飛べない鳥。足の速さは馬よりも速く、狩りの標的にはもってこいだが、油断すると逆に蹴り飛ばされる危険もある。


 丘の向こうに、コナの家があった。青い外壁の木造家屋。祖父の代から百年ほど経つらしい。クルキ材という丈夫な木を使っていて、五百年はもつといわれている。天井の高いリビング、木の香りが残る廊下、そしていつも煮込みスープの匂いが漂っている。


 リムは夕食の支度を始めていた。


 料理をしながら、ちらりと息子のほうを見る。十六歳になったばかりのコナは背がすらりと伸び、飛行服の肩がよく似合うようになっていた。


「そろそろ燃料を買いに行かないとね。グライダーのエンジンがかかりにくいでしょ?」


「うん。明日、街まで行こうか」


「そうね。早めに出よう。市場も混むだろうし」


 その夜、コナは屋根裏の窓から星空を見上げた。


 銀色の星々が点滅し、空のどこかで風が鳴っているように感じた。ふと視線を遠くにやると、北の方角、黒い影のようなものがゆっくりと動いていた。


 まるで、空の底がじわじわと滲み出しているようだった。


「……湖がまた動いてるのか?」


 コナは小さくつぶやいた。


 この惑星ゾラの北部には「スエ湖」と呼ばれる大きな湖がある。だが、ここ三年ほど、その湖は「生きている」と噂されていた。夜になると波がひとりでに盛り上がり、何かがうごめいているのだと。


 リムはその話を聞くたびに眉をひそめた。


「湖はね、見に行っちゃだめよ。あそこには、空から落ちた“もの”が眠っているんだから」


 コナは、リムが昔からそう言う理由を知らなかった。


 ただ、「空から落ちたもの」という言葉に、得体のしれない不安と好奇心が入り混じるのを感じた。


 翌朝。夜明けの光が畑を照らすころ、コナとリムは出発の準備をした。二人乗りの小型浮遊艇――フランボに乗り込む。ボディはへこみだらけだが、タルボエンジンの音はまだ力強い。


「行くよ、リム!」


「ええ、気をつけてね」


 フランボは低くうなりながら浮かび上がった。地面から三メートルほど浮き、滑るように走り出す。風が頬を切るように冷たい。


 一時間ほどでターラの市街が見えてきた。


 道の両側にはレンガ造りの建物が並び、八百屋、雑貨屋、機械店が立ち並んでいる。人々は明るく挨拶を交わし、どこかのんびりとした空気が流れていた。


 コナとリムは燃油所へ立ち寄った。


 古びた給油機の横で、白髪まじりの老人が酒瓶を片手に座っていた。


「朝から飲んでるの?」とリムが笑うと、


「いいんだよ、奥さん。かみさんも星になっちまったしな」と、老人は寂しげに笑った。


 給油を終えると、二人は通りの端の酒場に寄った。いつもの店だ。


 店内にはターラ特産のナパ酒の香りが漂っている。ナパはサボテンのような植物で、搾った汁を発酵させた飲み物だ。コナは未成年なのでノンアルのナパ酒を注文した。


 すると、背後から野太い声がした。


「おう、コナじゃねえか。母ちゃんも一緒か? まだおっぱいでも飲んでんのか?」


 声の主はオチカ。ターラのならず者のリーダーだった。


 二メートルを超える巨体に吊りズボン。ボタンが一つちぎれ、胸毛がはみ出ている。


 彼は笑いながらコナの肩をどんと叩いた。


「また狩りに失敗したって聞いたぜ? 臆病者め!」


「……やめてくださいよ」


 リムが制したが、オチカはひるまない。


「おい、男ならケンカのひとつもできねぇのか?」


 その言葉で、コナの中で何かが切れた。


 椅子を倒して立ち上がり、オチカの胸ぐらをつかむ。


 店の外で、決闘が始まった。


 通りの人々がざわめく。十メートルの距離を取り、互いに武器を構えた。


「今日こそ決着だ!」とオチカが叫ぶ。


 風が止まり、世界が静まり返る。


 コナが引き金を引いた。――ジョッ。


 拾速起動銃が火を噴き、オチカの左腕が蒸発した。


 人々は息をのんだが、やがて静かに散っていった。


 この星では、こうした決闘は珍しくない。


 正義も悪もない。ただ、生き残った者が次の夜明けを迎える。


 その夜、リムはコナを叱らなかった。


 ただ黙って、テーブルの上の観測装置を見つめながら言った。


「ケンカしてる場合じゃないわ。湖が――動いてるの」


 その言葉に、コナの胸がざわめいた。


 母の目は真剣だった。観測ドローンの画面には、北部のスエ湖がじわじわと膨らんでいく映像が映っていた。


 湖の表面は水ではなく、銀色に光る粘液のようなものだった。


 それはまるで、生きている“湖” だった。


________________________________________




第2章 市街の影


 ターラの街は、朝になるとにぎやかだった。


 通りを走る自動艇の音、屋台の呼び声、耐油を積んだトラックの匂い。


 空には白い雲が流れ、商店街の上を子どもたちの笑い声が駆け抜けていく。


 だが、どこかで小さな違和感が広がっていた。


 街の北側――湖の方向に近い地域では、夜ごとに不気味な振動が続いているという。


 地下で何かが脈打っているような音が聞こえる、という者もいた。


 その日、コナはひとりで市街へ出かけた。


 拾速起動銃の修理部品を買うためだ。


 通りを歩いていると、道端で古新聞を売る少年が叫んでいた。


「北の集落イソで、また子どもが行方不明だって!」


 ざわめきが広がった。


 人々は顔を見合わせたが、誰も深くは語らない。


 それは、誰もが知っている“触れてはいけない話題”だったからだ。


 コナは新聞を買って記事を読んだ。


 ――九歳の少女が丘を越えて遊びに行ったまま戻らず、現在も捜索中。


 記事には、小さく「湖の南端で不明」と書かれていた。


 コナは眉をひそめた。湖がまた動き出しているのかもしれない。


 すると背後から聞き覚えのある声がした。


「おい、昨日の借りを返す気はあるか?」


 振り返ると、オチカが立っていた。左腕には白い包帯がぐるぐる巻きだ。


 だがその顔には、憎しみよりも奇妙な笑みが浮かんでいた。


「おまえ、強くなったな。…悪くねぇ」


「は?」


「気に入った。うちの連中に入らねぇか? 荒事の得意な奴は歓迎だ」


 コナは呆れたように肩をすくめた。


「冗談言わないでよ。ぼくは狩りで忙しい」


 そう言って立ち去ろうとしたが、オチカは真顔に戻って言った。


「……北の湖がやばい。昨夜、仲間が一人、帰ってこなかった」


 コナは足を止めた。


「湖の近くに行ったのか?」


「行っちまったんだよ。井戸の水が光ってたって言ってな。止めたのに……。


 朝になったら、井戸の底から煙みたいなもんが出てて、奴はいなかった」


 リムの言葉が脳裏によみがえる。――「湖は見に行っちゃだめ」。


 コナの胸がざわついた。


 夕方。家に戻ると、リムが真剣な顔で観測機を見つめていた。


 モニターの画面には、ドローンが捉えた湖の映像が映っている。


 湖の表面が波打ち、ゆっくりと円を描いて渦を作っていた。


「母さん、これ……」


「見ての通りよ。湖が……“呼吸”してる」


 湖は生き物のように脈動していた。


 それは、まるでこの星のどこかに潜む“心臓”が鼓動しているようだった。


「このままだと……」


 リムの言葉が途中で止まった。画面の端に、何かが映り込んだ。


 銀色の光をまとった小さな影――それは、空から降りてきた。


 ブォォォ……。


 低く、金属の軋むような音が空を震わせた。


 ドローンが映す映像の中で、湖の上空を飛ぶ物体が姿を現した。


 細長い体、光る緑の推進翼、そして胴体の中央に――ひとつ目。


「ロコイドだ……!」


 リムが息をのむ。


 空を飛ぶ人型の機械。三メートルほどの高さで、まるで缶詰に手足をつけたような奇妙な姿。


 これまでにも何度か墜落を見たことがあるが、今回は違った。


 湖の上を旋回し、何かを“探している”ように動いていた。


 その夜、ターラの街に不気味な警報が鳴り響いた。


 市街地の中央広場――井戸のある場所で、突如、地面が盛り上がったのだ。


 銀色の液体が地面を破って噴き出し、まるで生き物のようにうねった。


「逃げろ! 湖が来た!」


 人々が悲鳴を上げる。


 コナは家を飛び出し、拾速起動銃を構えた。


 街の中央で、光る粘液の塊がうねり、周囲の建物を飲み込んでいく。


 木造の家が音を立てて沈み、人々の叫びが吸い込まれていった。


 銀色の粘液は、あらゆるものを分解していた。木も、鉄も、人の体も。


 まるでこの惑星の物質すべてを“食べている”ようだった。


 コナは照準を合わせ、火炎弾を放った。


 ジュッ! 炎が銀色の表面を焦がし、煙が立ちのぼる。


 粘液が一瞬だけ後退した。


「効く……! 耐油が効くんだ!」


 リムが叫ぶ。


 ターラの燃料「耐油」こそ、湖の成分を分解する唯一の物質だった。


 だが、それを理解したときには遅かった。


 井戸からあふれた湖の塊は街の半分を覆い、あたりは地獄のような光景となった。


 夜空が赤く染まり、逃げ惑う人々の悲鳴が響き渡った。


 コナはリムの手を引き、フランボに飛び乗った。


「南の丘まで退避する!」


「行くわよ!」


 フランボが轟音を上げて浮かび上がる。


 振り返ると、ターラの街の灯が次々と消えていった。


 光を飲み込みながら、銀色の湖は静かに広がり続けていた。


 夜明けが近づくころ、丘の上から見た街は――


 もう何も残っていなかった。


 煙の向こうで、ひとつの黒い影が空を飛んでいた。


 ロコイド。


 そして、その背後には、さらに大きな影――


 巨大な白いドームのような建造物が、湖の北側の地平線に浮かび上がっていた。


「……あれが、湖の“巣”なのね」


 リムの声が震えていた。


 そのとき、コナの胸の奥に、言葉にならない決意が芽生えていた。


 ――必ず、この星を取り戻す。




________________________________________


第3章 黒い湖


 ターラの街が沈んで三日が過ぎた。


 丘の上の空気は、まだ焦げた匂いを帯びていた。


 風が吹くたび、黒い灰が舞い、視界が霞む。


 コナとリムは、かろうじて生き残った人々とともに避難所で暮らしていた。


 丘のふもとに建つ古い倉庫がその拠点だ。木の壁には、湖の飛沫でできた銀色の染みが点々とついている。


「……あれから、もう街が一つ消えたらしい」


 コナは手にした通信端末を見つめた。


 北の集落イソでも、同じように地面が溶け、湖が出現したという。


 リムは疲れた顔で頷いた。


「どんどん広がっている。まるで生き物のようにね」


 彼女の視線の先では、観測機のモニターが淡い青い光を放っていた。


 リムはかつてターラの燃料研究所で働いていた技師だった。観測や分析の知識を持っている。


 今はその経験を頼りに、湖の動きを追っていた。


「見て。これが昨日の映像」


 モニターには、空から撮影したスエ湖の姿が映っていた。


 湖は以前よりも二倍以上に広がり、表面は金属のように光っている。


 ゆっくりと波打ち、粘液が呼吸するように膨らんでは縮んでいた。


「……まるで心臓だ」


 コナはつぶやいた。


「鼓動するように動いてる」


 リムは頷く。


「この反応、たぶん“捕食細胞”よ」


「ほしょく……?」


「三年前、隕石が湖に落ちたでしょ? あれに含まれていた未知の細胞がこの星の物質を取り込み、増殖しているの。あれは、地球の微生物のように生きている……けれど、規模が桁違いなの」


「そんなものが、星全体を食べようとしてるってこと?」


「ええ。そして――その細胞が、“何か”に操られている可能性があるのよ」


 リムの声にはわずかな震えがあった。


 そのとき、外から風を切るような音が響いた。


 ブゥゥゥゥン……。低く、金属的な音。


 コナは反射的に拾速起動銃を手に取った。


「母さん、上だ!」


 屋根の隙間から、緑の光が差し込む。


 外に飛び出すと、空に人影が浮かんでいた。


 銀色の胴体、長い手足、背中にふたつの推進器。


 緑の光を噴きながら、宙に静止している。


「ロコイド……!」


 あの日、湖の上で見た“空の者”が、再び現れた。


 ロコイドは地上を見下ろしながら、低い音で共鳴しているようだった。


 そのひとつ目が赤く光り、辺りの地形を走査している。


「見つかった!」


 コナが引き金を引いた。


 火炎弾が空を切り裂き、ロコイドの右腕を吹き飛ばした。


 ロコイドは悲鳴のような電子音を発し、バランスを崩して墜落した。


 コナとリムは慎重に近づいた。


 倒れたロコイドは、地面に深くめり込み、動かない。


 銀色の装甲は熱で焼け、内部が露出していた。


 中には……赤く光る“心臓”のようなものがあった。


 鼓動している。


 それは機械の中に埋め込まれた生体器官だった。


「これ……機械じゃないの?」


「違うわ。機械と生物の融合体……ハイブリッド生命体よ」


 リムはロコイドの腹部を調べた。


 そこには、小さなタンクがあった。中には銀色の液体――湖の成分が満たされていた。


「やっぱり……湖の“水”が燃料なのね」


「じゃあ、湖が生きてるってことは……ロコイドたちも、湖から生まれたのか?」


「あるいは、その逆かもしれない」


 リムは静かに言った。


「ロコイドを操る“誰か”がいて、湖を育てているのよ」


 その夜、コナは眠れなかった。


 焚き火の明かりの中で、ロコイドの壊れた頭部が微かに光っていた。


 そのひとつ目が、時おり青く点滅している。


 ふと、頭の中に声が流れこんできた。


 ――『ゾロ……アン……ダー……』


 低く、くぐもった声。言葉の意味はわからない。


 けれど、その響きには“知性”のようなものがあった。


「ゾロアンダー……?」


 コナは思わずつぶやいた。


 その瞬間、ロコイドの光がふっと消えた。


 翌朝。リムが顔をしかめて言った。


「寝不足ね。……夢でも見たの?」


「いや、夢じゃない。あいつが言ったんだ。“ゾロアンダー”って」


 リムの表情が固まった。


「その名前、どこで聞いたの?」


「昨日の夜、ロコイドの頭の中から」


 リムは黙って観測装置を操作した。


 モニターに、湖の北側の地形データが映し出される。


 その中央――白い半球状の建物が確認できた。


「これは……?」


「三年前の衛星写真にはなかった建造物。あそこに“ゾロアンダー”がいるのかもしれない」


 コナは息をのんだ。


 湖の奥、霧のような蒸気が渦を巻くその場所に、巨大な白いドームが建っていた。


 その周囲には、無数のロコイドが飛び交っている。


 ――湖を操る者。ゾラを食う者。


 その名は、ゾロアンダー。


 コナは拳を握った。


 あの湖を、この星から消すために。


________________________________________




第4章 空の者ロコイド


 夜明け前の空は、かすかに群青色を帯びていた。


 丘の上に建つ納屋から、金属を叩く音が聞こえてくる。


 コン、コン、キン。


 コナは、ランプの灯りの下で壊れたロコイドの胴体を解体していた。


 床には外した部品や配線が山のように積まれ、工具の音が静寂を裂いている。


「ねえ、まだ寝てないの?」


 リムが入ってきた。


 寝間着の上から作業着を羽織り、髪を三つ編みに束ねた姿は、


 昔、燃料研究所で働いていたころの彼女そのままだった。


「もう少しで、こいつの心臓部がわかりそうなんだ」


 コナの声は興奮に満ちていた。


 ロコイドの胸の部分には、赤く光る核のようなものがあった。


 それは鼓動しており、まるで生きているかのようだった。


「……こんなに生体に近い構造、見たことないわ」


 リムは息をのんだ。


 金属と肉の中間のような組織。


 機械の中に血管のようなチューブが通り、そこを銀色の液体が流れている。


「この液体……湖の成分と同じよ」


「やっぱりそうか。こいつらは、湖の“分身”なんだ」


 ロコイドの腹部には、細長い燃料タンクがあった。


 その中には、わずかに残っていた銀色の液体――捕食細胞の集まりが光を放っていた。


「でも、耐油を少し入れたらタンクが溶けた。つまり、耐油はあいつらにとって“毒”なんだ」


「それなら、湖を止める方法もあるかもしれないね」


 リムは希望の光を見たように笑った。


 その笑顔が、久しぶりにコナの胸を温かくした。


 彼女はこの星の厳しい現実の中で、たった一人で息子を育ててきた。


 その背中を見てきたコナは、無意識のうちに強くならなければと思っていた。


「母さん」


「なに?」


「ぼく……あの白いドームに行ってみたい」


「だめよ」


 リムの声が鋭くなった。


「湖の北部は危険すぎる。あそこに行ったら、戻れないかもしれない」


「でも、放っておいたら、この星が全部飲まれるんだ」


「……それでも、まだあなたは十六歳なのよ」


 リムはため息をつき、コナの肩に手を置いた。


「いまは、耐油の改良を進めましょう。あの湖に効く“武器”を作るの。


 戦うのは、それからでも遅くない」


 コナは何も言い返せなかった。


 ただ、窓の外の夜明けを見つめた。


 空の向こうでは、ロコイドたちの影がゆっくりと飛び回っている。


 その日の午後。


 丘の上に、煙を上げながら何かが落ちてきた。


「……ロコイドだ!」


 コナが駆け出す。


 墜落したロコイドは、胴体が半分焦げ、地面に突き刺さっていた。


 背中の推進器がかすかに光を放っている。


「壊れてる……でも、生きてる」


 コナは慎重にロコイドを納屋まで引きずっていった。


 その夜、リムとともに解体を始めると、内部構造が前回のものと少し違っていることに気づいた。


 胸の中心にあった“赤い核”が、何かの装置とつながっている。


 それは、球体状の記録装置だった。


「メモリーユニット……?」


 リムが息をのむ。


 慎重に外し、観測装置に接続する。


 しばらくして、モニターに光の粒が広がった。


 そこには、見たことのない映像が映し出された。


 無数のロコイドが、白いドームの内部で整列している。


 巨大な円筒状の装置からは銀色の液体が吸い上げられ、


 それがチューブを通ってロコイドたちの腹部へ流れ込んでいく。


「……これは、“製造ライン”だ」


 リムの声が震えた。


 湖の成分を燃料として、ロコイドを量産している。


 その上の監視台には、白い貫頭衣をまとった存在が立っていた。


 頭は三角錐のように尖り、ひとつの瑠璃色の目が光っている。


 ――ゾロアンダー。


 映像が途切れる直前、その目がまっすぐこちらを見たように感じた。


 コナの背筋が凍りつく。


「母さん、これが……!」


「ええ。あれが“空の者”たちの主――ゾロアンダーよ」


 リムは静かに目を閉じた。


「ゾロアンダーは、湖の細胞を使って、この星を“再生”しようとしているのかもしれない。


 でも、そのやり方は破壊と同じ。私たちの生きる世界を食べつくすだけ」


 コナは拳を握りしめた。


「……だったら、止めなきゃ」


「ひとりじゃ無理よ。仲間が必要だわ」


 そのとき、納屋の外から声がした。


「……おーい、コナ。生きてるか?」


 扉を開けると、左腕に包帯を巻いたオチカが立っていた。


 顔にはまだ決闘の傷が残っているが、どこか晴れやかな笑みを浮かべていた。


「聞いたぜ。あの湖、ぶっ壊す気らしいな」


「おまえ……」


「俺も行く。あのとき負けた礼に、今度はおまえの盾になってやる」


 リムは少し驚いたように笑った。


「まったく……困った子たちね」


 納屋の天井から漏れる光の筋の中で、


 コナとオチカは互いにうなずき合った。


 戦うための準備が、静かに始まろうとしていた。


________________________________________


第5章 沈む声


 夜のターラ北部は、冷たい風が吹き抜けていた。


 地平線の彼方、黒い雲の下に、銀色の湖が静かに光っている。


 その湖の名は――スエ湖。


 三年前、隕石が落下して以来、姿を変え続けている“生きた湖”だった。


 その夜、コナたちは丘のふもとに集まっていた。


 行方不明になった少女を捜索するためだ。


 集まったのは十人ほど。老若入り混じった小さな隊だった。


 皆が拾速起動銃やライフルを背負い、背中にそれぞれのグライダーを装着している。


 コナの隣には、オチカが立っていた。


 左腕の包帯はまだ外せない。それでも彼の目は鋭かった。


「おい、坊主。準備はできたか?」


「ああ」


「ビビるなよ。今夜は、本物の“怪物狩り”だぜ」


 オチカはニヤリと笑い、空を見上げた。


 月は薄雲の向こうでぼんやり光り、地上の草が白く輝いている。


 少女の母親がすすり泣きながら頭を下げた。


「どうか……娘を助けてください」


 その声に、コナは胸の奥が熱くなった。


「必ず、連れ戻します」


 夜空に風が走った。


 グライダーの翼が音を立てて広がる。


「発進!」


 リーダーの号令とともに、十人の影が一斉に宙へ舞い上がった。


 ブゥゥン――。


 モーター音が夜空に響く。


 気温は零下。吐く息が白く、風が頬を刺す。


 コナの胸にはリムが持たせてくれた耐油弾のポーチがぶら下がっていた。


「母さん、見ててくれ……」


 丘を越えると、眼下に広がる湖が見えた。


 その表面は、まるで金属を磨いたように光を反射している。


 だが、不思議なことに、湖は風もないのに波打っていた。


 まるで何かが、湖の底で息をしているように。


「……見ろ、あそこだ!」


 仲間の一人が叫んだ。


 湖の縁に、小さな影が立っていた。


 少女だ。


 月明かりに照らされたその姿は、まるで夢の中のように静かだった。


 なぜか湖は彼女を襲おうとしない。


 銀色の粘液が周囲を囲みながら、まるで“守る”ように揺れていた。


 コナは急降下した。


 プロペラを止め、滑空で少女のそばに降り立つ。


「大丈夫か?」


 少女は震えていたが、意識ははっきりしていた。


「……こっちを、見てたの」


「誰が?」


「……湖の中に、“目”があったの」


 その言葉を聞いた瞬間、湖がうねった。


 ズズズッ――と音を立てて波が立ち、銀色の液体が盛り上がる。


 湖面から、無数の光が放たれた。


「退避しろ!」


 コナが叫ぶ。


 グライダーの仲間たちが上空へ逃れようとするが、次の瞬間――


 空から、三体のロコイドが降下してきた。


 緑の推進光を放ちながら、頭のひとつ目が真紅に輝く。


「敵だっ!」


 コナは拾速起動銃を構えた。


 火炎弾が夜空を裂く。バスン! バスン!


 一体のロコイドが胴体を焼かれて墜落した。


 だが、残る二体が反撃してくる。


 ピシュッ――!


 赤い光線が走り、仲間の一人が直撃を受けて墜落した。


 悲鳴も上げられず、湖に呑み込まれていく。


「くそっ!」


 オチカが怒声を上げて突撃した。


 左腕をかばいながらも、片手で銃を構え、火炎弾を連射する。


 炎が夜空を染め、ロコイドの頭部を焼き切った。


「いいぞ、オチカ!」


 コナも続けて射撃した。


 もう一体のロコイドが背中の推進器を爆発させ、火を噴いて墜落する。


 だが、その間にも湖は膨張を続けていた。


 銀色の波が丘のふもとを覆い、足元の地面を溶かしていく。


「退避しろ、全員退避!」


 コナは少女を抱え、グライダーで上昇した。


 背後で、オチカの叫びが聞こえる。


「コナ、早く行けっ!」


 彼は仲間たちの撤退を援護していた。


 その時、湖の中心から、黒い影が現れた。


 巨大なドームのような建造物――あの白い施設だ。


 ロコイドたちがそこから飛び立ち、空を埋めていく。


 数十体、いや百を超える数だった。


「やばい……!」


 オチカが空へと駆け上がる。


「逃げるぞ、コナ!」


「でも――!」


「いいから行け!」


 その声に押され、コナは少女を抱えたまま南へ滑空した。


 風が顔を打ち、涙が滲む。


 背後で、オチカの火炎弾が夜空に閃くのが見えた。


 やがて、遠くの空で爆発が起きた。


 赤い光が一瞬だけ丘を照らし、すぐに闇に沈んだ。


 湖は静かになり、風だけが吹き抜けた。


 コナは少女を抱きしめながらつぶやいた。


「……必ず、取り戻す。オチカの分まで」


 そのとき、湖の上を飛び去る一体のロコイドがいた。


 その胸の奥で、赤い光が脈打っていた。


 まるで何かが“進化”を始めているかのように。


________________________________________






第6章 北の丘の工場


 夜明け前、ターラの丘の上には濃い霧が立ちこめていた。


 冷え込んだ空気の中、コナたちはフランボのそばで準備を整えていた。


 拾速起動銃の整備、燃料タンクの補充、そして耐油の火炎弾のチェック。


 湖を焼く唯一の武器だ。


「いいか、コナ。あの湖の北には“ドーム”がある。あそこが敵の巣だ」


 オチカが真剣な目で言った。


「近づいた者は誰も帰ってこない。けどな――やるなら、今しかねえ」


 リムはコナにフラ麦の握り飯を渡した。


「これを持っていきなさい。長い戦いになるかもしれない」


「母さん……」


「あなたはまだ十六歳。でも、この星を守れるのは、あなたのような若者だけよ」


 その声はやさしかったが、どこか覚悟の色を帯びていた。


 コナは頷き、グライダーを背負った。


 翼がトビ鷲のように広がり、推進器が低く唸る。


「行こう、オチカ」


「おう。命がけだぜ」


 ふたりはリムに手を振り、朝霧の中へ飛び立った。


 背後で、リムの声が風に溶ける。


「――生きて、帰ってきて」


* * *


 一時間ほど飛ぶと、北の空に白い半球が見えてきた。


 朝日を浴びて輝くその姿は、美しくも不気味だった。


「見ろ……あれが“工作所”か」


 オチカが声を潜めた。


 近づくにつれ、施設の全容が明らかになる。


 六千平方メートルほどの広大な敷地。窓はなく、のっぺりとした白い壁がどこまでも続く。


 地表には管のようなものが何本も伸び、湖の水を吸い上げていた。


「やっぱり……湖の成分を利用してるんだ」


 コナは双眼鏡をのぞいた。


 パイプの表面がぬめりを帯び、蛇のようにうごめいている。


 吸い上げられる銀色の液体は、太陽の光を受けて不気味に光っていた。


「行こう。上空からまわり込む」


 ふたりはグライダーの推進を止め、風に乗って滑空した。


 施設の裏側には、排気塔と燃料タンクが並んでいる。


 人影はない。


 静まり返ったその様子は、まるで“死んだ街”のようだった。


 着地した瞬間、金属の床が軋んだ。


「気をつけろ。罠があるかもしれん」


 オチカが拾速起動銃を構える。


 ふと、施設の奥から低い振動音が聞こえた。


 グォン……グォン……。


 地面がかすかに揺れる。


「何だ……この音」


 ふたりは壁の影に身を隠しながら中へ進んだ。


 内部は薄暗く、天井には白い霧が漂っている。


 中央には巨大なタンクがあり、そこへ銀色の液体が流れ込んでいた。


 タンクの中で泡が弾け、金属のような音が響く。


 その周囲で、黒い貫頭衣を着た子どもたちが黙々と働いていた。


 目はうつろで、動きはぎこちない。


 手にした台車で、銀色の液体を詰めた金属桶を運んでいる。


「まさか……子どもたちが……!」


 コナは息をのんだ。


「湖にさらわれた子たちだ。操られてやがる」


 オチカの声が震えた。


 監視台の上に、白い影が立っていた。


 頭は三角錐。体は滑らかに光り、胸の中央に瑠璃色のひとつ目が輝いている。


 その目がゆっくりと回転し、光が床を走った。


 ゾロアンダー――湖の主。


 その光が、まっすぐコナたちの隠れている場所を照らした。


「見つかった!」


 オチカが叫ぶ。


 直後、十体ほどのロコイドが壁の奥から現れた。


 緑の推進光を放ちながら宙に浮き、腕を伸ばして銃口を光らせる。


 ピシュッ! ピシュッ! 赤い光線が床を焼いた。


「逃げろ!」


 コナが拾速起動銃を撃った。火炎弾が炸裂し、二体のロコイドが爆発する。


 炎と煙が視界を覆う。


 オチカも叫びながら突撃した。


「うおおおおっ!」


 拾速弾を連射し、さらに二体を撃ち落とす。


 だが、敵はまだ八体残っていた。


 光線が飛び交い、金属の壁が溶ける。


「外だ! 外へ出るぞ!」


 ふたりは燃料タンクのある裏口へ走った。


 コナが拾速起動銃をタンクに向けて撃つ。


 バスン! ――轟音とともに爆炎が上がった。


 炎が施設を包み、天井が崩れ落ちる。


「しまった! 中に子どもたちがいる!」


 コナが叫んだ。


 煙の中から、黒い貫頭衣の子どもたちが這い出てくる。


 その中には、先日助けた少女の姿もあった。


「こっちだ!」


 コナとオチカが子どもたちを外へ誘導する。


 そのとき、ゾロアンダーの声が響いた。


 ――「人の子よ、なぜ抗う」


 空気が震え、頭の中に直接言葉が響く。


「おまえが……ゾロアンダーか!」


 コナが叫ぶ。


 白い影がゆっくりと近づく。


「我らは生を紡ぐ。おまえたちが汚した星を、我らが清める」


「そんなやり方で、星が救われるもんか!」


 ゾロアンダーのひとつ目が青く光った。


 周囲のロコイドが一斉に動き出す。


「オチカ、今だ!」


 ふたりは同時に引き金を引いた。


 轟音が響き、爆発の炎がドームを貫いた。


 屋根が崩れ、燃料ラインが爆発する。


 ゾロアンダーの姿が煙の中に消えた。


「撤退だ!」


 オチカがコナの肩を掴んだ。


 グライダーを広げ、炎の中から飛び立つ。


 下では、施設が次々と爆発し、湖の表面が沸騰していた。


 空へ抜けた瞬間、地上がまばゆい光に包まれた。


 爆炎が夜空を赤く染め、衝撃波が丘を揺らす。


 コナは振り返った。


 ドームの屋根が崩れ落ち、燃え盛る炎の中から――


 巨大な黒い影が浮かび上がる。


 細長い岩のような形。


 全長二十メートルはある戦闘艇だった。


 ゾロアンダーの艦が、青い炎を噴き上げて飛び立つ。


「逃げる気か!」


 コナは拳を握った。


 だが、その艦を追う力はもう残っていなかった。


 戦闘艇は空を裂き、星々の向こうへ消えていった。


 後に残ったのは、崩れた工作所と、煙の中に立ち尽くす少年の影。


 湖の表面は、静かに波を打っていた。


 まるで、何かを“待っている”かのように。




________________________________________


第7章 襲撃計画


 夜明けの光が丘を照らしていた。


 白い煙がまだ空に立ちのぼり、焼け焦げた金属の匂いが風に混じっている。


 コナとオチカは、炎上する工作所を遠くから見下ろしていた。


 爆発の衝撃で髪はすすけ、飛行服は裂けている。


「……終わった、のか?」


 オチカが息を切らしながらつぶやいた。


「いや、まだだ。ゾロアンダーは逃げた」


 コナは唇をかみしめた。


「それに、湖がまだ生きてる」


 視線の先、スエ湖の中央が再び脈動していた。


 銀色の波が円を描き、ゆっくりと収束していく。


 湖の中心に、黒い穴のような影が開いていた。


「……まるで、星の“心臓”だな」


 オチカの声が震えた。


「いや、あれは“門”かもしれない」


 コナは低くつぶやいた。


「ゾロアンダーは、あそこからこの星の内部へ――いや、宇宙のどこかへ通じる道を作ってる」


* * *


 ターラの丘に戻ると、リムが待っていた。


 彼女の顔には疲れと、息子を見つけた安堵が同居していた。


「無事でよかった……」


 リムはコナを抱きしめた。


 コナの背中から焦げた臭いがした。


「ごめん、母さん……でも、あれが湖を操ってる“ゾロアンダー”だ」


「見たのね……」


 リムは観測装置を操作しながら、記録データを呼び出した。


 モニターには、湖の上空に浮かぶ戦闘艇の映像が映っていた。


 その艦の下で、銀色の液体がうねり、湖面から吸い上げられていく。


「ゾロアンダーは湖を燃料源として、何かを“作っている”のね」


「何かって?」


「……この惑星を“再構築”する装置かもしれない。星そのものを変えるつもりよ」


 リムの声がかすれた。


「もしそれが完成すれば、ゾラは――人が住めない星になる」


 静まり返る室内で、観測機のモーター音だけが響いていた。


「じゃあ、止めるしかない」


「でも、どうやって?」


 コナは少し考えた。


「耐油の火炎弾は奴らに効く。あれを大量に使って、湖そのものを焼き払うんだ」


 リムは驚いたように目を見開いた。


「そんなことをしたら、この地の燃料がすべてなくなるのよ」


「かまわない。この星が喰われるよりましだ」


 沈黙が流れた。


 リムはゆっくりとうなずいた。


「……わかったわ。協力する」


* * *


 夕暮れ、ターラの残った住民たちが丘の広場に集まった。


 コナとオチカが立ち、リムが背後で投影機を操作する。


 スクリーンに湖とゾロアンダーの戦闘艇の映像が映し出された。


「聞いてくれ!」


 コナが声を張り上げた。


「この星を蝕んでいる“湖”の正体は、異星の存在ゾロアンダーが操る捕食細胞だ!


 あいつらは湖を燃料にして、星を作り変えようとしている。放っておけば、俺たちの住む土地も、空気も、すべて喰われる!」


 ざわめきが広がった。


 誰かが叫ぶ。


「じゃあどうするんだ!?」


「湖を焼く!」


 コナの声が響いた。


「耐油を集めて、湖を炎で包む! ゾロアンダーが逃げたとしても、奴の“心臓”を焼き尽くす!」


 沈黙のあと、誰かが拍手をした。


 それが次第に広がり、群衆が声を合わせた。


「やろう!」「あいつらを追い出せ!」


 リムは涙をこらえながら笑った。


 コナの横で、オチカが肩を叩いた。


「おまえ、ほんとにガキかよ。立派になりやがって」


「おまえに言われたくないな」


「ハハ、そうだな」


* * *


 翌日。


 丘の上には、耐油を積んだフランボ艇がずらりと並んでいた。


 ターラの人々が総出で協力していた。


 リムが調合した特殊火炎弾をグライダー用のカプセルに詰めていく。


「燃焼時間を延ばしてある。これなら湖の表面ごと焼けるわ」


 コナは最後の弾を装填し、翼を広げた。


 その瞳に迷いはなかった。


「オチカ、準備は?」


「上等だ。行くぞ、星を取り返しに」


 空が赤く染まり始めたころ、十数機のグライダーが一斉に飛び立った。


 燃料艇の光が尾を引き、銀色の湖の方向へ向かう。


 風が唸る。


 遠く、湖の表面がざわめき出した。


 ゾロアンダーが気づいたのだ。


 空の奥から、無数のロコイドが出撃してくる。


 緑の光が点々と瞬き、まるで星の群れのようだった。


「来たぞ! 迎撃態勢!」


 オチカが叫ぶ。


 夜空に火花が咲く。


 火炎弾と光線が交差し、爆発音が響く。


 コナは仲間たちと編隊を組み、湖の中心を目指した。


 そこに、“門”がある。


 ゾロアンダーの最後の拠点。


「耐油弾、全弾装填!」


「了解!」


 彼らの声が風に消える。


 空は赤く、湖は銀に光っていた。


 この星の運命を決める夜が、始まろうとしていた。


________________________________________




第8章 ゾロアンダーの塔


 夜空は燃えていた。


 銀色の湖の上に、無数の火花が散っている。


 グライダー部隊が湖上を旋回し、ロコイドの群れと交戦していた。


 火炎弾が弧を描き、青白い閃光が夜を裂く。


「後方、三体! 来るぞ!」


 オチカの声が通信機に響いた。


 コナは翼を急上昇させ、機首を反転。


 拾速起動銃を構えて引き金を引く。


 炎が閃き、ロコイドの推進器を焼き切った。


「命中!」


「さすがだな、坊主!」


 オチカの声が頼もしく響く。


 だが、敵の数は減らない。


 湖の表面から新たなロコイドが次々と浮上してくる。


 まるで湖そのものが、無限に兵を生み出しているかのようだ。


「くそ……キリがねえ!」


 仲間の一人が叫ぶ。


 その声が終わらぬうちに、赤い光線が飛び、彼の翼が爆ぜた。


 火の尾を引きながら墜落していく。


 湖の粘液がそれを飲み込み、音もなく消えた。


「コナ! 中央へ行け! あの穴を狙うんだ!」


 リムの声が無線機から響いた。


 観測ドローンが捉えた映像がモニターに映る。


 湖の中心部、黒い渦が口を開いていた。


 それはまるで、星の心臓に通じる“門”のようだった。


「了解!」


 コナは機体を傾け、中心へ突進した。


 背後で、オチカが援護射撃を続ける。


「お前を通すために、俺たちがいるんだ! 行けぇっ!」


 ロコイドの弾幕をすり抜けながら、コナは渦の中心に到達した。


 湖の表面が光を放ち、機体が引きずり込まれる。


「うわっ!」


 次の瞬間、世界が反転した。


* * *


 ――そこは、光のない世界だった。


 重力が歪み、上下の感覚が消える。


 銀色の空間の中に、巨大な塔が立っていた。


 螺旋を描くように伸びたその塔の頂に、ゾロアンダーの戦闘艦が浮かんでいる。


「ここが……ゾロアンダーの巣か」


 コナは翼をたたみ、塔の中へ降り立った。


 足元の床は柔らかく、金属ではなく有機物のように脈動している。


 壁の中を、銀色の液体が血管のように流れていた。


 その中央に――ゾロアンダーがいた。


 白い貫頭衣のような身体、三角錐の頭部、そして瑠璃色のひとつ目。


 その目が青く輝き、静かに言葉を発した。


「ようこそ、人の子よ」


「……なぜ、この星を喰う?」


「喰う? 違う。我らは“変える”のだ。


 おまえたちが汚した土を浄化し、命の原型を取り戻す。


 この星は、もとは我らの世界だった」


「嘘だ!」


 コナは叫んだ。


「この星には、俺たちが生きてきた。畑も、風も、母さんの笑顔もある!


 それを奪うのが、正しいわけがない!」


 ゾロアンダーの目が淡く光った。


「人の言葉で“生”を語るとは。だが、おまえたちの文明は死を撒いた。


 耐油という毒で星を蝕み、湖を汚したのはおまえたちだ」


 その言葉に、コナの胸が痛んだ。


 確かに、ターラの製油所の廃油が湖を濁らせていた。


 人間たちの便利さの裏に、星の悲鳴があったのかもしれない。


「……それでも、俺は生きたい。母さんも、みんなも。


 星を救うっていうなら、共に生きる方法を探せばいい!」


 ゾロアンダーは沈黙した。


 ひとつ目がわずかに光を弱め、そして再び強く輝いた。


「愚かなる者よ。進化は痛みなくして成らぬ」


 その瞬間、塔の壁が動き出した。


 無数のロコイドが塔の中から姿を現す。


 その数、百体を超えていた。


「おまえたちの“痛み”を、我が証明してやろう」


 コナは拾速起動銃を構えた。


「なら、俺も見せてやる。人の“強さ”を!」


 火炎弾が閃き、塔の中に炎が広がる。


 ロコイドの身体が焼け、銀色の液体が弾け飛んだ。


 炎の中を突き進みながら、コナは塔の中心にある巨大な結晶体――湖の核へ向かった。


「これが……星の心臓!」


 それは、無数の捕食細胞が結晶化したものだった。


 鼓動のたびに、銀の光が塔を包む。


 無線機からリムの声が届く。


「コナ! そこが湖の“制御核”よ! 火炎弾を叩き込め!」


「了解!」


 コナは銃を構え、トリガーを引いた。


 轟音が響き、火炎弾が結晶体に命中する。


 真紅の炎が弾け、塔全体が震えた。


「やめろぉぉぉぉっ!」


 ゾロアンダーが咆哮した。


 その声は空間全体を揺らし、光が乱舞する。


「この星は、再生のための器だ! 貴様らのような脆き命に預けられぬ!」


「この星は、俺たちの家だ!」


 コナは最後の火炎弾を撃ち込んだ。


 結晶体が砕け、眩い閃光が走る。


 塔が崩れ始めた。


 ロコイドたちが次々と倒れ、銀の液体が霧となって宙へ舞う。


 ゾロアンダーの身体が溶け、声が消えていく。


「……我らは……帰るだけだ……星の……記憶へ……」


 その言葉を最後に、塔はまぶしい光に包まれた。


* * *


 コナは気づくと、湖の上空にいた。


 爆発で吹き飛ばされたのだ。


 下では、湖の水が引き、銀色の光が天へ昇っていく。


 それはまるで、星が再び息を吹き返していくようだった。


 遠く、オチカのグライダーが煙を上げながら降下していくのが見えた。


「オチカ!」


 コナは叫び、機首を向けた。


 だが、彼の機体は湖面に触れる寸前で炎に包まれ、光の中へ消えた。


 空に残ったのは、青白い静けさだけだった。


________________________________________






第9章 戦いの果て


 風が止んでいた。


 音という音がすべて消え、ただ光だけが世界を包んでいた。


 湖の中心で、コナはゆっくりと目を開けた。


 空は白く、地平線がどこまでも霞んでいる。


 耳鳴りのような低い響きが続いていた。


「……生きてる?」


 自分の声がやけに遠く聞こえる。


 身体は重く、全身に焼けるような痛みが走った。


 グライダーの翼は折れ、拾速起動銃も半ば溶けていた。


 周囲には誰もいなかった。


 ただ、湖の水が澄みきったガラスのように静まり返っていた。


 あの銀色の粘液は跡形もない。


「……終わったのか」


 立ち上がると、足元の地面が柔らかく光った。


 それは湖の底から昇ってきた小さな粒――


 かつて捕食細胞と呼ばれたものが、今は青く透き通り、


 風に乗って空へ舞い上がっていく。


 その光景は、まるで魂が還っていくようだった。


「オチカ……みんな……」


 コナは空を見上げた。


 あの戦いで、多くの仲間が消えた。


 だが、その犠牲がこの静けさをもたらしたのだと思うと、


 胸の奥に熱いものがこみ上げてきた。


 風が吹いた。


 光の粒が渦を巻き、空の一点に集まっていく。


 その中心に、かすかな声が響いた。


 ――「我らは、記憶を返す」


 ゾロアンダーの声だった。


 もう怒りも悲しみもなく、ただ穏やかに響く声。


「おまえたちは、星を守った。


 ならばこの星は、再びおまえたちに託そう。


 われらは帰る――この宇宙のはじまりへ」


 光の渦が天へと昇り、次第に星々の間へ溶けていった。


 空が青く戻り、風がふたたび流れ始めた。


* * *


 数日後、ターラの丘。


 焦げ跡の残る大地の上で、コナとリムは再会した。


 リムは両手でコナの顔を包み、涙をこぼした。


「よかった……帰ってきてくれたのね」


「うん。……でも、オチカが……」


「彼のこと、聞いたわ」


 リムはそっと息をついた。


「彼もこの星の一部になったのよ。私たちと同じように」


 丘のふもとでは、住民たちが再び畑を耕していた。


 フラ麦の種が植えられ、子どもたちの笑い声が風に乗る。


 湖の水は透き通り、もう銀色には光らない。


 牛たちはのんびりと草を食み、鳥たちが空を横切る。


「見て、コナ。あんなに澄んだ湖、初めてよ」


「……あれが、本当の星の色なんだね」


 リムはうなずき、空を見上げた。


 雲の切れ間から、白い光が差し込む。


 それはまるで、ゾロアンダーの残した祈りのように優しかった。


「母さん」


「なあに?」


「ゾロアンダーは、悪いだけの存在じゃなかった気がする」


「そうね。あの人たちもきっと、生きようとしていただけ。


 ただ、生き方が違っていたのね」


 ふたりはしばらく黙って空を見上げていた。


 鳥の影が風に流れ、遠くで子どもが笑う。


 星はゆっくりと、傷を癒やし始めていた。


* * *


 その夜。


 家の窓から見える空に、ひとすじの光が走った。


 流れ星のように見えたが、それはまるで――


 宇宙の彼方へと旅立つ、ゾロアンダーの戦闘艦の残光のようでもあった。


 コナはマグカップを手に、静かにその光を見つめた。


「母さん、あれ見て」


「ええ、きれいね」


「……あいつら、またどこかの星で、生き直すのかな」


「きっとそうよ」


 風がカーテンを揺らした。


 そのとき、遠くの空から微かな声が聞こえた気がした。


 ――「ありがとう」


 コナは微笑んだ。


「どういたしまして。……もう二度と来るなよ」


 リムが笑い、そっとコナの肩に手を置いた。


 家の外では、虫の声と風の歌が交じり合っていた。




________________________________________


第10章 空へ還る者たち


 季節が変わった。


 あの戦いから、三か月。


 星は、少しずつ、ゆっくりと、息を吹き返していた。


 湖のほとりでは草花が芽吹き、透明な水面に鳥が舞い降りている。


 かつて銀色に濁っていた湖は、今は澄んだ青を湛えていた。


 ターラの人々は戻ってきて、家々を建て直し、畑を耕していた。


 空には風が流れ、星は静かに輝きを取り戻していた。


 丘の上、リムの小屋の前にコナの姿があった。


 彼は破れたグライダーの翼を修理しながら、時おり空を見上げていた。


 風が頬を撫でるたびに、あの夜の音――爆発、風切り、叫び――がふと蘇る。


「コナ、まだ直しているの?」


 リムが麦茶を手にやって来た。


「うん。これがあれば、また空へ行けるから」


「また、あんな危険なところに?」


「違うよ。もう戦うためじゃない。……確かめたいんだ」


 リムが首をかしげる。


「何を?」


「ゾロアンダーの残した“光”。あのとき、空の彼方へ昇っていっただろ?


 あれがどこへ行ったのか……見てみたいんだ」


 リムは静かに頷いた。


「あなたは本当に、あの子たちを引き継いだのね」


「たぶんね。でも、ぼくたちは違うやり方で生きていく」


 夕暮れ。


 グライダーが風を受け、コナは空へと舞い上がった。


 丘が小さくなり、ターラの街が遠ざかる。


 眼下には再生した湖が広がり、青い波がゆるやかに揺れていた。


 高度を上げるごとに、風が冷たくなっていく。


 空の上層は薄く白く、星々がちらちらと瞬いていた。


 そのときだった――


 視界の端に、光の帯が走った。


 金色に輝く粒が列をなし、北の空へと流れていく。


 それはまるで、ゾロアンダーの魂が旅立っていくかのようだった。


「やっぱり……生きてるんだな」


 コナはそっと微笑んだ。


「この星も、あいつらも」


 風が吹いた。


 空の彼方から、聞き覚えのある声がした。


 ――オチカの声だ。


 〈坊主、負けんなよ。空は広いんだ。どこまでも行ける〉


 コナは笑った。


「わかってるさ。今度は、ぼくたちが守る番だ」


 彼は機体を傾け、雲の上へと飛び出した。


 真っ白な雲の海が広がり、その上には黄金色の陽光があった。


 光が翼を包み、グライダーが一瞬だけ、鳥のように輝いた。


 その下では、リムが丘の上から空を見上げていた。


 小さな光点が、まっすぐ天へ昇っていく。


 その姿を見ながら、リムは静かに目を閉じた。


「……いってらっしゃい、コナ」


* * *


 その夜。


 ターラの空に、再び一筋の光が流れた。


 青と金の尾を引きながら、遠い宇宙の果てへ――。


 リムは焚き火のそばでつぶやいた。


「この星は、もう大丈夫。あなたたちが残してくれた光が、まだここにある」


 風が草原を渡り、湖の水面がきらめいた。


 そのきらめきの中に、一瞬だけ、オチカとゾロアンダーの姿が映ったように見えた。


 やがて風が止み、静寂が訪れる。


 星々がまたたく。


 その光のひとつひとつが、かつて戦った者たちの記憶のように思えた。


 ――星は、生きている。


 そして、物語もまた、いつかどこかで、


 新しい命となって生まれ変わるのだろう。


________________________________________


終章 風の記憶


 風が丘を渡る。


 小麦の穂が揺れ、湖面がきらりと光る。


 遠くの空で鳥が鳴き、光が雲間を抜けて降り注ぐ。


 コナとリムが見つめる空の向こうには、かつてゾロアンダーたちが去った道がある。


 あの星々のどこかで、また誰かが生きているのだろう。


 争いではなく、共に息をするために。


 風が頬を撫でた。


 その風の中に、かすかな声が混じっていた。


 ――「また会おう、コナ」


 少年は笑った。


 空はどこまでも青く、光は永遠に続いていた。


  -完-






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

捕食惑星ゾラ ~ 星を喰らう湖と、少年が見つけた空の記憶 ~ 近藤良英 @yoshide

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画