20話 二つの家族

 佐久良が家に帰ると、丁度中の間で両親が寛いでいるところだった。


「おかえり、佐久良」

「ただいま」

 父の氷室入谷いりやは穏やかな雰囲気の男だ。

 髪を緩く後ろに撫で付け、アイボリーのニットの上に鼠色の長着と枯野色の羽織を纏った温かみのある姿は彼の内面をよく表している。

 常に微笑を浮かべており、その眉が吊り上がるのを見たことは無い。


 佐久良の凍て付くような顔立ちは、母の塔院常磐ときわの方に似ていた。

 入谷とは反対に、いつも怒っているのではないかと誤解を招きがちなポーカーフェイスの女だ。

 しかし毎日髪を美しく編んでくれる母の手付きの優しさを佐久良は知っている。

 常磐の家系は代々着道楽で、彼女も例に漏れず美しく着飾っている。

 今日は両耳の後ろでそれぞれ作った三つ編みを輪っかにし、フリルがたっぷりついたブラウスに袴風のスカートを合わせている。


 両親は共に家具職人であった。

 そして二人の耳にも、紫色のタッセルが揺れていた。


「……またいらんことしよる奴に絡まれたんか」

 ほんのり赤く泣き腫らした佐久良の目元を見て常磐が呟く。

 文化人形をぎゅっと抱き締めて、佐久良は小さく頷いた。

「もう少し待っててくれたら、お父さんが一緒に付いて行ったったのに」

「親に引っ付いて遊んどる方が舐められて、余計いじめられる」

 心配そうに言う入谷に対して放たれた佐久良の一丁前の言葉に、思わず常磐は吹き出す。

「やって。佐久良の方が大人やな」

「わ、笑いごとちゃうやろ」

入谷は不満げに妻を見遣る。

 しかし当の佐久良がけろっとしているので、それ以上は追及しなかった。

「悪いことばっかりやなかったよ。

 友達が出来たもん」

「へえ、どんな子や?」

「人形を取り返してくれてん。

 由利って言うて、髪が赤くて、背が高くて……Usualやけど僕に優しくしてくれた。

 あとエレクトロウェアを着てたり、御守の人が付いてたりしたから、浄世講の子なんかな」

 由利のことを説明すると、両親にはすぐにぴんときたようだった。

「もしかして、蓮見五月七日の孫?」

「ああ、なずみ家の血が入っとるらしいもんな」


 泥を名乗る一族は御池の処理場や発電所を管理しており、『ケリックス』なる女性を祖とする。

 サイバー空間にダイブしてWSOと戦った電脳戦士グレムリンの中でも、赤い髪を持つデラシネのハッカー、ケリックスは最強と名高かった。


 ケリックスから始まった泥一族のように、海の向こうから来た人にルーツを持つ者はネオ南都に少なくない。

 代を重ねるうちに土着の民族の中にその血は薄れていき、見てそれと分かる形質を持つ者は減ってきているが、由利はケリックスの赤い髪が色濃く発現したようであった。


 最強のグレムリンの子孫かつ、浄世講のリーダーの孫。

 それが由利の生まれ付いた環境であった。


「これからも仲良くしいや」

 父に言われ、うん、と佐久良は頷いた。

「ほら、手え洗っといで。

 一緒にお茶でもしよう」

 促され、さっさと手洗いとうがいを済ませると、両親と人形と共にテーブルを囲んだ。

「お花、綺麗やった?」

「うん」

「僕もお花見したいなあ。

 頼んだら連れてってくれる?」

 入谷がやや子離れ出来ておらず、佐久良の先の発言に一抹の寂しさを感じているらしいのは察せられた。

 佐久良は快諾する。

「良えよ」

「ほんま? ほな今度、三人で巨像遺跡の方に遊びに行こや。

 清須美園とか、神饌遺跡とか」

「それも良えけど、結婚の桜も綺麗やで」

「うん、全部行こう」

 はしゃぐ入谷を、どっちが子どもだか、と呆れたように、しかし温かく常磐は見つめている。

 その後も塔院の家には和やかな笑い声が響いていた。

 


 由利の家族が一同に会したのは、陽が落ちてからのことであった。


 安良池街道をずっと南下し、森や住宅が途切れたところに、浄世講の関係者約一五〇名が住まう広大な敷地があった。

 青白く撓やかな流線形を描く鋼構造の建築物がいくつも群れ成していて、敷地を常に電子バリアの壁が覆う。

 ロトスとは比べ物にならないほど小さいが、十分権威的な施設だ。


 そのうちの一棟が、由利と両親、祖父が四人で暮らす屋敷であった。 


 モノトーンで統一されたモダンな食堂、大理石のテーブルを四人が囲んでいる。


 小使いが食事を運んでくる間、父の小路が由利に話し掛ける。

「今日、御守を振り払って一人でどっか行ってしもたんやってな。

 あかんやないか」

 由利とは正反対に、ハの字眉と下がった目尻が柔和な印象を与える美青年だ。

 めりはりのある体躯を強調する黒いボディスーツ状のエレクトロウェアの上に、ミリタリー風のコルセットベルトとロングコートという恰好だが、背中に垂れるふわふわとした髪が厳めしさを打ち消している。

 食卓に居ても左腰には『済度さいど』と名付けられた太刀を佩いていた。

 ぷいとそっぽを向く由利に、続け様に小路は言う。

「それに、新人類と遊んだんやってな」


 すると、上座に掛ける五月七日が色付きの丸眼鏡の奥で鋭い目を細めた。

 五月七日は強面で、由利の顔立ちは小路よりも彼に似ている。

 白髪交じりの髪を一つに纏め、髭を蓄えて刀片手にモッズスーツを着熟す姿は、六十代という年齢以上の貫録を放つ。

 十代の頃に浄世講を立ち上げてネオ南都を実質的に支配し、今もなおリーダーの座に君臨しているだけはある人物だ。


 由利の母の泥己波みわは、全くの無関心といった様子で、男達の会話に反応を示すことは無かった。

 お下げの黒髪を純白のハーフボンネットで覆い、同じく純白のワンピースを着た彼女の美しい顔は、窓の外へと向けられている。


「新人類と遊んだらあかんで。あいつらは恐ろしい力を持っとって、普通の人達の平和を脅かすから」

「あの子は良え子やった!」

 小路の言葉に、由利は吠えて掛かる。

 小路は幼い我が子にやや気圧される。

「由利が傷付けられてからでは遅いやろ。

 とにかく、あかんもんはあかんからな」

 説教の声はだんだん頼りなく、弱々しくなっていく。

 すると五月七日が口を挟んだ。

「前から言うてるやろ。

 由利を敷地の外に出すことは止めろ。

 由利は大事な跡取りや。

 お前とは頭の出来が違う、大将の器やぞ」

「へえ、おじいちゃんは、世間知らずの孫に浄世講が受け継がれるところが見たいんや? 

 変わっとるなあ!」

 由利は祖父に対しても堂々と反発した。


 落ち込んでいいやら焦っていいやらで顔色を次々に変えている小路には目もくれず、五月七日はフッと笑った。

「まあ、良え。今は食事にしよう。いただきます」

 五月七日は早速、ステーキを大雑把に切ると健康そのものの歯でばりばりと咀嚼する。

「あ!? いただきます!」

 由利も負けじとステーキに齧り付く。


 ――由利の名は、五月七日が決めた。

 小路のような凡人ではなく、五月七日のような豪傑になってほしいとの願いを込めて、『つゆり』に似た『ゆり』の音を授けたのだ。

 小路は暫く食事に手が伸びず、窓に映る家族の姿を見つめていた。

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