刑務所怪談「孵化」

彩久津 紋

孵化

 1985年 アメリカ・ルイジアナ州



 この刑務所の怖い話を聞かせろって?

 いつも怖い目に遭ってんだろうが、ショーン。気が触れたのか?

 10年も勤めてりゃ、そりゃあもう色々あるってもんさ。話してやるよ。


 ここに昔アーネストって囚人がいた。

 確か汚職でぶちこまれたんだったかな。堅気なもんだから荒くれ者ばかりのこの刑務所で浮いていた。


 大人しくて、小柄な、白人の優男。

 ……言いたいことは分かるな?

 標的にならないわけがない。 

 しかも、サディストで有名なギャングのボス“プリーチャー”に目をつけられるなんて、全く運が悪すぎる。奴に壊された囚人は数知れん。


 ムショに入っても堅気の意識が抜けなかったのが不幸の始まりだったんだろうな。ここはシャバじゃねえってのに。ギャングたちに難癖つけられて、その日のうちにボスの“イロ”だ。


 泣き叫ぶアーニーがうるせえから“ダスト”(そう、PCPだ)を吸わせてやったとか、面倒くさそうに言ってたな。あいつら。


 ギャングの連中はボスがアーニーを倉庫に連れ込むことを“おデート”と言っていた。

「よう、アーニー!ボスのテクで腰が砕けちまったのか?」

「一日に何度おデートするんだよ、お前スキモノだな!」

「たまには俺にもケツ貸してくれよ!」


 誰も助けなかったのかって?

 誰でも自分の身が可愛いからな。

 余所者を助ける余裕なんかない。


 まあ、アーニーはいい奴だったから、一部の親しい囚人はギャングたちの目を盗んで傷薬を渡してやったり、アーニーの体調が悪いときは当番を代わってやっていたみたいだ。


 ギャングたちの標的になってからというもの、アーニーの目は日に日に陰っていった。それでも仕事は真面目にやってた。模範囚だった。奴らはそれも気に食わないようで、しょっちゅう暴力を加えていた。


 アーニーは読書家でな。毎週のようにリクエスト・スリップを出し、色々な本を借りていた。辛い現実から逃れたかったのかも知れねえな。人気の娯楽小説から資格受験のためのテキスト、そうそう医学の基礎書もよくリクエストしていたな。ほら、今でも図書館の棚の最下段にある“あの本”だ。あんな色褪せた本、何度も借りるのはあいつくらいだったよ。よっぽど気に入ったのか、ある時その本を買い取りたいと申し出てきた。他に読む奴のいない古い本だし、「ムショにいる間はお前が永久に借りてていいよ」と言った。


 それからだろうか。

 アーニーに変化が訪れたのは。


 無気力な陰った目が輝きを取り戻していた。いや、輝きというかあれは……熱に浮かされているような光だった。


 事件が起きたのは1ヶ月後。


 倉庫のほうで金属を引きずるような音がして、そのあとすぐに、何かが潰れるような音が続いたんだ。

 それが叫び声だと気づいたのは、もう半分走り出してからさ。


 倉庫の扉を蹴り開けたとき、鼻の奥にまず鉄っぽい匂いが入ってきた。そのすぐ後に甘ったるい、嫌な匂いが張りついた。


 薄暗い倉庫の奥、作業台の横に、アーニーがしゃがみ込んでいたんだ。

 こっちに背中を向けて、両腕を何かに押しつけるようにして揺れていた。繰り返し、繰り返し、何度も。


 ああ、凶器はお前も知ってる通り、研いだ金属片だ。囚人どもは暇さえあれば何でも武器にしやがるからな。


 警棒を抜いたまま一歩踏み出すと、靴の底が滑った。血でも踏んだのかと思ったら……肉の断片だった。思わず呻いたさ。最悪だろ?全く。


 照明をアーニーに向けると、彼はようやくこちらを振り向いた。

 頬から口元にかけて、血がべったりと塗りつけられたみたいで、どこが唇なのか一瞬分からなかったよ。

 目は……あれは、何かを“終えた”人間の目だった。ただただ気味が悪かった。直視しちまったのを後悔したよ。


「アーニー、やめろ」

 そう声をかけたら、一瞬だけ、彼が小さく息を吸った。

 まるで、やっと自分がどこにいるか思い出したように。


 アーニーは凶器を手放し、こちらに手を差し出した。

 震えてもいない。泣いてもいない。

 ただ、落ち着いた声音でこう言った。

「やられそうになったから……抵抗しただけです、オフィサー。」


 被害者――プリーチャーはすでに動かなかった。

 顔の原形は辛うじて残っていたが、片方の眼窩は深く落ち込み、もう片方は抉られたように潰れていた。

 鼻梁は折れて曲がり、頬のところには大きな裂け目があり、耳の下がちぎれて床に落ちていた。


 腹部はもっとひどかった。

 よく研がれた金属片が何度も突き立てられたせいで、穴がいくつも開き、血が噴き出した跡が周囲に放射状に散っていたんだ。


 床に落ちた耳が、ポタ、と音を立てた。吸い寄せられるように、その音だけが倉庫に残った。

 その瞬間、部屋の温度が一気に下がったような感覚に陥ったんだ。

 ……何かが“成った”。そんな気がしたよ。


 後日取り調べを行ったんだが、アーニーが言うには、どうもヤクを多めにキメてたらしくてな。バッドトリップしちまって、気がついたらこうなってたんだと。


 アーニーは医療刑務所へ送られた。たぶん一生出られない。


 俺が本を許可しなければ、こんなことにならなかったのかもな。


 ――ああ、もうこんな時間か。今日は奴の面会日なんだ。じゃあな。

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刑務所怪談「孵化」 彩久津 紋 @schka

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