九月のつばめ

美心かえで

九月のつばめ

「みっちゃん言えよ、なあ男だろ!ああじれってーなあ、おい、まゆみちゃんもうすぐ北海道に行っちゃうんだってよ、もう今しかないぜ・・・」

 団地の側の公園で、いな君こと僕とみっちゃんこと下西君は「つばめ」の形で鉄棒に止まり、ずっとコソコソ話している。

 更にみっちゃんの左隣にはまゆみちゃん、そしてまゆみちゃんのお姉ちゃんがつばめで鉄棒に止まっていた。


 近々北海道に引っ越してしまうまゆみちゃんにかねてから思いを寄せていたみっちゃんをおもんぱかって、僕がまゆみちゃんを公園に呼び出したのだ。まゆみちゃんのお姉ちゃんまで来てくれるとは、僕にとっては嬉しい誤算だった。

 ともかく、そんなわけで僕としては、ここは何とか2人の仲を取り持ちたいところだった。


 みっちゃんは何も言わずニヤニヤしながらくるりと前回りをした。僕もつられてため息をつきながら前回りをした。

 ずっと左の方を見ると、みそっ歯のまだあどけないまゆみちゃんの笑顔が見えた。姉妹で空中逆上がりを競い合っている。

 鉄棒から降り、鉄棒に寄りかかりながら、僕はみっちゃんをじっと見つめた。チョンチョンとつつき僕はみっちゃんに近寄るとコソッと、

「おいみっちゃん、もう限界だぞ!まゆみちゃん行っちうぞ、今しかチャンスないよ、お前の気持ち言っちゃえよ!」

 とけしかけた。暫くしてみっちゃんは鉄棒を降りると正面を見つめ虚ろな目をした。

 僕はみっちゃんを責めるようにじっと見つめていたが、みっちゃんは依然として正面を見つめ続けていたので目線を外し、鉄棒をしているまゆみちゃんとお姉ちゃんを見た。


 裾の短いお揃いの水玉模様で薄い青のワンピースがよく似合っていたが、小学二年生のまゆみちゃんは、どこまでもあどけないみそっ歯の笑顔で可愛らしさが溢れているのに対し、姉ちゃんの方は、小学五年生とは思えないはっきりとした目鼻立ちで可愛いというよりももはや綺麗と表現するのが相応しかった。

 お姉ちゃんが鉄棒で前回りをするたびに、ワンピースの裾から見えるスラリとした脚と柔らかな長い髪とが交互に目をかすめ、その度に僕は今までに感じたことのない好奇心に惹き寄せられた。

「あぁ、年上のお姉ちゃん、綺麗なお姉ちゃん…。」

見つめているのがバレると嫌だから、そっと伏し目がちにだが、でも見つめるのをやめることができずドキドキしながらお姉ちゃんを熱く見つめた。


「ねえねえいな君、話って何?」

 鉄棒を降りたまゆみちゃんは、鉄棒にたたずむみっちゃんをとばして、突然僕に質問をぶつけてきた。僕は隣のみっちゃんをチラッと見てから、みっちゃんをとばしてまゆみちゃんに答えた。

「まゆみちゃんさ、いつ北海道に行っちゃうの?」

 まゆみちゃんの質問をかわした。

「えっ、来月だよ十月になったらすぐ行くよ。」

「どうして行っちゃうの?」

「お父さんのお仕事でね、みんなで引っ越すんだよ、急に決まったんだ。」

「遠いの?」

 小学2年生の僕にはそもそも北海道がどこにあるのさえ分からなかった。

「うん、冬は寒くてずっと雪が降ってるんだって。」

「へえ~、ほかにどんなところなの?」

「うんとね、いろんなものがね、みんな大きいんだって、お父さんが言ってた。だからね、引っ越すお家もすごく大きいんだって。」

 まゆみちゃんのお家は僕の家の近くにある古いスーパーマーケットの二階にあった。中に入ったことはないが、想像でも部屋は広くないと思えた。かく言う僕の家もとにかく狭いので、家が広くなると聞いてまゆみちゃんが羨ましく思えた。

「新しい家ってさあ、庭もあるの?」

「あるってお父さんが言ってた。凄く広くてずっと遠くまでうちの庭なんだって。」

「へえ、だったら僕んちも金持ちになれるな、僕もお父さんに北海道行こうよってお願いしてみようかな、そしたら僕の部屋ももらえるかもな…。」

 僕は妄想を浮べた。


 団地の片隅に併設された小さな公園でもう一時間近くそんなやり取りをしていたが、肝心の本題は何も進んでいない。

 9月も半ばという時期で、時折涼しい風が4人の耳元を横切る。夏の日差しが名残惜しくも感じられ、訳もなく寂しさがこみ上げてきてしまい、それが原因で僕はみっちゃんとまゆみちゃんの行く末を不安に感じてしまうのだった。


「みっちゃん、北海道っていいな。」

 僕が軽口をたたくと、鉄棒にたたずんだまま、じっと遠くを見つめていたみっちゃんは無言でニヤリとした。

「いつかさ、俺たち遊びに行こうか?」


「遠いんだから行けるわけないじゃん!」


 語気を強めてみっちゃんが初めてしゃべった。僕は少したじろいて場はしんとなった。


 僕はできる限り大きな深呼吸をすると、

「みっちゃんさ、まゆみちゃんに言いたいことあるんだってさ。」

 と一気に核心に迫る一言を放った。

 みっちゃんの身体が一瞬震え、顔が引き締まるのを感じた。まゆみちゃんは愛らしい眼差しでみっちゃんの顔を覗き込むと、みっちゃんはたまらず僕の方に真っ赤になった顔を向けた。

「な~んだ、お話があるっていな君じゃなかったんだ~。」

 まゆみちゃんは崩れた笑顔で僕に問いかけた。

「えっ、こないだ誘った時みっちゃん話があるって言ったじゃん、僕別に話すことなんて無いし。」

 僕は思わず声が大きくなってしまった。

 それを聞いていたお姉ちゃんがクスッと笑い、

「まゆみモテるのね。」

 と言った瞬間、思わず僕の顔も真っ赤になった。

「そんなんじゃないって!」

 と僕がお姉ちゃんに向かって弁解したとき目が合い、涼しい顔のお姉ちゃんには何を言ってもみんな見透かされているようで言葉に詰まってしまった。

 お姉ちゃんは首を少し横に傾けながらニコっと笑みを浮かべ正面に向き直って遠くを見つめた。


「下西君話ってなあに?」

 まゆみちゃんが愛くるしい笑顔でみっちゃんに尋ねた。僕はみっちゃんが震えているのを感じた。

 みっちゃんは何も答えない。じっとみっちゃんを見つめていたまゆみちゃんは身体を揺らしながら、

「ねえ~、下西君何の話なの、教えてよ!」

 と詰め寄ってきた。

「えっと、あれ、何だっけな?」

 みっちゃんは一杯一杯だった。無理もないことだ、一度も話したことのない憧れのまゆみちゃんにこんな近くで見つめられているのだから。僕だったら絶対無理だろうな、思わずみっちゃんに感情移入してしまった。でもここは僕がなんとかしなくちゃ、意を決して、

「ほらみっちゃん、まゆみちゃん北海道に行っちゃうからさ、その前にひとこと言っておこうって言ってたじゃん、それだよそれ!」

 みっちゃんは鉄棒をじっと見つめたまま何かを考えている様子だった。首元には汗が流れていた。

「えっ何、私知りたいよ。」

 まゆみちゃんはみっちゃんにねだった。

「ねえねえ!」

「いや別に大したことじゃないしまた今度話すよ、急いでないから…。」

「ええっ、また今度?」

「うんまた今度…。」

「今度っていつ?」

「う~ん、そのうち…。」

「来週?」

「もうちょっと先かな。」

「次の次の週?」

「えっと多分まゆみちゃんが引っ越してまたこっちに遊びに来たときにでも…。」

「へえっ?でもさ、まゆみ引っ越しちゃったらもうこっちに帰ってこないよ、ねえお姉ちゃん。」

「そうね、もう帰ってこないわね…。」

 鉄棒によりかかりながら3人のやり取りを聞いていたお姉ちゃんは答えた。

「えっじゃあ、本当にもう会えなくなるの?」

 僕が慌てて尋ねると、

「そう、もうこっちには帰ってこないと思うわ。」

「ほらみっちゃん、聞いただろ、今日しかないよ、早く言えって、おい!」

 僕は必死に捲し立てるが、鉄棒を握りしめるみっちゃんの両手が震えているのを見て黙ってしまった。


 お姉ちゃんはスッと鉄棒につばめ止まりをし、クルッと前回りを決めると一言いった。

「まゆみ、伊奈田君と下西君にちゃんとさよならしなさい…。」

 しばしお姉ちゃんを見つめていたまゆみちゃんは男子の方に向き直ると、

「いな君いろいろと遊んでくれてありがとう、すごく楽しかった、北海道に行っても忘れないからね、それから下西君、全然話したりしなかったけどありがとう。もっとお話したり遊んだりできれば良かったねー、元気でね。」

 と言ってニコリと笑った。


「みっちゃんどうする、おいみっちゃん!」

 僕は心のなかで檄を飛ばした。

「行けよ行け!今しかないだろうに、おい!」

 熱くなり過ぎた心の声が危なく漏れそうになった。

 しばし沈黙が続き、いたたまれなくなって思わず僕は口を開いた。

「僕もさ、まゆみちゃんと遊んで楽しかったよ、時々泣かせちゃってごめんね、まゆみちゃんのこと忘れないから、まゆみちゃんも僕のこと忘れないでね。」

「うん、いな君とはケンカもしたけど、面白ろかったから忘れない。」

 まゆみちゃんの幼い笑顔が眩しかった。

「あははっ、」

「あははっ…」

 もう場が持たない!僕は思わず、みっちゃんに懇願するように一言、

「言っちゃえよ。」


 とその瞬間、みっちゃんは背筋をピンと伸ばしスッと鉄棒につばめ止まりをしクルッと前回りを極めると、鉄棒に止まったまま驚くほど大きな声で、

「まゆみち~ゃんさようなら~」

 と叫んだ。残る3人はしばし呆気にとられた…。


 と、お姉ちゃんがくるりと前回りをして、

「みんなさようなら、朝霧(あさぎり)の町さようなら~」

 と美しい声で叫んだ。まゆみちゃんもにこりと笑って前回りをし、

「みんな、さようなら~」

 と叫んだ。最後に残った僕もクルッと前回りをし渾身の力を込めて、

「まゆみちゃ~ん、さようなら~」

 と叫んだ。

 そして

「お姉ちゃん、さようなら~」

 と心の中で叫んだ。


 4人の肩口を、さっきより少し涼しい風が通り過ぎていった。

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