第二の月がいた季節

ナトリウム

 春とはいえ、夜はまだ冷える。街灯の光が途切れるあたりで、空は急に暗くなる。月は細く、星も少ない。

 天文部は、今日もいつも通りだった。望遠鏡の調整をして、特に成果のない観測ログを書いて、片づける。宇宙はいつもそうだ。こちらがどれだけ待っても、何も起こらない。

 家に帰って、制服のままベッドに腰掛ける。夕飯までまだ少し時間がある。何か音が欲しくて、スマホを開いた。YouTubeを眺めていると、スクロールする指が止まった。

 黒に近い群青色のサムネイル。星が控えめに散らばっている。

 そして、タイトル。

 ――「第二の月から、こんばんは」

 意味は、よく分からなかった。月は一つしかない、そんなの小学生でも知っている。なのに、その言葉には、なぜか冗談で片づけきれない感じがあった。

 配信を開く。同時視聴者数は三十人くらい。コメントの流れは遅く、身内向けらしい空気だ。

 画面に映っていたのは、少女のアバターだった。白と銀を基調にした色合い。派手ではないけれど、目を離しにくい。

『こんばんは。アリウス・ルナです』

 声は、静かだった。作ったテンションでも、営業用の明るさでもない。落ち着いていて、少し距離がある。

『今日は、星の話をしようと思います』

 コメント欄には、「設定凝ってる」「月から来た人だ」「宇宙w」みたいな軽い反応が流れる。どれも、ありがちなものだ。

 けれど、彼女の話し方が、妙に気になった。

 星の位置関係。

 空の暗さ。

 見えないものについて話すときの、間の取り方。

 内容自体は、難しいことじゃない。それでも、どこか引っかかる。

 ――話し慣れてる。

 天文部にいると、宇宙の話をする人間には二種類いると分かる。本で覚えた人と、実際に空を見ている人だ。

 ルナは、後者の話し方をしていた。

 もちろん、それが何を意味するのかは分からない。Vtuberなんだから、設定を作り込んでいるだけかもしれない。

 それでも、俺は画面から目を離せなかった。


 気づくと、コメントを打っていた。

〈星、よく見える場所なんですか〉

 一拍置いて、彼女は答えた。

『ええ。とても。遮るものが、ほとんどありません』

 その言い方が、妙に具体的だった。もう一度コメントを打つ。名前欄には、いつものハンドルネーム――キュー。

『キューさん、こんばんは』

 呼ばれた瞬間、胸の奥が少しだけ跳ねた。

 三十人の中の一人。ただそれだけのはずなのに。その声は、夜空の向こうから届いたみたいに聞こえた。

 俺は、その配信を最後まで見た。

 理由は、まだ分からなかった。

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