第6話 哀しい告白

 私の小さな願い…アレクの子供を産むこと。その願いは叶えられそうもない。そのことには打ちひしがれるけど、それをくどくどと考えている余裕すらも与えられはしなかったの。あれからずっと体調が悪い日々が続き、病気の進行が早いと聞いてはいたけど、それは想像以上のものだった。あのまま歩くことが出来なくなり、起き上がっている時間もどんどん短くなっていく。アレクはあれほど一生懸命に勤めていたローウデン商会を辞め、私の看病に明け暮れる。それを本当にすまない気持ちでいるけど「後悔はしたくないから」と言い切るアレクには何も言えなくなってしまう。

 それから直ぐに寝たきりになると、アレクは思い悩む様子が見られる。それには私が死んだ後はどうなってしまうのだろうとさえ思わせる根を詰めた状態で、いつだって笑っていて欲しかったのにと悲しくなって…


 「ねえアレク、大事な話があるの。ちょっといいかしら?」


 発症から約一カ月後、私は身動き一つ出来なくなっていた。自分が自由になるのは、声を発することのみ。それすらももはや風前の灯で、これができなくなると死が近いと言われている。そうなる前にと、力を振り絞り大きな声をかけてみる。それにアレクは一瞬驚いて、それから本当に嬉しそうに微笑む。だけど少しの罪悪感が…私は今から、酷いことを言おうとしている。


 「どうしたんだい?今日は体調が良さそうだ。そんなに大きな声を出すなんて何日ぶりだろう…」


 そんなことを言われてしまうと決心が揺らぐ。これから言うことを受け入れてくれるのかしら?と心配になってしまう。それからアレクが身を起こしてくれて、何とかベッドサイドの壁に寄りかかる。そしてこれだけは言っておかなければと意を決して…


 「アレク…落ち着いて聞いて欲しいの。あのね、私が死んだ後なんだけど…」  


 ──ガラーン!ゴロゴロ…


 突然の大きな音に言葉が出ない。見ると目の前のアレクは、信じられない…といった表情をしていた。その口元は震えながらポッカリと開けていて、時が止まったかのように微動だにしない。そして持っていた盆を落としてしまっていた。それから暫し見つめ合う私達が…


 「ど、どうしてだ…何故そんなことを言うんだ。死ぬだって?」


 アレクは私が言った『死ぬ』という言葉に反応したようだった。そして今まで必死に我慢していたものが決壊するように、ブワッと涙が流れ出していた。私は宝石のように美しい泣き顔をじっと見ていた。そんな行動はあり得ないと思うかも知れないけど、こんな姿をも目に焼き付けておきたいと願うのはわがままでしょうか?私に残された時間はもう短い…だから。


 「ごめんなさいね、アレク。私はあなたを傷付けてばかりね。だけど…大事なことなの。ハッキリ言うわ!私が死んだら、あなたには幸せを追い求めて欲しいの。勿論直ぐには無理かも知れない…だけど諦めないで欲しい。もしも他に愛する人が出来たとして、死んでしまった私に遠慮することだけはやめて欲しいと思っている。あなたは愛されていいの…本当よ?」


 そんなことを切々と語る私に、アレクは複雑そうな顔をする。きっとそう言いたい気持ちは理解できるところもあるのだろう。だけど気持ちが追いつかないのが正直なところなんだと思う。目の前には命が尽きかけている妻がいて、それを納得しろっていうのがそもそも無理なこと。それが分かっていても…


 「私の死後は、どうか幸せになって欲しい」


 目を見ながら静かにそう伝える。アレクの瞳の中には恐怖の色が浮かんでいる。それから困惑と苛立ち…

 私を恨んでいいのよ?それでアレクが心穏やかにいられるのだとしたら、甘んじてそれを受け容れようと思う。どうしたって残された方が辛いから。ああ、でも…


 ──本当は嫌っ!アレクが他の人を愛するなんて、考えたくもない。ずっと一人でいて欲しい…私だけを愛していて!そう言ってしまいそうになる。だけど…


 私はそんな心を隠して、微かに微笑んだ。目尻には涙が浮かんできたけど精一杯我慢する。アレクにこんな気持ちを知られてはいけない…絶対に!先立つ私が、今後訪れるだろうアレクの幸せを奪っちゃいけない。例え恨まれようとも、それだけは駄目だわ!

  

 そしてアレクはそんな私を物悲しそうに見ていたけど、暫くの間俯いて何かを一生懸命考えているようだった。やがてその沈黙を破る時が訪れて…


 「リリーの気持ちは分かってる。だがそれは簡単に了承出来るものではない。だからこの件で君を安心させてあげることは出来ないよ!ごめんね…」


 「ええ、分かってる。私も酷いことを言っている自覚はあるわ。だけど今言っておかないと、二度と言えない気がしたの…こちらこそごめんなさい」


 今直ぐは無理でも、アレクはいつかこの日のことを思い出すことがある…そう確信している私は、こうやって言えたことだけで満足しようと決める。それからアレクの方に手を伸ばそうとする。自分のきもちは伝えられた…だからこれよりは思う存分甘えたいと。後悔のないように全身全霊で愛を伝えたいと!すると突然…


 目の前がグルグルと回る。目を定めたいと一点を見ようとするけど、どうにもそれをすることが出来ない。まるで頭の中をかき混ぜられているような感覚が…ううっ!


 「つっ、はあぁ…ど、どうしたのかしら」


 「リリー、どうした!?待ってて、お医者様を呼んでくるよ!」


 目を閉じていても気持ちが悪く、起きてはいられずベッドに倒れ込む。アレクは焦りまくった様子で転げるように部屋を出て行った。それを何とか薄く開いた目で見ていた私は、声にならない叫びを上げていた!


 ──ああアレク…行かないで!もう二度と会えなくなってしまう。


 いつもの発作とは違うと敏感に感じ取った私は、もう死ぬ時がやって来たのだと覚悟する。もうこの世を去ることは受け容れているけど、最期の時はやはりアレクに側にいて欲しい!延命なんて必要ない…あなたの腕に抱かれて旅立つの。永遠に…


 『絶望』が心を占める…最期の願いは届かないのだと。たった一人で去っていくのかと茫然としていた。だがその時、聞き覚えのある声が耳に届いて…


 「アレク!どうしたんだい?…それは大変だ。私が呼んで来よう!リリーに付いてあげておくれ」


 ──ス、スージーおばさん?来てくれたのね…


 おまけにアレクに代わって医者を呼びに行ってくれるよう。それならきっとアレクはここに戻ってくれる筈だと安堵する。やがて「よろしくお願いします」という声が響き、正気を保ったまま待っていた…アレクがここに来るのを。そして愛しい人が顔を覗かせ、苦しい息の中精一杯微笑んだ。苦痛に顔を歪めた表情ではなく、この笑っている顔を憶えていて欲しい…どうかあなた、憶えていて!

 

 そして私は静かに目を閉じる…もう思い残すことはないと。二度と目を覚ますことはないかも知れないけど幸せだった。だけど…

 運命というのはどこまでも気まぐれで非情なんだろう。次に目を開けた時の衝撃を今も憶えている。まさか私に知らないところで、あのようなことが繰り広げられているなんて…そしてこれがアレクの顔を見る最後になるなんて、この時の私は思ってもみなかった。

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