第2話

人は一生涯に一度、常軌を逸した傑作を書き上げる。

自身の全てを筆先に込めて、生命力の全てを文章として残す、その行為は文字通り命を削って作られる生きた文字であり、書き上げた時、その小説には魂が宿る。


それは、魔導書と呼ばれる危険物であり、内容を理解してしまえば、超常現象を引き起こしてしまう効果を齎してしまう。


魔導圕まどうとしょかんとは、その小説を管理、回収する為の組織であり、その組織に協力する魔導書使いを、魔文豪と形容された。


「……」


神坂文護が二十五歳の頃。

全ての人間を憎んでいた時があった。

その時に書き上げた作品が在ったのだが、どうやらそれが魔導書へと変化してしまったのだ。


魔導書を制作してしまった神坂文護は今後、魔導圕まどうとしょかんに監視される事となり、本来は特定収容所で管理されるのだが、協力関係となる事である程度の自由を許された。


その代わり……神坂文護は魔導圕まどうとしょかんの犬として、働かざるを得なくなったのだが。






〈醜雨―――断章:村を水没させる程の降水量、嵐の前触れである豪雨は、人の姿が見えぬ程に雨粒が降り注いでいた。〉






断章を口遊む。

神坂文護の魔導書は〈醜雨しゅうう〉と言う題目の小説だ。

彼のの穢れた心を映し出したかの様な魔導書であり、その一節を読み終えると、晴れやかな空は一気に曇り出した。


魔導書に記された文章は、使用者の理解と解釈によって超常現象を引き起こす。

神坂文護が口にした断章は、辺り一帯を包み込む豪雨へと天候を変化させたのだ。


突然の雨は、傘を持たない一般人は雨宿りをするか家に閉じ籠るだろう。

あるいは傘を差して外出するかも知れないが、流石に其処までは人避けの面倒は見れなかった。

魔導書を持ちながら神坂文護は歩き続けると、頁を披き別の断章を口にする。






〈醜雨―――断章:空を写し込む鏡の様な水溜まりに映る自らの体を踏み付ける。複数の波紋が広がった。急ぎ足で走ると水飛沫が飛び散る音が響き出し、その音を影ながら耳にする者が居た。〉






断章を追加して、神坂文護は目を閉ざす。

今、神坂文護の感覚は雨によって作られた水溜まりの波紋の動きと、ばしゃばしゃと鳴り響く水溜まりを踏み付ける音を聞き分ける事が出来る様になった。

複数の人が動く音と振動を感じ取りながら、僕は雨の道を歩き出す。


住宅街近くには勾配な上り坂があり、その下にはフェンス越しの川が出来ていた。

排水管と繋がった川は、奇妙な混濁とした色合いをしていて衛生的に悪いだろうが、子供の頃はそんな知識も無く遊んだ記憶がある。

今となっては、汚らしい場所に足を踏み入れる気が知れない。

坂から登る人間の顔を見る、その人物は男性だった。


「菅ヶ原里己だね」


僕は男性の前に立つ。

年齢は二十代前半くらいだろうか。

彼の手には魔導書が握り締められていた。

それを見て、神坂文護は少し歯軋りをした。


「な、なんだよ、お前……ッ」


「魔文豪、或いは魔導圕まどうとしょかんの者と言えば良いかな?」


男性は神坂文護の言葉を聞いて目を丸くする。

そして両手で抱える様に持っていた魔導書を緩めた。


魔導圕まどうとしょかん、だ、だったら……俺を保護、してくれるのか!?」


微かな希望を宿した目で神坂文護を見つめる。

彼はどうやら魔導圕まどうとしょかんに保護されたがっている様子だが、神坂文護は彼の衣服を確認して首を左右に振る。


「悪いがそれは無理だ、既に君は魔導書を使用して犯罪を犯した……魔導書を没収し、君の身柄は警察に引き渡す事になる」


彼の衣服には血が付着していた。

担当の枢木から、事件の犯行を耳にしている。

魔導書をどうやって手に入れたかは分からないが、強盗殺人の為に使用したのだ。

一度、罪を犯した犯罪者を、魔導圕まどうとしょかんは引き取る様な真似はしなかった。


「く、ち、畜生……だったら、逃げてやるッ!!」


魔導書を披こうとした時。

神坂文護は彼の事を、魔導書に相応しくない存在だと思った。

実際に魔導書を書き記した者ならば、指を使い頁を披く手間を掻ける必要など無い。

ただ、魔導書に念じれば良いだけの話なのだから。






〈醜雨―――断章:決壊したダムは、全ての犯行を洗い流すかの様に、惨状を遂げた血濡れの村に瀑布が襲い掛かった。〉






神坂文護の言葉と共に、豪雨が降水量を増やしていき、坂から流れ出る雨水の濁流が、菅ヶ原里己に向けて叩き付けられる。

彼はそのまま下り坂となっていき、フェンスに叩き付けられて、フェンスごと川へと落ちた。

雨の効果によって溢れんばかりに川は氾濫していて、彼は剥がれ掛けたフェンスを掴んで洪水に流されまいと必死になっている。


「はっ、はぷっ、ぐはッ」


濁流に押し流されてフェンスに衝突した際、裏返ってしまったのだろう、川に沈み込む菅ヶ原里己の上に檻の如くフェンスで塞がれていて、川から這い上がる事が出来なかった。


「……た、たすけっ、って!!」


菅ヶ原里己は汚水を飲みながら涙を流して助けを求めている。

神坂文護は、川沿いから飛び立つと、フェンスの上に乗った。

菅ヶ原里己を下に、神坂文護は彼の顔を見詰めていた。


「……魔導書と言えども、あれは、本だ」


菅ヶ原里己の両手はフェンスを掴んでいた。

魔導書を手放して、大切な本を捨てて自分のちっぽけな命を優先したのだ。


「僕は、小説に生かされている……僕は大事なものを何度か裏切ってしまった時、自傷を行い自殺を起こす程に、心を病んだ、……君にとって魔導書は、その程度のものと言う事なのか?……極めて理解し難い事だ」


フェンスを掴む彼の指を強く踏み付ける。

相手の指の爪を剥がす様に、靴底を引っ掛けて爪を剥がそうとすると、簡単に指が離れた。


「だ、だず、げッ」


汚水を飲みながら彼は懇願していたが、その様な言葉を聞き受ける程、神坂文護は優しくは無かった。

魔導書を披き、彼の溺死し掛けている顔を見ながら呟いた。


「……本を想わず大切にしない君は、死んで終え」


断章を口にする。




〈醜雨―――断章:大口径の弾丸が地に被弾したかの様な着水音、大粒の雨が大地を穿つ様に降り注いだ。〉




その断章の効果は、雨粒の威力を増加させると言うものだった。

天から地へ降り注ぐ雨粒は地に着面しても柔らかな土を抉る事は出来ても舗装された混凝土を一撃で破壊する事は出来ない。

けれど、この断章により、鉄を歪ませる程の威力となって、菅ヶ原里己へと射出されていくと、フェンスを掴む指を貫通し、複数の雨粒が顔面に直撃する。


「ぎゃ、ぁッ!!」


声を漏らし、フェンスから手を離した菅ヶ原里己は、そのまま濁流と共に流されていく。

このまま、何をしなくても彼は海辺で水死体として発見されるかも知れない。

若しかすれば、彼はこのまま奇跡的に生き延びる可能性もあるが、神坂文護の怒りは先程の断章を以て感情が落ち着いたので、これ以上の追跡はしなかった。

神坂文護の役割は、あくまでも魔導書の回収である。

既に事件を起こした犯罪者は、確かに神坂文護を含める魔文豪が処分しても良い事になっているが、こちらは好きで行っている事ではない、そこまでして時間を掛ける気にはならなかった。

後は捜査を始めた警察が何とかしてくれるだろう。

神坂文護には神坂文護がやるべき仕事を全うする。





〈醜雨―――断章:深淵の様に暗い水底から、手探りで硬いものに触れた。それが自身が求めていたものだと悟ると、思わず笑みを浮かびそうになった。〉




断章を口遊む。

本来、この文章は醜雨の犯人が富豪の池に落とした殺害用に使用する鉈を回収した際を表した文章であるが、神坂文護はその一部分を切り抜き、水底に落とした道具を回収する為に使用している。


魔導書と言うものは著者がどの様な思いで描いたで意味が変化する。

国語の授業でもあっただろう、この時の作者の気持ちを考えよ、と言う問題文。

教師陣の考えた答え以外はバツであるが、神坂文護からすれば『僕の考えを理解出来る筈が無い』と思っている。

作者がこの時はこう思っていた、と思えば、それがその文章の解釈の答えなのだ。


さて。

断章の効果により、濁流の川からぷかりと浮かび上がり、神坂文護の目の前に現れる魔導書に手を伸ばすと、水に濡れた魔導書を手に入れた。


「これで、僕の仕事は終わりだ」


魔導書を見詰めながら、神坂文護は今回の仕事を終わらせる事が出来て良かったと、息を漏らすのだった。



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無名作家の小説は魔文豪ヒロイン達には病み付きな作品らしい。熱狂し過ぎて無名作家を崇拝する程になるヒロイン達、現代ファンタジー、魔導書バトル、文系ハーレム 三流木青二斎無一門 @itisyou

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