サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい

第1話

 バタフライエフェクトというものがある。

 我が家の場合、父の手帳型スマホケースの合皮が劣化して壊れたのが「蝶のはためき」に相当した。



「そろそろスマホケース買ったら? 今度日和子ひよこの文房具買いにモールに行くから、あなたも一緒に行きましょう」

 母、茉莉子がリビングの中心で生協のカタログをめくりながら言った。

「そうだなあ。久々に家族みんなで出掛けるのも良いなあ」

 父、智はスマホをいじりながら、それに賛同する。

 会社員の父一人、パート勤めの母一人、高校三年生で受験シーズン真っ盛りの娘一人。令和の平凡な中流家庭の夕食後の風景。


 私こと今田日和子の両親は、授業参観に行けば「あの美男美女夫婦は誰の親!?」とどよめきが起こる程度には綺麗どころだ。

 それに比べて私の顔面は平凡そのものなので、「私の親です」と名乗り出ようものなら「へえ……今田さんの……」と微妙な反応を返されるのが常。解せぬ、遺伝子の妙。

 


「風呂入ってくる」

 カバーも何もない剥き身のスマホを机の上に置き、母にキスをしてから父は風呂へ消えて行く。

 私は美男美女のいちゃつきを見ないようにして、テレビでネットの動画を見ていた。我が両親ながらリア充爆発しないかな……いや爆発されたら私が産まれてこないじゃん。



 ネットの動画を漁っていると、「修羅場! 脳内お花畑夫にサレ妻がうっかりを装い復讐wwwざまぁな末路www」とかいう毒々しい色合いのサムネがちらりと見えた。

 修羅場をおもしろおかしく取り上げた挙句に草を生やすなんて、ぶっちゃけ品の無いタイトルだと思う。

 でも不貞への復讐自体は理解出来る……。結婚とは経済とか貞操に関する一種の契約だ。それを内緒で破るのは、感情論抜きにしても、復讐されて然るべき裏切りなんじゃないか。離婚や慰謝料は、合法的に用意された復讐の手段なのかも。

 私、恋人居ない歴イコール年齢だけどそう思う。



 その時、ピロンと甲高い音がリビングに響いた。


 私のスマホかな? と思って通知を見たけど、違った。どうせ私のスマホにはアニメ公式からのメッセージしか来ませんよ……。


 見れば、母も同じことをしていた。母の場合はパート先からの緊急連絡があるかもしれないので、通知はこまめに確認している。しかし違ったらしい。



 じゃあ父のスマホか!

 私と母の目線が、自然と置きっぱなしにしていた父のスマホへ流れた。

 表示されているバナー通知は、見たことがないほどピンクだった。


「あずさ

 明日も♡こたつで♡♡♡むりむり♡こたつむりしようね♡♡♡♡♡おやちゅみ♡♡♡ちゅっちゅぱ♡ちゅぱかぶら♡♡♡」


 え、何そのハートの量。メスガキ? おおよそ父のスマホに表れていいバナー通知じゃないだろ?


 とどめにピンクの犬のスタンプ。どんだけピンクだ。


 送り主は十中八九女の名前。



 リビングは凍り付く。遠くに、父がシャワーを浴びる音が虚しく響いていた。


 明日って……親父が「飲み会で遅くなる日」だ……。


 え、もしかして今まで手帳型のケースに隠れて見えてなかっただけで、こんなメッセージいっぱい来てたの?


「母ちゃん、あずさって……誰? 親父の会社の人?」

「いや、立場とか関係なくこの内容は……クロでしょ……」

 母って何でも出来て強いように見えるけど、普通の人間なんだよなあ。母がこんなに動揺してる姿、久々に見た……私が持病の発作を起こして救急車で運ばれた時以来かも。


 

「日和子が受験勉強頑張って塾に通い詰めてる間に、あの人は何てことを……」

 自分のことより娘のことで泣く。それも私の母……茉莉子らしさだ。


「本当だよ! 母ちゃんが私を塾に送り迎えしてくれて、家事全般してて、その上でパートもしてて……こんなに忙しくしてるのに、一方そのころ女とよろしくやってるの!?」

 不倫されたのは私じゃないのに、私まで辛くなってきた。


 誕生日におもちゃを買ってくれた父、遊園地に連れて行ってくれた父、入学式やら卒業式の度に手ブレと戦いながら私にカメラを向けていた父、キャンプで火おこしを教えてくれた父……全部嘘だったのか? いつから母と私を裏切っていて、腹の中で嗤っていたのか?


 いや、でも……私より母の方が辛い筈だ。


 

「母ちゃん、やっぱり辛い……?」

「辛くないよ?」

 あっけらかんとした母の態度に、私はぽかんとする。



 母は微笑みながら続けた。

「愛情が冷めちゃったから、もう何も辛くないの。夫は嫉妬されるうちが華よ」



 ……それは真理かもしれない。



 かくして、スマホケースが壊れた一件は我々今田家を破局に導いたのであった。

 

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