二人の関係はパンケーキより甘い♡ ~ぴゅあぴゅあ百合、焼き上がりました~

ムーラン

第1話 2人は出会う運命なの♡

 私、白鳥沙織は女の子という光を愛している。

 女の子という存在は、理由もなく眩しい。特別なことをしなくても、そこに在るだけで、世界の輪郭を少しだけ柔らかくしてしまう。声の温度、歩き方、沈黙の置き方。その一つ一つが、私の内側を静かに照らしてくれる。


「ねえねえ、良いお店知ってるんだけど、一緒に行かない?」

「…………」


 背後から投げられたその声に、振り向く必要すら感じない。

 見知らぬ男が、距離を詰めながら何かを言ってくる。その調子、その間合い、その軽さ。この台詞も、この状況も、もう何度目なのか分からないほど見慣れた光景だった。


 私は足を止めない。

 聞こえなかったふりをして、ただ前へ進む。無視することが、最短で、最も安全で、最も誠実な対応だと知っているから。


 それに比べて──男という存在の醜さは、どうしてこうも目につくのだろう。

 性欲という単純な欲求に引きずられ、それ以外の思考を置き去りにしたまま、他人の領域へ踏み込んでくる。相手の意思や感情よりも先に、自分の欲望が前に出る。


 少しでも可愛い女の子を見つければ、価値を測る目で眺め、近づき、言葉を投げる。

 理解しようともしない。尊重しようともしない。

 ただ、自分が満たされるかどうかだけを基準にしている。

 どこまでも醜くて、愚かで、穢れている。


「パンケーキなんだけどさ、これが柔らかくて、甘くて、美味しいから一度食べて欲しくて」

「…………」


 言葉は追いかけてくるけれど、私の世界には入ってこない。

 赤いリボンタイのブレザー制服。きちんと整えられた襟元と、身体の動きに合わせて揺れるスカート。

 黒髪の長い髪が、歩くたびに背中で静かに靡く。艶のあるその髪は、光を受けて淡く反射し、私自身の輪郭をはっきりと縁取っていた。


 背筋を伸ばし、視線は真っ直ぐ前へ。

 皆から宝石みたいなんて例えられるこの瞳は、揺れない。迷わない。

 進む先だけを見据え、背後の存在には、意味も価値も与えない。


 男なんかには、目もくれない。

 くれてやる価値すら、ない。


「待ってよー、ちょっとぐらい話し聞いてくれても良くない?」


 前に回り込まれた瞬間、思わず眉を寄せた。

 距離が近い。声が軽い。視線が粘つく。

 このまま脇を抜けて走ってしまおうか──そう判断しかけた、そのときだった。


「その子、嫌がってるんだから、止めときなよ。流石にしつこいよ?」


 後ろから、少し低めで掠れたハスキーな声が飛んでくる。強くもないのに、はっきりとした輪郭を持った声。

 その一言に、私の足は反射的に止まっていた。


 振り返ると、そこに立っていたのは女の子だった。


 私も女の子としては長身な方だけれど、その子もなかなか背が高い。

 並べば、同じくらいか、ほんの少し向こうの方が高いかもしれない。


 髪は耳元あたりまでのショートカット。

 無造作に見えて、全体のバランスは計算されていて、首筋がすっと綺麗に見える長さ。


 目鼻立ちはすっきりとしていて、余計な装飾がない。

 大きすぎない瞳は意志の強さを感じさせて、こちらをまっすぐ捉えている。


 颯爽とセーラー服をはためかせるその姿は、確かに可愛い。

 けれど、それ以上に“格好良い”という言葉が先に浮かぶ。


 メイクも中性的に寄せていて、色味を抑えたリップと、ほんのり陰影をつけただけの目元。

 甘さよりも、凛とした輪郭を際立たせる選び方。


 ボーイッシュ、という言葉が一番しっくりくる容姿。

 男にもそれなりにモテるだろうけど、それ以上に──女の子の視線を引きつけるタイプだ。


「貴女、大丈夫?」

 彼女はそう言って、私の方を見る。

 その瞬間だった。


 視線が絡んだ途端、心臓がトクンと跳ねた♡

 一拍、明らかに余計な鼓動が混じる♡

 胸の奥がきゅっと縮んで、息を吸うのを一瞬忘れる♡

 今まで張り詰めていた緊張が、急にほどけかけて、代わりに熱が指先まで走る♡

 肩の力が抜けるのに、背筋だけが自然と伸びてしまう♡


 その子が男を一瞥する。

 睨むわけでも、威圧するわけでもない。ただ、淡々と。


「……な、なんだよ。いきなり」


 突然割って入ったその子の存在に、男は露骨に苛立った声を上げた。

 けれど、その声色とは裏腹に、視線は一瞬だけ揺れている。


「だから、そのナンパしつこいって言ってるの」


 落ち着いた口調。感情を荒立てる様子はない。

 それなのに、言葉の一つひとつが逃げ場を塞ぐみたいに、はっきりと届く。


 助けてくれたのは嬉しいけれど、だからこそこの子に迷惑は掛けられない。私は少しだけ表情を崩して微笑んだ。


「……あんたには関係ないだ──」

 男が語気を強めかけた、その途中。


「──ねえねえ、その美味しいパンケーキのお店って、もしかしてそこの角を曲がったところにあるお店?」


 唐突で、けれど自然な割り込み。

 話題をずらされた男は一瞬言葉に詰まり、反射的に答えてしまう。


「そ、そうだけど……」

「やっぱり。あそこ、前に行ったことある」


 私は軽く頷いて、少しだけ男に向かって微笑む。けれど、心はもう男の方をほとんど見ていない。

 最初から相手にする気なんてなかったみたいに、視線はすぐに彼女の方へ向いていた。


「助けてくれて、ありがと。お礼したいから、良かったら時間ある?」


 そう口にした瞬間、自分でも少しだけ緊張しているのが分かった。

 相手の女の子は一瞬きょとんとした顔をして、それから少し戸惑ったように視線を泳がせる。


「え、あ、あるけど」


 否定する理由が見つからず、そのまま流れに乗せられてるように見える。

 今はそちらの方が都合が良い。

 拒まれなかった、その事実だけで十分だった。

 その返事を聞いただけで、胸の奥がすっと軽くなる。

 

「じゃあ、決まり。そこのパンケーキ、とってもふわふわで美味しいの。久しぶりに食べるのも良いかなって」


 なるべく自然に、当たり前みたいな調子で言う。

 本当は“久しぶり”なんてどうでもよくて、ただこの子と一緒に行きたかっただけなのに。

 それから男の方へ向き直る。


「そういうわけだから、ナンパならごめんけど、他を当たって?

お店を教えてくれたのは、ありがと」


 言い切ると、もう視線を向けることはなかった。

 私の意識は、完全に隣にいる女の子へと向いている。

 私は、自然と距離を詰めて、そのまま彼女の手を取った。


 触れた瞬間、指先から伝わる柔らかさに、ぞくりと背中が震える♡

 思っていたよりも小さくて、でも確かに生きている温度♡

 背骨の奥をなぞるみたいに、ぴり、と細い電流が走って、胸の内側が一気に熱を帯びる♡


 心臓が一拍、強く跳ねた♡

 鼓動が早くなっているのが、自分でもはっきり分かる♡

 呼吸が浅くなって、喉の奥が少し乾く♡

 

「ほらほら、早く行こ」

 自分でも少し弾んだ声になっているのが分かった。


「わ、分かったから、待ってって」

 そう言いながらも、彼女は手を離そうとしない。

 その事実が、胸の奥をくすぐる。


 私は自然と頬が緩むのを感じながら、

 跳ねる心臓のリズムに足取りを合わせて、彼女と並んで歩き出す。


 さっきまでまとわりついていた不快な空気は、もう遠くに消えていた。

 今はただ、隣にいる女の子の存在だけが、世界の中心みたいに感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る