みーつけた
@shun0000000
第1話
「かくれんぼ」が好きだった。
鬼なんて一度もやりたいと思ったことはなく、いつも隠れる方だった。
小学生の頃、学校から帰宅するとランドセルを玄関に放り投げ、そのまま坂を駆け上がり、いつもの公園に向かった。友達はすでに集まっている。
象の滑り台があるだけの、少し大きな公園だ。隠れる場所なんて知り尽くしていたはずなのに、時間を忘れて遊んでいた。
十七時三十分の放送が鳴る。
毎日繰り返される無機質な女性の声が、街に帰宅を促す。
その声を合図に、僕たちは思い思いの方向へ走り出した。坂の下から、いつもの柔らかい母親の声が近づいてくる。
「もーいーかい」
「もーいーかい」
帰宅をかけた最終戦の開幕だ。
息を殺し、植え込みの隙間から覗くと、笑った母親と目が合った。五分も経たないうちに全員見つかり、項垂れている友達を横目に、僕は母親に駆け寄った。エプロンから漂うカレーの匂いに、給食もカレーだったことを思い出す。
家の中でも、僕は母親とかくれんぼをした。
見つかるかもしれないという不安と、同時に訪れる高揚を、今でもはっきりと覚えている。耳を澄ますと、リビングから母親の「もういーかい」という声が、埃まみれのベッドの隙間にまで届いた。
「もういーよー」
案の定、見つかった。
不貞腐れながら学校へ向かう車の中で、母は言った。
「やらなきゃいけないことは、ずっと追いかけてくるんだからね」
その言葉を聞いた瞬間、鎌を持った死神が、家中を探し回っている光景が浮かんだ。恐ろしかった。けれど、なぜか少しだけ胸が高鳴った。
助手席から見る母の横顔は、もう鬼のそれではなく、すべてを見透かしているようだった。
そんな僕を心配したのか、両親は僕をサッカークラブに入れた。
地元でも有名な弱小クラブで、同じ学年は九人もいなかった。結果的に僕は六年間試合に出され続け、生涯ゴール数はゼロで終わった。
土砂降りの日、練習試合があった。
どれだけボールを蹴っても水溜りに阻まれ、全身が濡れた。前半を四対〇で折り返し、監督と呼ばれていた、街のチンピラのような男がホワイトボードを叩きながらゴールキーパーを怒鳴っている。
他のチームメイトは、怒りの矛先が自分に向かないよう、泥だらけのまま祈っていた。
僕は母親のもとへ走っていった。
「見て。俺のシャツ、泥ついてないやろ」
母は一瞬、気まずそうな顔をしたあと、ポカリスウェットを差し出し、濡れた前髪を拭いてくれた。
そこへチームメイトの母親がやって来て、「みんな必死にやってるんだから、真剣にやりなさい」と言った。
二秒ほど間を置いて、僕は母の顔を見たあと、答えた。
「別に、これで勝っても意味ないから、やりたくない」
心の底からの言葉だった。
雨の中でサッカーをする意味が、どうしても分からなかった。
その母親は蛇のような顔になり、「うちの子やったら殴ってるわ」と吐き捨てて去っていった。
後半が始まり、応援席を見ると、びしょ濡れの母が下を向いて泣いていた。
なぜ泣いているのか分からなかった僕は、洗濯してくれる母のために、シャツを汚さないよう後半を過ごした。
中学生になり、高校生になり、大学生になっても、逃げる癖は変わらなかった。
社会は僕に「逃げるな」と言った。
とうとう僕は人間関係から逃げ、日本を出た。
環境を変えても、あの日、埃まみれのベッドの隙間で感じた恐怖と高揚は、今も消えずに残っている。
「変われる」
「変われない」
宵々と自問を繰り返しながら、今まで生きてきた。
いつの日か困難に立ち向かい、母のような強い人間になる日が来るのかもしれない。
それとも、ベッドの隙間でうずくまったまま、一生を終えるのかもしれない。
次に死神に会ったときは、母親譲りの笑顔をお見舞いしてやろうかな。
「みーつけた」
みーつけた @shun0000000
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