セーラー服バイオレンス横丁【三題噺】

森崇寿乃

セーラー服バイオレンス横丁


 廃ビルの三階、コンクリートが剥き出しになった柱の陰で、マキは荒い呼吸を繰り返していた。

 セーラー服の胸元は大きく裂け、白いスカーフは赤黒い血を吸って重くなっている。右足のローファーはどこかで脱げ落ち、むき出しになった足裏にはガラス片が食い込んでいた。肋骨が二本、いや三本はいっているかもしれない。呼吸をするたびに、肺の奥から軋むような痛みが脳天へ突き抜ける。

 まさに満身創痍の女子高生そのものだった。だが、彼女の瞳から光は消えていない。

「……しつけえ野郎どもだ」

 血の混じった唾を床に吐き捨てる。

 階下からは、ドタドタという無遠慮な足音と、男たちの怒号が近づいてきていた。敵対する広域暴力団「黒蛇会」の構成員たちだ。その数、およそ二十人。

 マキは震える手で、懐に抱え込んだ茶色い紙袋の感触を確かめた。

 温かい。まだ、熱いくらいだ。

 その中身は、金塊でもなければ、組織の極秘データが入ったUSBメモリでもない。

 芋である。

 それも、駅前の移動販売車でしか買えない、期間限定の「極蜜安納芋ごくみつあんのういも」だ。

 事の発端は一時間前、マキが所属するレディースチーム「紅蓮花ぐれんか」の総長、レイコからの電話だった。

『マキ、安納芋買ってこい。売り切れる前にな』

 それだけだった。だが、総長レイコの言葉は絶対だ。彼女の期待を裏切ることは、死よりも恐ろしい社会的抹殺を意味する。

 マキは命がけで列に並び、最後の一本を手に入れた。その直後だ。運悪く、抗争中の黒蛇会の連中と鉢合わせたのは。

「おい、女! 上に逃げたぞ!」

「殺せ! 袋を持ってる! ヤクの取引かもしれん!」

 男たちの勘違いが、事態をややこしくしていた。彼らはマキが大事そうに抱える紙袋を、重要なブツだと思い込んでいるのだ。まさか三百円の焼き芋を守るために、女子高生が指をへし折られ、ナイフで切りつけられながら逃げ回っているとは夢にも思うまい。

(……上等じゃねえか)

 マキは柱の裏から身を乗り出し、階段の踊り場を見下ろした。先頭の男が自動式拳銃を構えて上がってくるのが見える。

 ここが袋小路であることは分かっていた。だが、それはマキにとって計算ずくの「死地」でもあった。

 彼女はスカートのポケットから、無骨な鉄の塊を取り出した。

 パイナップル型の、旧式の手榴弾。つまり爆弾だ。

 亡き父の遺品であるミリタリーグッズコレクションの中から、護身用にとこっそり持ち出していたものが、こんな形で役に立つとは。

「渡してなるものかよ……この芋はな、アタシの忠誠心の証なんだよ!」

 マキは安全ピンに指をかけ、食いしばった歯の間から空気を吸い込んだ。

 総長のレイコは、ただの焼き芋を頼んだわけではない。マキという人間に、任務を完遂する根性があるかどうかを試しているのだ。その期待という目に見えない圧力が、折れかけたマキの心を無理やり立たせていた。

 男たちが三階のフロアになだれ込んでくる。

「いたぞ! 撃て!」

 乾いた発砲音が響き、マキの頭上のコンクリートが弾け飛んだ。粉塵が舞う。

 マキは紙袋を背中のリュックに押し込み、ジッパーを閉めた。これで両手が使える。そして、芋へのダメージも最小限に抑えられるはずだ。

「テメェらみたいな三下が、女子高生の買い物カゴ覗いてんじゃねえよ!!」

 マキは叫び声と共に、ピンを抜いた爆弾を床へ転がした。

 カラン、コロン、という間の抜けた金属音が、静寂を一瞬だけ連れてきた。

 男たちの目が点になる。

「……おい、マジか」

「手榴弾だ! 伏せろッ!!」

 轟音。

 爆風が廃ビルの窓ガラスを一斉に外へと吹き飛ばした。

 猛烈な熱風と衝撃波が廊下を駆け抜け、男たちの体を木の葉のように吹き飛ばす。マキ自身も爆風に煽られ、壁に激しく叩きつけられた。意識が飛びそうになる。耳鳴りが止まらない。

 だが、計算通りだ。

 爆発の煙に乗じて、マキは崩れた壁の穴から非常階段へと躍り出た。

 ふらつく足取りで路地裏へと降り立つ。

 全身が痛い。左腕は感覚がなく、額から流れる血が視界を赤く染めている。制服はボロボロで、もはや布切れを纏っているに等しい。

 それでもマキは、背中のリュックを確かめた。

 潰れていない。まだ、温かい。

 三十分後。

 チームのアジトである倉庫に、マキは足を引きずりながら現れた。

 総長のレイコが、バイクのシートに座ってタバコをふかしている。彼女はマキの惨状を見ても眉一つ動かさず、ただ静かに言った。

「遅かったな」

「……道が、混んでまして」

 マキは腫れ上がった顔でニヤリと笑い、リュックから紙袋を取り出した。油と血と煤で汚れた紙袋。だが、中身は無事だ。

 レイコは袋を受け取り、中を覗いた。黄金色の中身が、甘い香りを漂わせている。

「……ほう」

 レイコは焼き芋を割り、湯気の立つ黄色い身を一口食べた。

「ぬるいな」

「す、すみません……」

 マキが膝をつきそうになった時、レイコは珍しく口角を上げた。

「だが、悪くない味だ。爆煙の隠し味が効いてる」

 レイコは残りの芋をマキの方へ放り投げた。

「食いな。褒美だ」

 マキは慌ててそれを受け止める。

「い、いいんですか? 総長の期待に応えるために買ってきたのに」

「アタシの期待に応える? 馬鹿野郎」

 レイコはバイクのエンジンをかけながら、背中で言った。

「生きて帰ってきた時点で、百点満点なんだよ」

 爆音と共に去っていく総長を見送りながら、マキはその場へ座り込んだ。

 手の中の焼き芋を一口かじる。

 甘い。信じられないほど甘くて、泥臭い味がした。

 それは、今日生き延びた命の味そのものだった。

 満身創痍の女子高生は、夕暮れの路地裏で一人、芋を頬張りながら声を上げて笑った。その笑顔は、どんな宝石よりも美しく、そしてタフだった。

(了)

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