第一幕 6人の春夏秋冬〜青春って甘酸っぱいだけ?苦味もあるからよくない?

1 春 2-C 高田 真奈

朝の光がカーテンのすき間から差し込んで、部屋の空気をゆっくり明るくしていく。

 新しい学年の始まり。

 胸の奥がそわそわして、落ち着かない。


 鏡の前に立つと、寝ぐせを直したはずの前髪が、やっぱり少しだけ跳ねていた。


「……んー、今日なんか顔ぎこちないかも。にー……」


 笑ってみせても、どうにも表情が固い。


「真奈!あなたは可愛い。あなたは可愛い……ほら、笑って……」


 頬を両手で軽く叩いてみても、鏡の中の私は思ったより必死な顔をしていた。

 新学期なのに、これじゃだめだ――そう思うほど胸が落ち着かなくなる。


(同じクラスだったらどうしよう。

 もし違ったら……どうしよう。)


 心の中で名前を思い浮かべるだけで、鼓動が少し早くなる。

 高橋樹。

 小さく息を吸い、スカートの皺を伸ばして、家を出た。


   ◇


 通学路は、見慣れたはずなのに、今日はどこか色が違って見えた。

 制服の袖を揺らす風が、ほんの少し冷たい。


 校門をくぐると、胸の奥がぎゅっと熱くなった。

 掲示板の前には人だかりができていて、それぞれの声が混ざり合っていた。


「えー最悪また同じクラス……」

「やった!一緒だー!」


 そんな言葉が飛び交う中、私も人の間に入り込む。


(えっと……高田……高田……)


 見つけた。


 高田真奈 2-C


 胸の奥がすこしだけ軽くなる。

 そして、ほとんど反射的に、その少し下の名前を探していた。


(お願い……)


 高橋樹 2-C


「……やった」


 小さく呟いたつもりだったのに、喉の奥が熱くて、声が震えた。

 握った拳が自分でもわかるほど強かった。


「んー?真奈?今ちょっとニヤってしたでしょー?」


 横から覗き込んできたのは、友達の前田麻紀。

 にやにや笑いながら、私の顔を覗き込む。


「え、違っ……!私は別にっ」


「はいはい。樹くん同じクラスでしょ?

 嬉しそーバレバレー。好きなんでしょ?」


「す、好きっていうか……ちょっと、気になるだけで……って麻紀に関係ないでしょ!」


 言い返した瞬間、ますます顔が熱くなる。

 そんな私を見て、麻紀はさらに笑った。


「おっ!俺が何?」


 その声がすぐ後ろから落ちてきた。


 振り向くと、そこに樹が立っていた。

 いつもの自然体の笑顔で、軽く手を上げる。


「真奈、麻紀、また同じクラスだな。

 二年もよろしく」


「よ、よろしく……」


 声が小さくなる。

 麻紀が隣でわざとらしくひじでつついてくる。


 樹は少し眉を寄せて、私の顔をのぞき込んだ。


「……真奈、顔赤くない?熱か?」


 そっと、おでこに手が触れた。


 それだけで、息が止まりそうになる。

 胸の奥まで熱が広がって、頭の中が真っ白になった。


「……うーん、熱はなさそうだけど。

 つらいなら保健室、連れてくけど?」


(そんな優しく言わないで……。

 ほんとに動けなくなる……)


 麻紀が横で「ほら真奈ー?どうすんのー?」と茶化す声が聞こえるけど、

 返す余裕なんてなかった。


 春のざわめきが、胸の奥で静かに響いた。



教室に入ると、窓際から春の光が差し込んでいた。

 まだ誰のものでもない椅子と机が、どこかよそよそしく並んでいる。


「真奈〜、せっかくまた同じクラスなんだしさ。

 はい!開幕記念に写真撮ろっ!」


 麻紀がスマホを掲げて満面の笑み。

 教室の何人かもつられて「撮ろ撮ろー!」と近寄ってきた。


「え、いま?このタイミングで……?」


「このタイミングがいいの!ほら、樹くんもー!」


 呼ばれた樹が、自然な流れでこちらに歩いてくる。


「写真?いいじゃんいいじゃん。

 はい真奈、もっとこっち寄れって」


 ぐいっと肩を寄せられた。


 その一瞬で、さっきまで落ち着いていたはずの心臓が、また意味不明な速度で跳ね上がる。


(近い……近すぎ……やば……)


「はい並んだ並んだー!

 じゃあ笑うよー? いち、にーの――」


 麻紀の声が弾む。


 真奈の頭の中は、すでに軽いパニックだった。


(待って。笑えてる?

 口角上がってる?

 変な顔してない?

 いや、ちゃんと写らないと……

 可愛く……可愛く……!)


 心の声が渋滞を起こし、

 “よし完璧!” と謎の確信が生まれた瞬間――


「さんっ!」


 パシャッ。


 教室にシャッター音が響いた。


 一秒の静寂。


 そして――


「……ぶっ!」


「え、なにこれ、やば……!」


「真奈、顔っ……!」


 周囲が一斉に笑い出した。


「え? なに? なにが……?」


 麻紀が肩を震わせながらスマホを突き出す。

 恐る恐る画面を覗き込むと――


(…………は?)


 そこには、

 口角を上げすぎて妙な角度に引きつった笑顔、

 目は頑張りすぎて半分つり上がり、

 顔全体が“真奈史上見たことない表情” の私が写っていた。


 この世のものとは思えない。


「いやいやいやいや、これは違っ……

 私こんな顔してないしっ!」


「いや、したんだよ真奈。

 ほら、証拠……!」


 樹が笑いすぎて腰をかがめている。


 その光景を見るだけで、さらに顔が熱くなる。


(終わった……。

 高校二年、開始数分で終わった……)


「いや真奈、逆にすげぇってこれ。

 あー笑った……っはは……」


「うるさいっ!見ないで!!」


 思わずカバンで顔を隠すと、

 教室のあちこちから「保存した!」「送ってー!」の声まで聞こえた。


(いやもう本当に無理……

 今日休みたい……)


 私の春は、始まったばかりなのに、

 もう心が折れそうだった。


 でも。


「……真奈、その顔、なんか……可愛かったけどな」


「は!?なっ、なに言ってっ……!」


 樹がぽつりとそんなことを言ったせいで、

 変顔よりももっと、顔が真っ赤になるのだった。



その日の放課後、写真はちゃっかりスマホのホーム画面に設定した。

ただし――自分の顔の上だけは小さなスタンプで必死に隠してある。

……それがバレるのは、もう少し先の話。

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