僕たちの華麗なる(予定の)逆転劇

まろえ788才

プロローグ

「ねえ、私たちってさ……詰んでない?」


大学二回生の春、私たちはまだ、何者にもなれていなかった。


 大学の最寄り駅から少し歩いたところにある純喫茶『このみ』は、今日も落ち着き払っていた。

 時間が止まっている、というより、最初から急ぐ気がない場所だ。まだギリ十代の私たちを相手にしても動じないだけの貫禄がある。グリーンのぴんと張ったソファーも、壁の乳白色も、テーブルに残った細かい傷も、たぶん私たちより年上だ。


 私は練乳が底に沈んだアイスコーヒーの氷を、ストローでちゃりんと鳴らしながら言った。もう少し深刻な声になる予定だったけど、実際に出てきたのは、拍子抜けするくらい軽い音だった。


「まだ始まってないだけじゃない?」

 えるはメニューを見もしないで、いつもの席に座っている。どうせまた、注文した覚えのない試作のパフェが運ばれてくる。


 カウンターの奥から、逢華(おうか)がこちらを見た。

「二回生の春にその台詞は、遅くない?」


 遅い、という言葉が胸に引っかかる。

 でも、反論はできなかった。


 ——春休みが終わって、大学はまた賑やかになった。

 一年生が多いせいだ。新しい服、新しい髪、新しい友達。あちこちで写真を撮って、やたら声が大きい。


 私たちは、その横を通り過ぎるだけだった。


 一年生の頃の私は、今思えば少しだけ調子に乗っていた。

 新歓の席で、アートとか表現とかについて、それっぽい話をした。具体的な作品を見せたわけでもないのに、言葉だけが先に出た。


 その場では、みんな少しだけ感心した顔をしていたと思う。

 でも、次に会った時から、距離があった。

 今なら分かる。あれは様子見だった。


 えるはえるで、軽音サークルを一度だけ見に行っている。

「音楽って、楽しくないと意味なくないですか?」

 それだけ言って、帰ってきたらしい。

 私の百分の一くらいの言葉数で、なぜか私と同じ場所にいる。


「チェスは知らないけどさ」

 えるが急に言い出す。

「オセロって、上手い人とやると、まだ半分くらいなのに『あ、終わった』って分かる時ない?」


 こういうところが、えるだ。


「わかる。まだ道があるように見えて、どこにも行けないやつ」

 逢華がカウンターから乗っかってくる。


 この逢華という人とは、高校の時に仲良くなった。

 大学に入ってすぐ、髪を赤と金のツートーンに染めて闊歩する人間だとは、正直思っていなかった。


 迫力はあったと思う。

 ただ、誰も声をかけてこなかった。


 それで彼女は、大学から逃げるみたいに、この店に来た。

 おじいさんは何も聞かずに、エプロンを渡した。


 ——現在。


「詰んでるかどうかは知らないけど」

 逢華が伝票を置きながら言う。

「少なくとも、私たち、何者にもなってない」


 えるの前に、案の定、歪だけど背の高いパフェが置かれた。

「わ、今日いちご多くない? これキウイ? え、皮ついてる?」


 えるは嬉しそうで、少しだけ羨ましかった。


 私はスケッチブックを開く。

 何か描こうとして、結局、意味のない線を引いた。


「……何かした方がいいよね」

 私が言うと、二人は同時にこちらを見た。


「とりあえずカラオケ行く?」

「カウンター席に置く小物、見に行きたい」


 店のスピーカーから、ジャズのピアノが流れている。

 コーヒーの匂いは、いつもと同じだ。


 まだ、何も始まっていない。

 でも、始まっていないことに、気づいてしまった。


 たぶん、それが一番の問題だった。

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