愛され皇女様の恋人と結婚します
Megumi
第1話
——あの地獄から抜け出せるのであれば、結婚相手はどれほど老いていても、醜男でも構わない。
そんな強い想いを抱いて、セリーヌは豪華に飾り立てられたウェディングドレスに身を包み、バージンロードを歩いていた。
真っ直ぐに伸びた背筋に、自信に満ち溢れた優雅な足取り。それはさながらランウェイを歩くモデルのようで、この日のセリーヌは、間違いなく帝国中で一番美しいと賞賛されてしかるべき存在だった。
しかし、その身に注ぐ視線に込められた感情は、祝福とはもっともかけ離れたものだ。
侮蔑、嫉妬、嫌悪。そして少しばかりの好奇心が入り混じった視線。この場にいる誰もが、彼女のことを「悪女」だと信じて疑わない。
それでもセリーヌは、生涯の伴侶となる男——ロラン・グランチェスターのもとへと、怯むことなく向かっていく。
(大丈夫。これは私の幸せな未来への第一歩なのだから、何も怖くない)
そう、例え目の前にいる険しい顔をしたこの男が、帝国で最も愛されている皇女様の恋人であろうとも。
そんな皇女様の恋人を卑劣な方法で横取りした悪女だと、参列者全員から敵意を向けられようとも。
セリーヌには痛くも痒くもなかった。
贅の限りを尽くした装いにも負けない繊細な美貌と、それを引き立てる洗練された立ち振る舞いで一躍社交界の華となった、クロエ・フォークナー。
父親に溺愛され、何不自由ない暮らしをしている、我が儘公爵令嬢。
——しかし、それらは虚飾にまみれた、ただのハリボテだった。
本物のクロエは、8歳の時にこの世を去っている。現在のクロエは、代用品として連れてこられたセリーヌが演じているだけの、ただの“偽物”にすぎなかった。
「分かっていると思うが、もししくじったら——」
「分かっていますわ、お父様」
セリーヌは社交界デビューを果たしたその日、クロエの父親であるトム・フォークナー公爵と最初のワルツを踊りながら、長々続きそうな脅し文句を受け流していた。
燃えるような赤毛と細く整えられた口ひげが特徴的なこの男は、いつだって不安になると、セリーヌを威圧することで安心しようとするのだ。
「“第二王子に気に入られるためなら、手段を選ぶな”。肝に銘じております」
「失敗は許されないぞ。みすぼらしいお前をここまで育ててやったんだ。その恩を仇で返すような真似はするな」
(育ててやった、ですって? あれで?)
令嬢らしい品のある微笑みは崩さなかったものの、セリーヌは内心でトムを嘲笑った。
この無闇にお金をかけただけのドレスも、つけているだけで肩が凝る、下品なほど大きな宝石をあしらったジュエリーも、社交界デビューをする娘を祝うためのものではない。すべては、見栄っ張りなトムの虚栄心を満たすためだけの道具だった。
一事が万事この調子で、赤の他人であるセリーヌはもちろんのこと、実の娘であったクロエにすら、トムはひとかけらの愛情だって見せたことはなかった。
トムにとって大事なのは、金と権力。
しかし、帝国唯一の公爵家といえども、持っているのは後ろ暗い活動で築き上げた莫大な資産だけだった。娘を皇族と結婚させることで、そんな家の格を上げようというトムの目論見は、あまりにも露骨であった。
憂鬱な父親とのワルツを終えたセリーヌは、早々にその場を離れると、壁際でひっそりとため息をついた。
(次はいよいよ第二皇子とのダンスか……)
トムがコネを総動員してセリーヌのパートナーにした、この国の第二皇子であるアーサー・ロズベルグ。アーサーは、誰にでも公平に接する人格者であると評判の男である。よほどのことがない限り冷遇されることはないだろうが、逆にいえば、特別扱いを受けるのも至難の業であった。
(とにかくここは無難にやり過ごして……それから公爵家から脱出するために使えそうな人脈を作らないと)
そんなことを考えながら視線を上げたセリーヌは、ふと視界に入ってきた人物に、思わず息を呑んだ。
「っ……ステラ?」
セリーヌの視線の先にいたのは、柔らかな笑みを浮かべて第二皇子と談笑している女性だった。その女性に、かつて姉のように慕っていた少女の面影を見てしまったのだ。
だがそれは、もちろん彼女の知る少女ではなく——噂に名高い第一皇女、ラリサ・ロズベルグであった。
甘く輝くハニーブロンドの髪に、空のように澄んだ青い瞳を持つラリサは、宗教画から出てきた天使と言われても信じてしまうほど清らかで、一目で心が奪われてしまうほど美しかった。
よく見れば、ブラウンヘアーのステラとは見間違えようがないほど外見は似ていないが、それでも、ラリサがまとう優しい空気感がステラと重なり、セリーヌはラリサから目が離せなくなってしまった。
「おい、お前まさか第二皇子じゃなくて、大公を狙ってるんじゃないだろうな」
「……お兄様」
突然横から聞こえてきた、クロエの兄であるレオン・フォークナーの声に、セリーヌは思わず眉を寄せる。
レオンは神経質さが顔に出ている父親とは違い、ご令嬢に人気のあるタレ目がちの甘い顔立ちをしている。しかし、心根が腐っているところはやはり父親そっくりで、セリーヌは常日頃から、この男は隙あらば嫌味を言わないと死んでしまう病気にかかっているのかもしれないと疑っている。
「大公って?」
「皇女様の隣にいる黒髪の男だよ」
レオンの言葉にセリーヌが視線をラリサの隣にずらすと、そこには黒髪の美丈夫が立っていた。
鋭く整った顔立ちに、冷たい光を宿した赤い瞳。まるで、戦場を渡り歩いた刃そのもののような印象の男だ。
「でも残念だったな。ロラン・グランチェスターは女嫌いで有名なんだ。唯一の例外は恋人の皇女様だけ。お前なんか相手にされるわけがないだろう?」
レオンがせせら笑うのを無視し、セリーヌは再びラリサに視線を戻した。
——あんなに気難しそうな人にまで好かれるなんて、やっぱり皇女様はステラみたい。
第二皇子じゃなくて、皇女様とお近づきになれたらいいのに……
そんな淡い憧れはのちに、皮肉にも最悪の形で結びつくことになる。
「はぁ……疲れた」
国中の憧れのカップルを引き裂いてしまい、針のむしろのような結婚を終え、セリーヌは夫婦の寝室に置かれた大きなベッドに身を投げ出した。
それは大公家の名に恥じぬ見事な作りで、疲れたセリーヌの体を優しく受け止めてくれる。
「でも、やっとあの家から抜け出せた……!」
だらしなく手足を広げ、大きく深呼吸をして、自由を噛み締める。
名ばかりとはいえ大公夫人となった今、この大公家で彼女を虐げる者はいない。
生まれて初めて安心してベッドに横になれる幸せで、セリーヌの胸はいっぱいだった。
「いよいよ初夜か……まあ、皇女様以外の女が嫌いな大公が来るわけないけど」
セリーヌが2人分のスペースを占領してまどろみ始めると、廊下から神経質そうな足音が聞こえてきた。
(ああ……この人、イラついてるなぁ。まるで、孤児院の院長や公爵みたいな足音だ)
自分にはもう関係ないけど——ほとんど夢の世界へと旅立ちながら、そう考えていたまさにその瞬間。セリーヌがいる寝室のドアが勢いよく開いた。
「たっ、大公閣下!?」
驚きで飛び起きたセリーヌが慌ててドアの方を見ると、そこにはロラン・グランチェスターの姿があった。完璧に整った服装で、相変わらず乱れ一つない。
その冷ややかな瞳は、結婚式の最中よりもさらに鋭く光っているように見える。
ネグリジェ姿のセリーヌは慌ててシーツを掴み、だらしなく横たわっていたことで露わになっていた肌を隠す。
しかしロランは、そんなセリーヌの様子など気にも止めていないようで、無表情のまま一枚の羊皮紙を差し出した。
「てっきり今夜はお越しにならないかと……」
「この書類にサインをもらったらすぐに戻る」
「書類?」
婚姻に関する書類なら、すべて教会に提出済みのはずだ。セリーヌの手続きは、決して公爵家に不利益がないようにと、目を血走らせたトムがおこなっていたから不備はないはずだ。
セリーヌは疑問に思いつつも書類を受けとると、ロランの口から想定外の言葉が飛び出した。
「貴女とは離婚する」
次の更新予定
愛され皇女様の恋人と結婚します Megumi @Megumi_michel
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