黒い穴を塞ぐもの

天西 照実

前編


 漆黒の闇よ、我が力を求めて現れたのか!


 ……いやいや、厨二病からは卒業しているはずだ。


 目の前に、黒い穴が開いている。

 正確には、自分の目線よりもやや高い位置。空中にぽっかりと、拳大の穴が開いているのだ。

 初めは未知の球体が浮いているように見えた。

 しかし、先ほど飛び立ったばかりの鳩が一羽、吸い込まれて消えた。

 そのおかげで、穴だと理解したところだ。


 学生時代に遭った交通事故以来、妙なものが見えるようになった。

 それは恐らく、幽霊や人外と呼ばれる存在。他にも、悪意や感情の集合体のようなものも感じ取っていると思う。

 確実に見えているなどと断言はしない。ただ見たり感じたりするだけで、自分でも理解は出来ていないのだ。

 当然、それらは誰にでも見えるものではない。

 なにも無い空中を、ポカンと見上げている変な奴と思われてはかなわない。

 周囲に人目が無いことは確認済みだ。


 大通りと住宅地の間に伸びる緑地公園。

 ベンチと花壇の他には砂場があるきりなので子どもたちの姿も少なく、いつも通勤に使わせてもらっている。

 夜勤明けの昼下がりは、人通りもなく静かだった。


『――それが見えるのか?』

 不意に、頭上から男の声が聞こえた。

 背後に着地したような音が聞こえ、振り返って見ると、灰色のコートを着た大柄な男が立っていた。

 宙に開いた黒い穴を見上げている。

 歩いて来たのではなく、上空から降りて来たようだった。ならば幽霊か人外か、と考えていると、

『フサギ、というものだ』

 その男は私の思考へ応えるように、フサギと名乗った。

 歩くことなく、スーッと平行移動で私の横を通り過ぎ、黒い穴に近付いていく。

 すぐ下から穴を指差し、

『これを塞ぐ者だ』

 と、言う。

 よく見れば、フサギという男は正面から見た大きさに対して、体の厚みが無い。

 人間の形をしたゴムを平たくしたような、凹凸のない奇妙な姿をしていた。

 明らかに人間ではなさそうな男は、私の訝しげな視線も気にせず、

『この穴は、この世界からの出口だ。異世界転生とやらが流行りだしてから、忙しくてかなわん』

 と、話した。

「え、異世界への入口なの?」

 と、つい声に出して聞いてしまった。

『いや。これは、この世界の出口だ。この先に別の世界などない。今のところはな』

 妙な存在とは、できるだけ関わらないようにしているのだが、どうしても気になってしまうではないか。

 もう一度、周囲に目を向け、人気ひとけが無いことを確認し、

「さっき、鳩が吸い込まれてたけど」

 と、聞いてみた。

『可哀そうに。ここから出たら、この世界のものは消滅するだけだ』

「消滅……」

 見上げる位置まで近付いていた私は、軽く一歩下がった。

「その穴は、異世界転生の流行りと関係してるんですか」

『この世界の人間が、死ぬなり召喚されるなり。異世界へ転生だの転移するという概念が生まれた。それは漠然としたイメージの中だけで広がるものではなく、実在するこの世界を出て、別の世界へ行くという明確な定義が共通している』

「……」

 フサギという男は人外の存在ながら、異世界転生についての理解が深いらしい。

『行き先はそれぞれ違っていても、この世界から出るという共通の概念が、この出口を開けてしまうのだ』

 黒い穴を見上げながら、フサギという男は真顔で話している。

「概念が、穴を……?」

『幽霊という存在を知らなければ、化けて出るという概念も存在しない。この穴も、それと同じだ』

 そう言ってフサギという男は、黒い穴へ手を伸ばした。

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黒い穴を塞ぐもの 天西 照実 @amanishi

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