消えない傷

yksiori

第一章:昴

第1話

 最悪の日だ。どうしようもなくて。何も出来なくて、ただ目の前で殺された百合香に縋っていた。百合香の血に塗れ、謝罪を繰り返す。僕がその後どうやって帰ってどうやって眠ったのか全く思い出せない。記憶に焼きついたのは諦めたように笑って謝る百合香とその背後で彼女の首を掻き切り、胴体を幾度となく刺した彼女の父親、工藤良の姿だった。全て忘れられたら、どれほど良かったか。その事件は高校の卒業式目前で起こった。頭を百合香が埋め尽くす。どこに行っても百合香の影を、声を、姿を探してしまう。もう居ないのは自分が一番分かっているのに。そんな自分が嫌で、嫌いで。どうしようもなく殺してしまいたかった。だけどそれ以上に嫌いなのは周囲だった。僕を腫物扱いして、百合香の死はエンタメのように扱われた。酷い吐き気を催しながら警察で取り調べられた時も。その後報道された内容にも反吐が出た。

「18歳の女性が死亡、その際居合わせた同じく18歳の男性が生き残り、その家族が通報。警察が捜査を行い。父親が行方不明となっており、行方不明の父親を警察は容疑者として捜索中。次のニュースです」

 あんなことがあったのにたったこれで終わり。実名報道が無かったのが幸いだったけれども、近所の人は気付いているだろう。僕の幼馴染の百合香が殺されて、評判の良い父親が行方不明。唯一の生き残りの僕。何も知らない人からしたら父親を真っ先に疑ってくれるだろうが、近所又は百合香の父親である良について知っている人は皆口を揃えて「彼じゃない」と言うはずだ。そうして疑われるのは僕だろう。僕の人生は壊れてしまった。

 それでも僕は卒業まで学校に行かなくてはならない。それが評判のいい子の佐藤昴僕のしなくちゃいけない事。行きたくない気持ちを押し殺し。行きかう人の視線と、近所を通らなくてはならない苦痛にずっと俯いて登校した。

「ねえ、ほらあの子だよ」

 ぼそりと後ろから女子生徒の声がする。

「あの事件で可笑しくなった子?」

「やだ、近づいたら私もあの女の子みたいに殺されちゃうのかな」

 友達なんだろう。僕達をまた面白おかしく勝手に楽しんでいる。それにやっぱり僕が疑われている。その何気ない一言でどれだけ僕が傷付こうと気にしない。自分たちとは違う世界で起きたことのように感じているのだろう。ぎりぎりとストレスに反応して歯軋りをした。そのまま逃げるように教室に向かった。

 教室に入ると、視線が一斉に向いたのが分かったけど急いで自分の席に向かって座る。そしたら何事もなかったように、ぎこちない空気の中皆していた事に戻る。それでもやはり、ひそひそと事件の話、僕の話、百合香の話が所々から聞こえる。

「やばいよね」

 クスクス、ヒソヒソ。ああもう嫌になる。

「あの子だけ死んでないのが可笑しいよね」

 笑う本人たちは小さく喋っているつもりなのか聞こえるその会話に苛立ちを覚えた。またエンタメかのように僕達の事を話す同級生が憎かった。卒業式。そこまで待てば僕と関わる事もない人なんだ。そう思って必死で毎日毎日、沢山の苦痛を飲み込んだ。苦痛を共有して消化してた相手を失った僕がその苦痛に耐えられるはずもなく、徐々に自分の制御が聞かなくなったり。自分が変化していくのを感じてそれすら苦痛の種になっていた。もう耐えられなくなってガタリと立ち上がって、トイレに駆け込んだ。個室に入って膝を抱えて泣いて泣いて、吐いた。

「昴」

 目を閉じるとぼんやりと浮かぶ百合香が僕を呼んでいる。最近出てくるようになった彼女の声に集中して瞳を閉じて、手で耳を塞ぎ周囲の音をシャットアウトした。塞いでも尚聞こえる授業開始を知らせるチャイムにもう一度トイレに嘔吐した。


 ―――――― 数年後。

 あの醜い事件から早数年。僕は高校卒業して、世間や皆はあの事件を忘れかけていっていた。然し僕はずっと動けずに、事件が起きた日から前に進めずにいた。事件は覚えているのに百合香の声も、姿もそこに現れるがだんだんと見えなくなっていく顔に危機感を覚えた。行かないで。置いていかないで。子供みたいに僕は一人部屋の中で泣いて。佇んで、変わらず名を呼んでくれる百合香に縋り付いていた。扉越しに母から声がかかる。

「昴」

 冷たく、鋭い母の声。それは酷く重かった。そこには期待はなく、失望しかなかった。苦しくて苦しくて、まるで昔の僕の様に。事件の前の僕みたいに優しく明るく返事をした。

「どうしたの」

 どうしたかなんて分かりきっていた。僕が事件に巻き込まれたから、あれだけ評判の良かった"良い子"が幼馴染とその父親の行方不明に関係している。ああなんて"可哀想な家庭だ"。その評価が嫌なんだろう。でも僕はそのことなんて気にしている余裕は無かった。自分の異常、変化していく感覚に戸惑っているので精一杯だったから。然し散々僕に良い子を強いてきた家族の評判が地に落ちた感覚にザマアミロと思っている事それが伝わったのだろう。目を見開いた母は甲高い声で叫んだ。

「どうしたの?!それはこっちのセリフでしょう!貴方そもそもあの子が死んでからどうしてそうなったの!!私にはわからないわ。なんでそんな目で、苦労して育てた私を見られるの……。なんで、私を責めるのよ!」

 余りに言葉の途中で苛立ち、扉を開けてじいっとその様子を見た。死んだなんて雑に言われた。大切な存在を。僕の変容が彼女が亡くなった事だけが理由かの様に言われて納得できなかった。僕は百合香が亡くならなくてもいずれ可笑しくなってただろう。だって貴方達両親からかけられた重圧に揉まれて、そのたまったストレスを百合香と共有して、話して解消していたのだから。百合香が亡くなった事だけに責任はない。その気持ちで僕は返事をする。

「責めて何が悪いの」

 その僕の言葉に母は呆然として、笑った。諦めた笑みで立ち尽くした。それには酷く見覚えがあって、未だに脳裏に媚びりついている百合香と重なる。ああ、やめろ。やめろ!!それ以上口を開くな。そこに百合香が重なって見えるのが、母が百合香に見える事それが如何に僕を苦しめるか。この人は分かっていない。百合香が死んで僕がどれだけ苦しいか。この人の苦労した子育てがどれだけ僕を苦しめたか。なのに。

「ごめんなさい。……これで満足かしら」

 なんで僕が悪いって目で見るの?貴方が悪いのに。貴方達、親から与えられた苦痛を和らげてくれるのが百合香だったのに。母が百合香と同じ言葉を、同じ表情で吐き捨てる。その光景が気持ち悪くて。重ねた自分が醜くて。嫌悪感を拭い去るために衝動のまま。僕は母を叩いた。叩いて、殴って。否定したかった。だって、こんな人が百合香に重なって見えるなんてあって良いことじゃない。僕を苦しめた人と、救ってくれていた人を重ねて良い訳がない。

「昴!!」

 手が血に濡れ、母の顔が腫れて、傷口ができた。帰ってきた父に名を呼ばれ、腕を掴み止められてようやく涙が1つ僕から溢れた。悲しかったのだ。母に理解されない自分の変化と、全て百合香の死の所為にされた事がどう表現していいか分からない程苦しく、悲しかった。呆然と天井の方を見上げる僕には現実ではなく。過去の記憶が見えていた。

 

 ――――――

 遠くなってしまった記憶。それは彼女が死ぬ前は焼きついていた記憶。死んでしまってからは思い出す事もしなかった。約束。互いの両親に内緒で放課後教室のバルコニーで座り込んでひっそりと話した夕やけの綺麗な日。百合香はバルコニーの柵越しに見える夕焼けを眩しそうに見つめて僕を呼んだ。

「ねえ、昴」

「何、百合香」

 

「私高校卒業したら、お父さんから逃げたいの」

「うん。できそうなら良いと思う。できなかったとしても百合香は逃げるべきだよ」

 悪戯っぽく笑って百合香は僕の手を取った。

「実はね、計画を立ててるんだ」


 ――――――


 彼女の計画はなんだったか。もう僕には思い出せなかった。そうして、ゆっくり現実に意識が戻る。目の前には僕に話しかける父とその父に手当されている母。

「昴。こんなことをしては駄目だ。何があった」

「……」

 落ち着いている声色に怒りが見え隠れした様子の父、その傍で母は僕に酷く怯えた目で見つめてきた。どうしてそんな様子なのか僕には理解できなかった。僕は何も理にかなっていない行動は取っていない。母は殴られてしょうがない事していたのだから。――それは本当に正しいのか。その思考に辿り着く間もなく百合香が両親と僕の間に現れ話しかけてくる。その声色はとても優しく、僕の思考力を奪っていくのは容易だった。

「ねえ、昴。私との約束思い出して」

「百合香……?」

 その名を呼んだ僕を怪訝に見つめる両親。その瞳はもう息子を見る目では無くなっていたが……いや元から、息子を見る目ではなかったか。然し僕にはもうどうでも良くなっていた。なんだか全てがどうでもよかった。彼女が言った言葉の内容が直ぐに思い出せず、百合香の事で頭が一杯になっていたから、そんな僕に父がどんな様子で話しかけてきたのか覚えていない。怒ったり、感情が忙しそうだった気がする。

「……もう寝るんだ。昴。明日、父さんと話そう」

 静かな父のその言葉に僕は返事をせず。ぼんやりとした意識のまま部屋に戻った。部屋の扉を閉めると、百合香が部屋の中心に立ち、思い出の中の彼女の様に甘く優しい声で話しかけてくれた。

「昴。私はね、昴がとても傷ついて、重圧に押しつぶされそうに見えるよ」

 かつて彼女が言った言葉と同じ言葉。湧いてくるなんとももどかしく、寂しい感情を忘れる為にぎゅっと瞳を閉じてどんどん霞んでいく彼女の顔を思い浮かべて眠りについた。


 ―――――― 

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