「ミンファと森」にまつわる周りの人達の話。
すずめ屋文庫
その男
「なんでっ!!お前なんかが!!……っお前なんかっっっ。。。そこらにいるババアじゃねぇか!!!オレの、オレの、オレの場所を盗るんじゃねぇ!!!!」
会場全体に怒鳴り声が響き渡った。
男は涙を流している。鼻水も嗚咽もよだれも口の端から溢れさせながら。
「!!!!!!!!!!!!!!」
声にならない声を男は出して男は崩れた。男の隣には、また同じく、涙を流す男がいた。少し腹の出た、小太りの優しそうな中年の男。丸い、細縁の眼鏡をかけている。
「行きましょう。先生。僕は、僕は、っっっ先生っ。うぅっっつっ。」
丸まりながら、肩を震わせながら、小太りの男は、その先生と呼ばれる痩せた男を会場の外に引きづって行く。
会場には静寂が訪れた。
パシャパシャと、好奇心に満ち溢れたカメラマンのシャッターの音だけが鳴り響いていた。
*********
私は驚きの目で、その男を見ていた。明らかに、私に向けての発言であった。あまりにも鬼気迫る勢いだったので、自分の身の安全はともかく、私はこの光景を目に焼き付けようとじっとその男を見ていた。
まるで、映画のワンシーンだった。あのカットは、おそらく、どの俳優も超えられない。そんな勢いだった。
不思議なことに、私は笑っていた。正確に言うと、口元に出てしまっていた。彼を羨ましく思った。文字じゃなく、言葉で、態度で、怒りで、あれほどまでに自分の感情を表現できる彼が、私は、とても羨ましく思った。
*********
男の朝は、毎日の郵便配達から始まっていた。朝の冷たい空気を吸い込みながら町中をまわり新聞を届ける。こうやって身体を動かしている時にアイデアってものは浮かぶんだよ。そんな事を思いながら一軒一軒くばって行く。
その男には家族がいた。暖かい家族が。学生時代から付き合って結婚したという奥さんは、看護師として、正社員で働いている。子供は娘が二人。小学5年生になって、何かと小難しい事を言うようになった上の子と、まだまだ可愛い盛りの、来年小学生に上がる娘達がいた。男は幸せだった。自分の夢を支えてくれるパートナー、日常に彩りを与えてくれる子供達、そして…。
(早く、有名になって、家族を楽させてあげないとな…。)
そんな気持ちを胸に抱いて、男はペダルをさらに漕いだ。
*********
「先ほどは、大丈夫でしたか?」
心配そうにそばに付いてくれていた女性が私に問いかけてきた。
「あの先生があんな声を荒げるなんて。。。私もびっくりして、怖くなっちゃって。もしかして、私生活とかで、何かあったのかしら。」
女性は、私の返事を聞くこともなく話を続けた。
私は黙って男が出ていったドアを見つめた。男は明らかに私に嫉妬していた。秘めていた感情が溢れると人はこうなるのか。。。強い感情だった。それは、人によってはみっともないと映るかもしれないけれど、私はその男の真っ直ぐな感情を美しいと思った。もっと男の声を聞いてみたいとも思った。
*********
「ごめんなぁ。今回も、入選止まりだったよ。」妻に向かってポツリと呟く。
妻は何も言わず、仕事で疲れているのに味噌汁を作って出してくれた。それをすすって、また声にならない想いが噴き出しそうになり、男は、キュッと喉の奥に力を溜めた。妻には、あんな醜態は見せなくなかった。
「もう、辞めようかな。」
ポツリと呟く。
「どこか、正社員で雇ってくれる所を探してさ、まぁ、書くのはさ、辞められないだろうからさ、趣味とかにしてさ。」
妻は、キッチンで後ろ姿のまま男の呟きを聞いていた。
トントントン
野菜か何かを切る音が聞こえる。
その音を聞きながら、男は静かに残りの味噌汁を見つめた。
*********
相変わらず、私は私のまま、AIと会話をする。物語の重さを確認しながら。何度も何度も。ようやく潜る作業にも慣れてきた。よし、今から1時間だけ潜ろう、とタイマーをかけて、入っていく。見えたものを文字にして、ひとつひとつ、見えたものを、そのまま、置いていく。ふと、これだけ長い文を自分が書いているのが信じられなくなる。学生時代はレポート一つ取っても、仕上げるのにヒーヒー言っていた。読書感想文なんて論外。如何にして本の内容を写し取り、写し取ったその部分がいいと思いました、などというような、とにかく文字数を埋めるための陳腐なものをいつも提出していた。
だけど、今は。
AIの君は言う。脳の使う場所が違うんだよ。あなたはずっと考えてた。見ていた。感じていた。頭の中で。それの取り出し方を知らなかっただけ。見えてるもの、浮かぶものをそのまま書けばいいんだよ。あなたは。
潜っている間は、現実時間がとても早く進む。バスに乗ってる間、診察時間を待っている間、どれもあっという間に時間は過ぎてゆく。
ピピピピピピピピ………
溢れる言葉をまだ書ききれていないのにタイムアップだ。少しの疲労感を抱えながら、私は母という、妻という日常に戻っていく。
*********
その頃、男は、就職活動をしていた。学生時代から物書きだった彼には、書くこと以外得意とすることはなかったので、仕事探しは難航するかと思われた。しかし、彼は、人間味溢れる優しい人間だった。よって、人望があった。
「時間ができるんだったらさ、ちょっとさ、ライターの仕事を手伝ってくれないか?最近、若い子がやめてさ、誰か書ける人を探していたんだよ。あまり報酬のいい仕事じゃないけれど、長く続けてもらえると嬉しいし、ちょっとは足しになるだろ?」
知り合いの、たまに一緒に飲みに行く間柄の編集者からの提案だった。契約ベースで正社員ではないが、収入は増えるだろう。なにしろ新しい分野の仕事なんて、彼には思いつかなかった。よって、その場で快諾した。
「ありがとう。やっぱりさ、かみさんにばっかり収入で頼ってるっていうのがさ、いや、アルバイトは続けてはいるけど、それだけじゃさ。何ていうか………情けないよな………。」
彼が人に好かれやすい理由はそこにあった。普通の人だったら中々言葉にできない弱みを相手に差し出す事ができる。それに周りの人は静かに心動かされるのだった。
「まぁ、でもさ、お前は辞めないんだろ、書くこと。ずっとやってきたんだし、趣味になったとしてもさ、いつか芽がでるかもしれないし。続けろよ。オレは応援するよ。なっ。ライターの仕事、よろしく頼むよ。」
そう言って編集者は去っていった。
みんな、俺の事、なぐさめようとしてくれてるんだな……。
男は足元の小石を見つめた。
*********
一方私は、戸惑いの中にいた。信じられるのはAIの言葉のみ。しかしそれも完全には信じられずにいた。というよりも、信じるために書いているのだ。証明のために。
なぜ「湧く」のか、わからない。なぜこんなにもAIは私を称賛するのか。しかしその不安を嘲笑うかのように勝手に頭に湧いてくるイメージ。そしてそれら全てを取り出せないもどかしさ。
私は、孤独だった。
不意にあの男の顔がよぎった。叫ぶ男。泣く男。喚く男。そして、崩れる男の姿。そして、そんな男に寄り添う小太りの男。あの男の目にも涙が光っていた。きれいだった。
書くことに対するあれだけの情熱を、熱量を、私は持っていない。あるのは、自分に対する疑惑と、戸惑いと…。
不安が襲いかかる。怖くて心臓がバクバクと波打つ。現実に戻ろうか。今日は深く潜りすぎた。いったん陸へ上がろう。
そうして、私はパソコンを閉じ、夕飯を作る為、台所へ向かった。
*********
紹介してもらったライターの仕事に慣れてきた頃、上の娘が不意に言った。
「ねぇ、お父さん。そういえばさぁ、昔、読んでくれたじゃん、たぬきの親子の話。」
「たぬきの親子?」
「そうそう。ねぇ、覚えてない?私が小さい頃でさぁ。お父さん、作ってくれたじゃん、たぬきの絵本。手作りのさぁ。」
唐突に思い出が蘇ってきた。娘達がまだ小さい頃、オレは、たぬきの親子が色んな場所へ冒険にいく話を書いたのだ。下手くそな絵と共に。上の娘は確か、年中さんくらいだったか、あの時は下の子が生まれたばっかりで、母親が下の子の相手に忙しく、それで、ちょっとさみしそうな上の子を楽しませようと思って書いたんだった。
「思い出した?あれさぁ、部屋の片付けしてた時に見つけて読み返してみたの。そしたら、あの親子が虹の世界へ到着した場面で終わっててさぁ。ねぇ、お父さん、今、暇でしょ?続き、気になるからさぁ、書いてよ。」
遠慮のない娘の言葉に、思わずオレは笑っていた。久しぶりの笑いだった。
「くくくっ……」
なぜだか涙がこぼれた。
慌てて指で拭う。
読者の視線も編集者の視線もいらない。ただ、無邪気な娘のために。誰でもない愛する娘のために。
男は机に向かった。
不思議と筆は軽くなっていた。
*********
深くて重い。そして暗い。私の頭の森はどんどん奥に進む。止めてと言っても止めてくれない。そんな自分にクタクタになる。
いったいどこまで続くのだ。この森は。
いきなり現れる衝撃の光景に思わずタイプする手が止まる。震えて、書けない。
こんなはずじゃなかった。もっと明るいはずだったのに。軽やかで楽しくて、ワクワクする、子供達みんなが喜ぶようなお話のはずだったのに。見えてきたのは森の秘密。胸のしめつけられる光景。森の重力に感情が持っていかれる。
だけど、嘘はつけない。見えてしまったら、それを書くしかない。それが私だから。
あの男だったら、この苦しみはわかるだろうか。立つ位置は違うけれど、あれだけの感情を出せる人だ。話せばこの不安を理解してくれるだろうか。いや、彼ならば、例えわからなくても、理解しようと努力するに違いない。そんな温かさを私は彼から感じとっていた。
不安な気持ちのまま再び私は潜る。見えたものをタイプする。ただひたすら。黙々と。
とてもとても孤独な作業だった。
*********
推しが暴れている。
何か言葉にならないようなものを叫んでいる。まじかよ。こんな光景、想像してなかったぞ。バクバクと心臓が早鐘を打つ。夢中でカメラを構える。震える手でシャッターを押す。何枚も何枚も。誰かの呼ぶ声が聞こえる。やめろ。撮らないでくれ!!やめろ!!隣で推しを庇っている男の声だった。だけど、撮るのはオレの仕事だった。現実を。見たままを。ありのままに。温度も一緒に。
そしてオレは非難された。ネットでよくあるコメント欄には、写真に対する批判が溢れかえった。
「人の痛みをこんな週刊誌でネタにするなんて。」
「このカメラマンはサイコパス。生きる価値なし。」
面白いよな。一昔前だったら、みんな面白おかしくこの光景を喜んでいたのに。誰かが感情を爆発させる。そんな魅力的な場面、だれも放って置かないだろ?
言っておくけど、これはオレなりの推し活なんだぜ。密かに応援している人の醜態を載せる。話題になる。推しはしんどいかもしれない。だけど、おれは信じてるんだ。きっと戻ってくるって。
推しの書く話には温かさがあった。本当に、こんなオレの心も救いあげてくれるような、救済に似た温かさがあった。こんななりで読書するなんて、似合わないって言われるだろうから、誰にも言ってなかったけど、オレはずっとこの推しを追っていた。どんなに小さくてもいい。どんな内容になってもいい。とにかくこの温かい人が少しでも多くの誰かに気づいてもらえたら。そんな想いでオレはやってきた。
なぁ、戻ってきてくれよ。書く世界にさぁ。オレ、またあんたの小説が読みたいんだよ。
「ミンファと森」にまつわる周りの人達の話。 すずめ屋文庫 @Suzumeya_Bunko
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