翔 ~空を取り戻した少年と、眠れる王の物語~

近藤良英

第1話

第一章 紫電の空


 またしても、宅配ボックスに間違い荷物が入っていた。


 宛名は、隣の区画に住む「おばさん」だ。


 同級生の母親で、俺――翔しょうが子どものころから顔なじみ。母親代わりのような存在でもある。これで、もう五回目だ。


「何度言ってもダメだな……」


 ベランダの駐機場で、俺は小さな段ボールを脇に抱え、愛機〈紫電〉にまたがった。


 紫電はハーレー・ダビッドソンの二倍くらいのサイズがあるが、値段は逆にハーレーのほうが倍くらいする。青白く光る胆振いぶりエンジンを積んだ、最高の空バイクだ。


 ――ドゥルルルルル……。


 低く響く深いエンジン音が、体の奥を震わせる。


 この音がたまらなく好きだ。機械というより、心臓の鼓動みたいに感じる。


 トキワシティ・オオヤマ地区。高度四千フート。


 雲の海を突き抜けて、何百もの高層アパートが立ち並ぶ街並みを抜け、俺は〈一〇〇二号室〉のベランダに紫電を停めた。


「おばさん、またこっちに届いたよ」


 声をかけると、エプロン姿のおばさんが手を拭きながら出てきた。


 丸顔で笑うと若く見えるけど、目じりの皺が年齢を感じさせる。五十代後半くらいだろう。


「ありがとねえ、翔くん。最近、配達の人がよく間違えるのよねぇ。業者さん、教育が足りてないのかしら」


 いつも通りの優しい声。思わず俺も笑みがこぼれた。


 段ボールを手渡すと、おばさんは「ごめんね、助かるわ」と頭を下げた。


 紫電を再始動させると、エンジンの光が再び青く瞬いた。


 ベランダの下で、おばさんが小さく手を振っている。俺はそれに片手を上げて応え、一気に上空へ加速した。


 ――所要時間、二分。


 そのはずだった。


 だが、帰路の軌道上で事故が起きていた。


 空中で、バイク型と車型の機体が正面衝突していたのだ。バイクのほうは、激しく炎を上げていた。


 トキワシティの交通は、基本的に自動制御だ。


 胆子たんしコンピュータが軌道上の全車両を管理している。けれど、たまに「マニュアル運転」に切り替えて、粋がるドライバーがいる。事故のほとんどは、そういう奴らが原因だ。


 乗用車の中でドライバーがうずくまっている。


 バイクの運転手は、投げ出されて落下したらしい。


 バイク乗りは、腰に浮遊装置を付けておく義務がある。だが高価なため、付けている者は少ない。


 俺は慌てず、事故処理班と救急機を呼んだ。


 すぐに現場へ青白い閃光を放つ救急機が到着し、テキパキと処理を始めた。慣れているのだろう。


 見届けると、俺は短く息をついた。


「……そういや、犬のエサを買うの忘れてたな。急がないと」


 再び紫電を飛ばし、家路を急いだ。


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 帰宅すると、玄関で待っていたのは大きな影だった。


 灰色の毛並みに金属のラインが光る――うちの相棒、ペガサスだ。


「ペガサス、ただいま!」


 ドンッと体当たりされ、顔じゅうをよだれでベタベタにされた。


「わかった、わかったって!」


 苦笑しながら抱きしめる。


 ペガサスは、親の代から飼っているシェパード系の老犬で、もう三十歳になる。


 年のせいか内臓の半分は機械に交換していて、いわばサイボーグ犬だ。


 それでも、心は昔のまま。俺にとって唯一の家族だ。


 冷蔵庫からドッグフードを出し、アルミの大皿に盛る。


 水のボウルを並べると、待ちきれなかったペガサスが勢いよく食らいついた。


「ただいま」


「おかえり」


 ――リビングに浮かぶ立体映像が応えた。


 それは、俺の両親の遺影だった。


 二人は十七年前、交通事故で亡くなった。俺が三歳のときのことだ。


 事故の詳細は今も不明だ。おばさんは何か知っている気がするが、教えてくれない。


 残されたのは、この家と、わずかな保険金だけ。俺はそれで十七年間、生きてきた。


 今はフリーの特務官。


 高等技術学校を出てから一年、独立して小さな事件を請け負っている。


 警察は民営化され、今では「依頼制」だ。市民が賞金を出し、特務官が事件を解決する。俺はその登録者の一人だ。


 とはいえ、まだ駆け出し。


 装備も自前だから、スーツや武器に金がかかる。


 父の遺品だった紫電を改良しながら、少しずつ信用を積み上げてきた。


 デスクに置いた電子ノートを開く。


 新しい依頼がいくつも並んでいる。どれも安い仕事ばかりだ。


「……コンビニ強盗か。まあ、練習にはいいか」


 映像データを解析し、顔認識システムで照合。黒いフードとマスクの若い男がヒットした。


 俺は紫電を駆り、現場へ飛んだ。


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 ナリマス地区、高度二千五百フート。


 夜の街のネオンを抜け、路上で男を発見する。


「そこまでだ!」


 紫電から放った電磁網が、男の体を包み込む。


 ビリッ――電気ショックで気絶した男を吊り下げ、コンビニの前に降り立った。


 店主のオーナーが顔を真っ赤にして叫ぶ。


「お前、施設で四年は覚悟しろ!」


 怒鳴り声が夜空に響いた。


 この世界では、犯罪者は死刑にはならない。代わりに、外の収容施設で労働刑に処される。


 だが、そこから生きて戻る者はほとんどいない。地獄のような環境らしい。


「ご苦労さん。足しといたからな」


 オーナーから追加のチップが電子口座に振り込まれた。


 小さく笑い、俺は帰路につく。


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 夕暮れ。


 ベランダに紫電をつけ、缶のビールをジョッキに注ぐ。


 冷えた金属の感触が手に気持ちいい。


 四千フートの高さから見下ろす街は、雲の切れ間に光の海が広がっていた。


 ペガサスがそばで俺を見ている。


「悪いな、これは人間専用だ」


 代わりに、犬用の栄養ドリンクを水に混ぜてやる。


 ペガサスは満足げに尻尾を振った。


 そのとき、夜空に見覚えのある青白い光が流れた。


 紫電の倍はある黒光りのバイク――栗林くりばやしさんだ。


 ベランダの前に巨体が降り立つ。


 全身を黒いカーボンスーツで覆い、右頬には深い傷。身長は二メートル近い。


「新しい案件を持ってきたぞ」


 低い声が響く。


 俺はジョッキを置き、うなずいた。




 第二章 機械獣の影


 翌朝。


 目覚ましのけたたましい音が鳴り響いても、体がまるで鉛のように重かった。


 昨日、栗林さんに付き合って飲みすぎたせいだ。あの人は見た目どおり強い。こっちはいつも先に沈む。


 ベッドの下から、ぬっと顔を出した影が一つ。


 ペガサスが、俺の顔をぺろぺろと舐めてきた。


「……わかったよ、散歩ね」


 抵抗しても無駄だ。毎朝これで起こされる。


 エレベーターで屋上庭園へ上がる。ここは雲の上の庭園――地上から四千フート。


 白い雲の海の上に、緑の芝生が広がり、人工太陽の光がやわらかく降り注いでいる。


 ペガサスは、待ちきれないとばかりに走り出した。口からよだれを垂らしながら、金属の足をカシャンカシャンと鳴らす。


 他にも犬が三匹ほど。どれも純血種の高級犬だが、うちのペガサスだけは雑種でサイボーグ。


 それでも誰より元気だ。


 黄金色のレトリバー、メグが駆けてきた。


「おはよう、メグ」


 ペガサスが尾を振って応える。


 メグの飼い主は、二十代後半くらいの女性。銀行に勤めていると前に聞いた。


 ロングヘアを指でかき上げる仕草が、なぜか印象に残っている。


「翔くん、今日も早いのね」


「いや、ペガサスが勝手に起こすんです」


 俺が苦笑いすると、彼女はクスッと笑った。


 少しの会話が、朝の空気をやわらかくする。


 ペガサスは十分ほど走ると、ハアハアと息を切らしながら戻ってきた。


 もう老犬だ、無理はさせられない。


 水をたっぷり注いだボウルを出すと、勢いよく飲み干した。


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 部屋に戻ると、電子ノートがピコピコと光っていた。


 新しい仕事の通知だ。


 依頼内容――「ミズホ地区の幼年学校に機械獣が出現。捕獲または無力化せよ。」


 思わず息をのんだ。


 機械獣――ドームの外から侵入してくる、謎の存在。


 その正体は長年不明のままだ。


 形は恐竜に似ており、体長五~十メートル。金属と有機体が混ざったような身体を持つ。


 人間の技術では作り出せない。どこから来るのか、誰が操っているのか、誰も知らない。


 翔は装備を整えた。


 黒いカーボンスーツに網鋼ブーツ、腰には胆振ライフル。


 そして、紫電のエンジンを起動させる。青い光がベランダを照らし出す。


「行ってくる、ペガサス。留守番頼むぞ」


 ウォフ、と短く鳴いたあと、ペガサスは尻尾を二度振った。


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 高度三千フィート。


 ミズホ地区上空に着くと、下では煙が上がっていた。


 幼年学校のグラウンドで、巨大な影が暴れている。


 ――ギガノトサウルス型の機械獣。


 十メートルはある。鋭い牙の間から赤い光線を吐き、校舎の壁を焼き切っていた。


 特務官がすでに五、六名来ていたが、苦戦している。


 電磁網を撃ってもすぐ破られ、反撃の光線で二人が吹き飛ばされた。


 校舎の屋上には子どもたちと先生が避難している。


 泣き叫ぶ声が風に混ざって届いた。


「やるしかないか……」


 翔は紫電を急降下させ、ヘッドライトの横に仕込んだ胆振砲を発射した。


 青い閃光が機械獣の胴に命中。


 だが――びくともしない。


 逆に怒った機械獣が尾を振り、紫電の車体をしっぽでつかみ上げた。


 ものすごい力で振り回される。


 翔はシートから投げ出され、校舎の屋上に叩きつけられた。


「うっ……!」


 胸が焼けるように痛む。動けない。


 機械獣が口を開け、赤い光をチャージする。


 まっすぐ翔の方を向いていた。


 ――その瞬間、眩しい青い閃光が横から走った。


 ピンッ、と鋭い音。


 機械獣の頭部が一瞬で貫かれ、光が消える。


 巨体がグラウンドに崩れ落ちた。


「危なかったな」


 上空から聞き覚えのある低音。


 見上げると、黒光りのバイク〈雷電〉にまたがった栗林さんがいた。


 後部のBOXには――ペガサス。


「おい、なんで……!」


 ペガサスが尻尾を振り、嬉しそうに吠えた。


 その両目は淡く青く光っている。


「言っただろ。機械獣にはペガサスを連れて行け、って」


 栗林さんが笑う。


 そういえば以前、何度か同じことを言われた気がする。


 ペガサスの目――あれが光線の正体だった。


「お前の親父さんも、同じことを言ってた」


「うちの親父が?」


「機械獣には、ペガサスだ。そう口癖のように言ってたな」


 栗林さんは遠い目をした。


 ペガサスが老犬の姿でグラウンドに降り、倒れた機械獣のそばに歩み寄る。


 焦げた金属の隙間から、まだ微弱な電流が走っているのが見えた。


 ペガサスが短く唸り、もう一度目を光らせると、残っていたエネルギーが完全に消えた。


 その動作は、まるで何かを“封じる”ようでもあった。


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 現場に処理班が到着し、巨大なトラックが機械獣を回収していった。


 研究機関に運ばれて解析されるらしい。


 屋上の子どもたちは涙をぬぐい、歓声を上げながら翔たちを見送った。


 教師らしい中年女性が深々と頭を下げる。


 翔は軽く会釈し、紫電に乗り込んだ。


「一杯やるか?」


 栗林さんが笑う。


 まだ昼なのに、すでに飲む気満々だ。


「……はいはい、付き合いますよ」


 軌道を上昇し、トキワシティの夕焼けの中を二人のバイクが並んで走る。


 空のトンネルに浮かぶ無数のネオンライトが流星のように過ぎていった。


 夜風が頬をかすめるたび、どこか遠くの星の匂いがした。


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 ベランダに戻り、冷えた金属ジョッキを交わす。


 雲の上の風は心地よく、夕陽が雲を金色に染めていた。


 下の街の明かりは、まるで星空を逆さにしたみたいだった。


「……今日のは危なかったな」


「ペガサスがいなきゃ、終わってましたね」


 翔は、足元で丸くなっている老犬を見つめた。


 あの青い光――あれはいったい何なんだ?


 ペガサスの目の奥で、何かが眠っているような気がした。


 翔は、ふと胸の奥にざらついた不安を覚えた。


 それは、まだ名前のない“予感”だった。




 第三章 フタバの記憶


 その朝も、目覚ましより早くペガサスの舌が顔に襲いかかった。


「うわっ、やめろって! 顔、ベトベトじゃん!」


 ウォフウォフ、とご機嫌な返事。完全に遊んでいる。


 仕方なく起き上がると、ペガサスの目がキラキラと光っていた。


「腹減ったんだろ。わかった、今用意するから」


 冷蔵庫からドッグフードを取り出して、アルミのボウルにざらざらと注ぎ込む。


 そこに特製ドリンクを混ぜてやると、待ちきれない様子で鼻を突っ込み、ぶははっと豪快に食べ始めた。


 その食べっぷりを見ていると、なんとなく元気をもらえる。


 俺はシャワーを浴び、コーヒーを淹れる。朝は少しぬるめが好きだ。


 湯気の向こうで電子ノートがピコピコと光っている。


 新しい依頼だ。画面を開くと、タイトルが目に飛び込んできた。


 ――「隣のドームで行方不明になった少女の救出」。


 思わず息をのんだ。


 隣のドーム、つまりフタバシティ。


 二十年前、中央界子脳の暴走で全滅したとされる都市だ。


 人はもう住んでいないはず。だが、少女がそこに“消えた”?


 報酬は百万ゾル。


 通常の十倍以上。危険極まりない任務だ。


 だが、同時に――何かに呼ばれている気がした。


 ベランダに出ると、朝の光の中に黒い影がゆっくりと近づいてくる。


 栗林さんの〈雷電〉だ。


 巨大なバイクの機体が青い風を巻き起こしながら着地する。


「やるよな」


 低い声が響いた。


 俺は苦笑しながらうなずいた。


「わかってるんですね、いつも」


「顔に書いてある。……準備がいる。装備を整えるぞ」


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 二人はアサカ地区の武装マーケットへ向かった。


 そこは闇市のような場所で、ネオンの光が常にちらついている。


 湿った空気が肌にまとわりつく。人工降雨がこの地区の空気を浄化する仕組みらしいが、逆にじめじめしていた。


 店先には、鍋や食器が並んでいて普通の雑貨屋に見える。だが奥のカーテンの向こうが本命だ。


 栗林さんが慣れた様子で入ると、奥から声がした。


「やぁ、栗ちゃん、久しぶり〜」


 現れたのは、丸顔でつやつやした巨漢の中年男。


 黒いTシャツがピチピチで、仕草がどこか柔らかい。


「いろいろ入荷してるわよ〜」


 どう見ても“お姉”系だが、腕は確かだ。


 案内された奥の部屋には、武器がずらりと並んでいた。


 胆振バズーカ、電磁ムチ、網鋼銃……物騒な光景だ。


 その中で目を引いたのは、手のひらサイズの十字型の武器。


「これ、何ですか?」


「新製品。見た目は手裏剣、だけどね。投げると自動で標的を追尾して、エネルギーを切断するの」


 値札には二十万ゾルとある。


「高っ!」


「使えばわかるわよ〜、命の保険と思いなさい」


 お姉さんはウインクした。


 栗林さんが淡々と支払いを済ませ、俺に手渡した。


「持っておけ。無駄にはならん」


 その口調には、何か含みがあった。


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 夜、二十時二十分。


 俺たちは「ドラゴン特急」に乗り込んだ。


 フタバシティ行きの臨時便――十年ぶりの運行らしい。


 駅舎は古びた木造で、壁にツタが絡まっている。だが、なぜか灯りはまだ生きていた。


 集まった特務官は十名ほど。


 それぞれが重装スーツに身を包み、互いに警戒し合っている。


 女性も二人いた。


 ひとりは赤いカーボンスーツのアン、もう一人はピンクのトキエ。


 二人とも以前、講習会で見かけた顔だ。


「また会ったね、翔くん」


 アンが軽く手を振る。


「お互い無事に帰ろうな」


「そのフラグ立てないでよ」


 トキエが笑いながら肩を叩いた。緊張感の中にも、少し安堵があった。


 列車が汽笛を鳴らして動き出す。


 ――ピィーーー。


 古い音が空気を震わせた。


 車体がきしむ。だが速度は徐々に上がっていく。


「順調なら一時間で着くはずだ」


 栗林さんがつぶやいた。


 だが三十分ほど走ったところで、列車が急に減速した。


 車両の前方――黒い影。


 線路をふさぐように、巨大なステゴサウルス型の機械獣が立ちはだかっていた。


 尾の先に四本の突起。そこから電気のような光がほとばしる。


 次の瞬間、真紅の光線が走った。


 ――シュワッ!


 先頭車両のフロントガラスが焼け落ち、数名の特務官が蒸発した。


 熱気が肌を刺す。


「降りろ!」


 栗林さんの怒声で、残った者たちは外へ飛び出した。


 線路上は赤く照らされ、焦げた匂いが漂う。


 逃げようとする者、立ちすくむ者。


 残ったのは俺、栗林さん、アン、トキエ――そして麻袋を背負った俺。


「それ、何?」


 アンが目を丸くした。


「……犬、です」


 袋の口から、ペガサスの鼻がぴょこんと出た。


「また持ってきたのか」


 栗林さんが苦笑する。


「機械獣にはペガサス、だろ?」


 まるで予知していたかのように、機械獣が動いた。


 尾を振り上げ、再び光線を溜める。


 その瞬間――ペガサスの目が青く光った。


 ピンッ!


 細い光の線が一直線に伸び、機械獣の喉を貫いた。


 ドォォン――。


 轟音とともに巨体が崩れ落ちる。


「すげぇ……」


 アンが息を呑む。


 俺はただ、ペガサスの頭をなでた。


「よくやったな」


 沈黙が戻った線路を、ドラゴン特急が再び走り出す。


 前方の暗闇の奥に、かすかな光が見えた。


 フタバステーション――かつて栄えた街の玄関口だ。


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 駅の中は、まるで時間が止まったようだった。


 天井は高く、壁一面にツタが生い茂っている。


 ランプがちらちらと瞬くが、光は弱い。


 ただ、どこかで機械のような呼吸音が響いていた。


「……気をつけろ」


 栗林さんの声が低く響く。


 改札へ近づいたとき、背後で悲鳴が上がった。


「きゃあああっ!」


 振り向くと、トキエがツタに巻き付かれて宙吊りになっていた。


「トキエ!」


 アンが叫ぶ。


 だがツタはあっという間にトキエの全身を包み込み、壁に張り付けた。


 生きている――いや、動いている。


 ツタがうごめき、まるで巨大な獣のようだった。


「植物じゃない……機械獣の一種だ!」


 栗林さんが手裏剣を放つ。


 十字の刃が青い光を放ちながら宙を飛び、ツタを切り裂いた。


 トキエが重い音を立てて床に落ちる。


「助かった……ありがとう」


 顔を真っ赤にしながら、息を荒げる。


 そのとき、改札横の待機室から声がした。


「た、助けて……」


 ガラス越しにのぞくと、五歳くらいの少女がいた。


 半身がツタに覆われている。


「ペガサス!」


 俺が叫ぶと同時に、ペガサスの目が青く光った。


 ビュッ、と光線が走り、少女を包むツタを一瞬で焼き切った。


 少女は気を失ったが、息はある。


 栗林さんが抱き上げる。


 丸顔でポニーテールの少女。赤いTシャツにジーンズ――どこか懐かしい雰囲気だ。


「退くぞ!」


 ツタが再び波のようにうねり始めた。


 俺たちは少女を抱えて特急へ飛び込む。


 ドアが閉まり、列車が動き出す。


 背後からうねるツタが押し寄せ、車体を包み込もうとするが、


 ドラゴン特急は全速力でトンネルを突き抜けた。


 ――ごおおおおお!


 地鳴りのような音とともに、暗闇が後方に遠ざかる。


 やがて、正面に明るい光が見えた。


 トキワステーション――帰ってきたのだ。


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 後にわかったことだが、あの少女は遊びに来ていたトキワ駅で誤って特急に乗り込み、扉が閉まってそのままフタバシティへ運ばれたらしい。


 なぜ列車が動いたのか、誰も説明できなかった。


 まるで何かに“呼ばれた”ように。


 ――フタバシティ。


 滅びた都市。


 だが、その向こうに、まだ何かが生きている。


 俺の胸の奥に、冷たい予感がひとつ、静かに落ちていった。




 第四章 講習の日


 翌朝。


 頭がずっしりと重い。昨日の酒がまだ残っている。


 薄目を開けると、リビングのソファに大きな塊が転がっていた。


 ――栗林さんだ。


 全身のカーボンスーツを半分脱ぎかけたまま、豪快にいびきをかいている。


 昨夜、珍しく父さんの話をしてくれたせいで、つい夜更けまで飲みすぎたのだ。


 覚えているのは、あの一言だけ。


 ――「あの事故、仕組まれたのかもしれんな」。


 その言葉が頭の中でぐるぐる回っていた。


 母さんと父さんの“交通事故”。ただの偶然ではなかったのか。


 聞き返そうとしたときには、栗林さんはすでにソファで寝落ちしていた。


 ペガサスが心配そうに俺を見上げる。


「……平気だよ。ちょっと考えごと」


 頭を振って気を取り直す。今日は講習の日だ。


 二年に一度、特務官が必ず受けなければならない訓練。


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 熱いシャワーで無理やり目を覚まし、ペガサスの頭を撫でて言った。


「留守番、頼むな」


 ウォフッ、と短く返事。


 ベランダの紫電が青白い光を放ち、エンジンの振動が胸の奥まで響く。


 空に向けて機体を反転させ、一気に上昇。


 オレンジ色の朝焼けの中を滑るように走った。


 目的地は、カミイタ地区の講習センター。


 白い大理石のような古い建物が、雲の上に浮かぶ島のようにそびえている。


 近づくと、外壁に刻まれた「特務官再教育局」の文字が目に入った。


 入り口の前で、太った守衛が腕を組んで待ち構えていた。


「おう、ギリギリだぞ!」


 俺は息を切らせながら走り抜ける。


「すみません!」


 滑り込みで講習室に入ると、九時ちょうど。なんとか間に合った。


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 会場は思ったより狭く、二十人ほどの特務官が詰め込まれていた。


 年齢層は二十代から三十代前半。


 その中に――見覚えのある二人。


 真っ赤なスーツのアンと、ピンクのスーツのトキエだ。


 目が合うと、アンが小さくウインクしてきた。


 トキエは手を振り、「あんたも来たのね」と口の動きで言う。


 なんとなく気恥ずかしくて、俺は頭をかいた。


 教官が入室してきた。


 五十代半ばの男で、黒の艶消しスーツに身を包み、肩には傷のような跡。


 額の白髪が印象的で、全身から“歴戦”の空気が漂っていた。


「おはよう。今日一日、みっちり頼むぞ」


 声は太く、無駄がない。


 講習は朝九時から夕方五時まで。地獄の長丁場だ。


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 一時限目は、「特務官の心得」。


 スクリーンに規律が映し出される。


 ――職務上の機密は口外するな。


 ――社会的使命を忘れるな。


 ――常に法令を守り、公正に行動せよ。


 延々と二十項目ほど読み上げられ、教室にはため息が満ちた。


 要するに「失敗しても自己責任」ってことだ。


 民間特務官には保証もない。自分の命も、契約次第。


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 二時限目は、実技――銃器訓練。


 場所を体育館に移すと、天井から浮遊的なターゲットが出現した。


 立体映像で再現された機械獣たちが、まるで本物のように動いている。


 映像といっても、ぶつかれば痛い“硬さ”を持つ特殊素材だ。


 教官が指示を飛ばす。


「十分で五体倒せ。武器は自由!」


 翔は胆振ライフルを構えた。


 ドンッ、ドンッ――青白い光が閃くたび、映像の機械獣が爆ぜた。


 感覚が現実とほとんど変わらない。汗が滲む。


 アンは素早い動きで次々と命中させ、命中率は九十九パーセント。


 トキエは長い電磁ムチを操り、鞭の一撃で機械獣を縛り上げていた。


 あの派手なピンクのスーツ姿で、まるで戦場の女王だ。


 俺は思わず見とれて、弾を一発外してしまった。


「おい翔、集中!」


 教官の一喝に、背筋が伸びた。


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 三時限目は「電子錠の解除」。


 白衣の講師が現れ、分厚い眼鏡をくいっと上げた。


 見た目は完全にオタク研究員だ。


「理論的にはですね、アクセスコードを分解して――」


 延々と続く説明に、頭の中が白くなっていく。


 結局のところ、講師が最後に言ったのはこうだった。


「わからなければ、撃てばいいんです」


 教室にどっと笑いが起きた。


 確かに、胆振ライフルで鍵ごと吹き飛ばすのが一番早い。


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 四時限目は「交通規則」。


 事故映像のオンパレードだ。


 画面の中で車が空中で衝突し、ドライバーが吹き飛ぶ。


「なるほど、これが教材かよ……」


 思わずつぶやく。


 教官は満足げにうなずいた。


「そうだ、君たちは規則を守れ。さもないとこうなる」


 映像の迫力がリアルすぎて、何人かは青ざめていた。


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 そして最後の五時限目。


 テーマは「機械獣の出現について」。


 室内が一気に静まった。


 教官がプロジェクターに映像を映す。


 そこには、トンネルの奥から這い出る巨大な影。


「最近の調査でわかった。機械獣はフタバシティの崩壊跡から鉄道を通じて侵入してきている」


 ざわめきが広がる。


 これまでの説――ドームのエネルギー体を突き破って入ってくる、という説は否定されたらしい。


 つまり、奴らは“道”を通ってやってくる。


 先日の少女救出の事件が証拠だ。


 あのトンネルこそが、機械獣の通り道。


「すべては君たちの今後の情報収集にかかっている」


 教官の言葉で講習は締めくくられた。


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 夕方。


 長時間座りっぱなしのせいで、肩と腰が痛い。


 翔は電子免許証を受け取り、デジタル印が更新されたのを確認した。


「……やっと終わった」


 小さく息をつく。


 ベランダの駐機場で紫電にまたがり、空へと舞い上がる。


 人工の夕陽がオレンジに染まり、雲の切れ間から街の灯がきらめいていた。


 風が心地いい。


「俺には、まだ時間がある」


 呟いた言葉が風に溶けた。


 紫電のエンジン音が遠ざかっていく。


 その音は、どこか未来へと続く予感を運んでいるようだった。




 第五章 沈む声


 翌朝。


 空は珍しくどんよりと曇っていた。


 厚い雲の切れ間から時折、白い光が差し込む。


 トキワシティの気象制御システムが故障しているらしい。


 空を飛ぶ市民の姿も少なく、街全体が沈んだように静かだった。


 ベランダに出ると、ペガサスが遠くをじっと見つめている。


 その横顔には、何かを感じ取るような真剣さがあった。


「どうした、ペガサス?」


 問いかけると、老犬はゆっくりとこちらを振り返った。


 その瞳の奥に、青い光が一瞬だけちらりと灯る。


 ――まるで何かを警告しているみたいだ。


 そんな胸騒ぎを抱えながら、朝食をとっていると、電子ノートが小さく鳴った。


 新しい依頼だ。


 タイトルを読んだ瞬間、思わず声が漏れた。


「……迷い犬の捜索?」


 依頼主は“アサクラ婦人”。報酬は五千ゾル。


 子どもが可愛がっていた子犬がいなくなったらしい。


 内容だけ見れば、簡単そうな仕事だ。


 だが――心のどこかで、嫌な予感がした。


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 午後。


 翔は紫電にまたがり、アサクラ家のあるヒガシヤマ地区へ向かった。


 緑豊かな住宅区で、どの家も同じような白壁と赤い屋根をしている。


 人工芝の庭では、子どもたちが無人ボールで遊んでいた。


 のどかすぎる光景に、かえって不安を覚える。


「おじゃまします」


 玄関の前で声をかけると、上品な婦人が出てきた。


 五十代くらいで、濃い紫のワンピースを着ている。


 その表情には、どこか焦りと不安が混じっていた。


「すみません、急にお願いして……。うちの子が、まだ生後三か月の子犬を……」


 婦人の声が震える。


「どんな犬ですか?」


「白くて、耳がピンと立ってて……名前は“ポコ”。昨日の夕方、ベランダの柵のすき間から外へ……」


 婦人の隣から、小さな女の子が顔を出した。


 七歳くらい。目を真っ赤にして泣きはらしている。


「おにいちゃん……ポコ、しんじゃったのかな……」


 その声に、翔の胸が痛んだ。


「大丈夫。絶対に見つける」


 そう言うと、少女の瞳にかすかな希望の光が戻った。


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 翔は紫電のスキャナーを起動し、付近一帯の映像を読み込んだ。


 犬の体温や心拍を感知できる機能がある。


 しかし、画面には何も映らない。


「おかしいな……」


 辺りを歩き回るうちに、街の外れのメンテナンス用通路へ出た。


 高架の下を走る狭い通路で、足元には排気の風が吹きつけてくる。


 照明は半分壊れていて、空気が湿っぽい。


 ペガサスが鼻をひくひく動かした。


「……におうのか?」


 ウォフッと短く鳴くと、奥の暗がりへ駆け出した。


 翔は慌てて追いかける。


 その先に――白い毛が落ちていた。


 ペガサスが吠え、壁の裏を掘るように前足を動かす。


 何かがそこにいる。


 翔がライトを照らすと、コンクリートの隙間に小さな影が震えていた。


「ポコ……!」


 子犬だった。


 全身泥だらけで、左足を痛めている。


 翔が手を伸ばすと、怯えながらも彼の指をぺろりと舐めた。


「もう大丈夫だ。怖かったな」


 だがその直後――奥の暗闇から、重い音が響いた。


 ドン……ドン……。


 鉄の足音。


 反射的にライフルを構える。


 暗闇の奥から現れたのは、四足歩行の黒い影――小型の機械獣だ。


 体長二メートル、鋭い牙を持つ金属の狼のような姿。


 赤く光る目が、ポコを狙っていた。


「ペガサス、下がれ!」


 翔が引き金を引く。


 青い光弾が一直線に飛び、獣の頭部をかすめた。


 だが、まるで痛みを感じていないかのように突進してくる。


 瞬間、ペガサスが前に飛び出した。


 ――ガギィン!


 金属と金属がぶつかる鈍い音。


 ペガサスの義肢の爪が、獣の顎を押さえつける。


 老犬の体とは思えない速さと力だった。


 青い閃光が再び走り、獣の胸部を貫く。


 ギィイイ……!


 獣が苦痛の叫びをあげ、その場に崩れた。


 その姿を見て、翔は息を呑んだ。


 機械獣の外殻が剥がれ、中から生々しい肉片のようなものが見えている。


「……有機体との融合体……?」


 研究資料でしか見たことがない。


 機械と生物の中間。つまり、“生きている機械”だ。


 ペガサスがその残骸を見つめ、低く唸る。


 まるで、何かを知っているように。


 ________________________________________


 ポコを抱き上げ、翔は急いで住宅区へ戻った。


 玄関の前で待っていた少女が、ポコを見た瞬間、泣きながら駆け寄った。


「ポコぉっ!」


 小さな腕で犬を抱きしめ、ポコがくぅんと鳴いた。


 その声に、アサクラ婦人の目からも涙がこぼれた。


「本当に……ありがとうございます」


「いいえ。もう危ない場所には行かせないでください」


 翔がそう言うと、婦人は深く頭を下げた。


 ________________________________________


 帰り道、紫電の上で、翔は空を見上げた。


 曇天の隙間から一筋の光が差し込んでいる。


 雲の向こうに、どこか寂しい青空。


「なぁ、ペガサス……あの機械獣、何だったんだろうな」


 老犬は何も言わず、ただ静かに座っていた。


 その横顔は、まるで遠い過去を見ているようだった。


 胸の奥に、またあの“沈む声”が響く。


 フタバシティの事件、両親の事故、そして今の機械獣――


 すべてが一本の線でつながっているような気がした。


 だが、その先にあるものを、翔はまだ知らない。


 この世界の“闇”がどれほど深いのかを――。




 第六章 記憶の扉


 夜。


 トキワシティの空に、まばらな星が瞬いていた。


 だが、地上の光が強すぎて、星々はどれもかすれて見える。


 ベランダに座り、翔は缶コーヒーを片手にため息をついた。


 昼間の出来事――ポコを襲った機械獣の姿が、まだ頭から離れない。


 金属と肉の混じり合った“生きた機械”。


 そして、ペガサスの目から放たれた、あの青い光。


「ペガサス、お前……何者なんだ?」


 翔の言葉に、老犬はゆっくりと顔を上げた。


 風が吹き抜け、白い毛がふわりと揺れる。


 次の瞬間、ペガサスの額部の義皮がスライドし、


 中から小さなレンズのような装置がせり出した。


「……なんだ、これ?」


 ペガサスの目が青く光る。


 すると、周囲の空気がわずかに震え、


 ベランダの上に淡いホログラム映像が浮かび上がった。


 ――そこに映っていたのは、一組の男女だった。


 白衣を着た男と女。


 男は短く整えた黒髪に落ち着いた表情。


 女は優しい笑顔でカメラを見つめている。


「父さん……母さん……?」


 翔の声が震えた。


 間違いない。記憶の中にある二人の顔だ。


 映像の中で、父が話し始めた。


『――もしこの記録を見ているなら、翔。お前はもう、私たちの年齢を超えているだろう』


 胸の奥が強く締めつけられる。


 父の声が、現実の音のように響いていた。


『この犬――ペガサスには、我々の記憶とデータが眠っている。


 お前が真実を知るときが来たら、それを開くように設計した。』


 映像が揺らぎ、母が口を開いた。


 その声は、優しく包み込むようだった。


『翔、あなたがまだ小さかったころ、私たちは“フタバ計画”という研究に関わっていました。


 あれは、人と機械の意識を繋ぐ――新しい未来のための実験でした。』


 ――フタバ計画。


 翔は息をのんだ。


 その名前を、初めて聞いた。


『けれど、計画は途中で歪められた。


 ある存在――“王おう”が、人の意識を奪い、機械獣を生み出したのです。』


 “王”という言葉に、空気が冷たく凍りつくような感覚がした。


 どこか遠くで、風が低く唸っている。


『私たちは研究を止めようとしました。


 でも、もう遅かった。フタバシティ全体が、“王”に飲み込まれたのです。』


 母の声が少し震えていた。


 その隣で、父が静かにうなずく。


『翔。ペガサスは“王”に対抗できる最後の鍵だ。


 お前の心と彼の記憶が重なったとき――道が開かれる。』


 ――映像が、そこまでで途切れた。


 翔はしばらく言葉を失っていた。


 ペガサスがそっと寄り添い、鼻先で彼の手を押した。


 その温もりが、少しだけ現実に引き戻してくれる。


「父さん……母さん……。


 どうして俺に、何も言わずに……」


 目頭が熱くなり、視界が滲む。


 ペガサスが静かにうなずくように目を閉じた。


 そのとき、背後で通信端末が震えた。


 ――〈着信:栗林〉。


「もしもし」


『翔か。お前、今すぐ外に出ろ。ペガサスと一緒にな』


 栗林の声はいつになく険しかった。


「どうしたんです?」


『説明してる時間がない。王の影が、もう来てる』


 ビュオォォォ――!


 突然、ビルの下方から強烈な衝撃波が吹き上がった。


 窓ガラスが一斉に震え、街の灯りが一瞬で落ちる。


 停電だ。


 夜のトキワシティが、暗闇に沈んだ。


 遠くで、低い唸り声のような音。


 機械獣たちの行進音だ。


 まるで地の底から這い上がるような不気味な振動が伝わってくる。


「まさか……“王”が、もうここまで……」


 翔は紫電に飛び乗った。


 ペガサスが後部座席に軽やかに乗り、レンズの中で再び青い光が瞬いた。


 ――父と母の遺言。


 “王”という名の存在。


 そして、ペガサスが握る鍵。


 それらすべてが、今ひとつの点でつながり始めていた。


 翔はハンドルを強く握りしめた。


「行くぞ、ペガサス。もう逃げない」


 青い光の尾を引きながら、紫電が夜空を駆け抜けた。


 雲を切り裂くその光は、まるで亡き両親の魂が導く道標のように輝いていた。




 第七章 王との対峙


 トキワシティは、闇に沈んでいた。


 停電した街は、まるで星を失った宇宙のようだ。


 だが、闇の中でいくつもの“赤い目”が光っている。


 機械獣たちが、ビルの谷間を埋め尽くしていた。


 まるで巨大な生き物の群れのように、蠢うごめき、街を飲み込もうとしている。


「……本当に来やがったな」


 栗林の低い声が、通信越しに響く。


 彼の〈雷電〉が隣に並走している。


 ペガサスは後部座席で背筋を伸ばし、目を細めた。


 空気が焦げたような匂いがする。


 下方の高層ビル群の屋上で、機械獣が咆哮を上げるたび、電光が走る。


「王おうはどこに?」


『中央ドームだ。おそらく“心臓部”を抑えている。そこからすべての機械獣を制御してる』


「心臓部……?」


『そこに、お前の親父さんの研究データが封印されている。王はそれを完全に取り込もうとしてるんだ』


 翔は拳を握りしめた。


 父と母が命をかけて封じた“何か”。


 それを奪わせるわけにはいかない。


「行くぞ!」


 紫電と雷電が並んで急上昇する。


 風を切り裂く音が、雷鳴のように響いた。


 ________________________________________


 中央ドーム――かつてトキワシティの象徴だった巨大施設。


 今はその半分が黒い金属に覆われ、まるで生き物のように脈動していた。


 表面には無数の配線が這い、青白い光が脈打つ。


 内部からは低い鼓動音が聞こえる。まるで“心臓”だ。


「これが……王の巣か」


 栗林がつぶやく。


「……行くしかない」


 翔は紫電をドームの裂け目に突入させた。


 内部は暗闇と光が入り混じっていた。


 壁一面に伸びるケーブル、宙に浮く球体。


 足元の床は、金属と肉が融合したような奇妙な感触。


 生き物の体内に入り込んだような気味悪さがあった。


 その中央に――玉座のような椅子があった。


 黒い布に包まれた人影が、ゆっくりと立ち上がる。


 その顔は人間のものではない。


 皮膚の下に金属が浮かび上がり、片目が赤く光っていた。


「来たか……翔」


 その声を聞いた瞬間、翔の全身が凍りついた。


 どこかで聞いたことのある声。


 低く、静かで、しかし――懐かしい。


「お前……誰だ」


「我は“王”だ。そして……お前の父でもある」


「な……に?」


 頭が真っ白になった。


 父の声。だが、その姿は明らかに人間ではなかった。


 半分は金属の塊、もう半分は父の面影を残している。


「そんな……嘘だ! 父さんは、事故で――!」


「事故などではない。あの日、我は“王”と融合したのだ」


 王――つまり父は、人間と機械の境界を越えた存在になっていた。


 母を守るため、ペガサスにデータを託し、自らを犠牲にした。


 しかし“王”は、父の意識を飲み込み、肉体を奪った。


「父さん……戻ってきてくれ!」


 翔の叫びに、男の体がわずかに震える。


 その目の奥で、一瞬だけ人間らしい光が宿った。


「翔……ペガサスを……信じろ……」


 その言葉と同時に、“王”の身体が激しく痙攣した。


 赤い光が全身を走り、天井の装置が一斉に稼働する。


 ――ギィィィィィィン!!


 耳をつんざく金属音。


 周囲の壁から次々と機械獣が生まれ出す。


 空気が重く、息が苦しい。


「翔、今だ!」


 栗林が雷電の砲口を向け、連射した。


 青い閃光が空間を切り裂き、数体の機械獣を吹き飛ばす。


 翔もライフルを構え、射撃する。


 次々と倒していくが、数が多すぎる。


「ペガサス、頼む!」


 老犬が吠えた瞬間、全身の義皮がはがれ、内部の金属骨格が露わになった。


 光が膨張し、眩しさに目を開けていられない。


 ――ペガサスが宙に浮かび上がった。


 その体から、青い光の翼が広がる。


 翼の先端が王の体を包み込み、空間そのものが歪む。


 父の声が微かに聞こえた。


『翔……すべてを終わらせるのは、お前だ』


「いやだ……父さん!」


『泣くな。お前は……私たちの希望だ』


 青い光が爆発的に広がった。


 機械獣たちが次々と崩れ落ち、王の体もゆっくりと溶けていく。


 その中心で、父の穏やかな表情が一瞬だけ浮かんだ。


「ありがとう、翔……そして……ペガサス……」


 閃光が天井を突き抜け、夜空を切り裂いた。


 まるで星がひとつ、生まれたように。


 ________________________________________


 静寂。


 気がつくと、翔は瓦礫の中に倒れていた。


 全身が痛む。呼吸が苦しい。


 横を見ると、ペガサスが動かない。


「ペガサス……?」


 抱きかかえる。温もりがまだ残っていた。


 だが、青い光はもう消えていた。


 栗林が近づいてきて、静かに帽子を脱いだ。


「……やったな、翔」


「……父さんは?」


「安らかだったよ。お前に、全部を託したんだ」


 翔は何も言えず、ただペガサスを抱きしめた。


 涙が止まらなかった。


 でも、その涙の向こうで、どこかに微かな光を感じた。


 ――風が吹いた。


 崩れたドームの隙間から、夜明けの光が差し込む。


 空がゆっくりと明るくなっていく。


 ペガサスの耳が、ほんの少しだけ動いた気がした。




 終章 風の記憶


 ――朝。


 空の色が、ゆっくりと金色に変わっていった。


 長い夜がようやく終わり、雲の上の都市に光が戻ってくる。


 崩れた中央ドームの屋上で、翔は一人、空を見上げていた。


 ペガサスは静かに眠っている。


 その体はもう機械というより、ただの静かな金属の塊のように冷たかった。


 それでも、どこかに“心”が残っている気がしてならなかった。


「……ありがとな、ペガサス」


 風が吹いた。


 ペガサスの白い毛がふわりと舞い、陽の光を受けてきらりと光る。


 翔はその光の粒が空へ昇っていくのを、ただ黙って見つめていた。


 そのとき――耳の奥で、微かな声が響いた。


『……翔……』


 びくりと顔を上げる。


 誰もいない。


 けれど確かに聞こえた。


 優しい声。あの日の、父と母の声。


『翔……もう大丈夫。私たちは、お前の中にいる。』


 涙が頬を伝う。


 その言葉に、心の奥で何かが温かく溶けていった。


 ________________________________________


 しばらくして、栗林がやってきた。


 スーツの腕や頬に焦げ跡があり、いつもの無骨な顔にも疲れが見える。


「お前、まだここにいたのか」


「……片づけをしてました」


「片づけ、ね」


 栗林は小さく笑い、ポケットから白い花を取り出した。


「フタバの丘で拾ったやつだ。持ってけ」


 翔は花を受け取り、ペガサスの胸の上にそっと置いた。


 花びらが風に揺れ、まるで眠るように静かに光った。


「栗林さん……父と母は、最後まで“王”を止めようとしてたんですね」


「ああ。お前を守るためにな」


「俺、まだ父さんみたいにはなれません」


「なる必要はないさ」


 栗林は空を見上げた。


「お前はお前だ。それでいい」


 翔は小さくうなずき、ペガサスの頭を撫でた。


「俺、行きます。もう一度、空を守る特務官として」


「……そう言うと思ったよ」


 栗林は、少しだけ笑った。


 ________________________________________


 トキワシティの再建が始まった。


 機械獣はすべて消滅し、街は少しずつ光を取り戻していく。


 市民の顔にも笑顔が戻り、空には再び輸送艇やバイクが行き交いはじめた。


 翔は、紫電の修理を終えていた。


 父が残した設計図をもとに、自分なりに改良した。


 エンジン音が以前よりも静かで、どこか優しい響きがする。


 出発の準備をしていると、アンとトキエが駆け寄ってきた。


「どこ行くの?」


「少し、風の匂いを確かめに」


「またかっこつけてる!」


 トキエが笑う。


「でも、帰ってきなさいよ。次の講習、あんた抜きでやるのはつまんないし」


「もちろん。約束する」


 翔は紫電にまたがり、ゆっくりと上昇した。


 地上が小さくなっていく。


 風が頬をなで、どこか懐かしい匂いがした。


 ________________________________________


 高度五千フート。


 雲の上に出ると、どこまでも青い空が広がっていた。


 翔はふと後ろを振り返った。


 そこに、ペガサスの姿が見えた気がした。


 白く輝く光の翼を広げ、空を駆ける姿。


 まるで風そのものが形を取ったように、美しかった。


「……行こう、ペガサス」


 紫電のエンジンが鳴り響く。


 青い光が尾を引き、雲の彼方へと伸びていく。


 ――父と母の声が、また聞こえた気がした。


『翔……あなたの風は、まだ止まらないわ』


 翔は笑った。


 涙と風が頬を滑り落ちる。


 それでも、心の中は不思議なほど穏やかだった。


 空の向こうに、輝く新しい太陽が昇る。


 その光の中へ――翔と紫電は、ゆっくりと消えていった。


 ________________________________________


(了)




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翔 ~空を取り戻した少年と、眠れる王の物語~ 近藤良英 @yoshide

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