19話 昔むかしのお話

 十年前。

 土塀が続く高田の路地の奥、同年代の子ども達に囲まれて静かに泣いている少年が居た。

 齢は十。

 フリルブラウスにカメオ柄のゴブランで織られたコルセットパンツ、純白のタイツに木底のおでこ靴と、良い身形をしている。

 リボンを編み込んだ長い黒髪の間には、紫色のタッセルイヤリングがちらついていた。


「この犯罪者予備軍……! 

 もう二度と外に出て来おへんって誓うまで、この人形は返さへんぞ」

 子どもの一人がそう言って、泣いている少年に文化人形を握り締めた拳を突き付ける。


 路地に激しくも軽やかな足音が響き渡ったのは、その時だった。

 赤い影が飛び込んできて、人形を持っている少年の肩を掴み、土塀に叩き付けた。

「人形、返したれや」

 低い声で凄む赤い影の正体は、これまた歳の近そうな男児であった。

 この場に居る誰よりも背が高く、腰の辺りまである赤毛を靡かせている。

 見たことの無い顔だが、敵に回してはいけない威圧感を一目で感じた。


「なんやねん、お前……こいつはDomやぞ。

 放っといたら周りをいじめ始める悪い生き物で、事前に制裁を……」

「『制裁』? 今はお前の『盗み』の話しをしとるんじゃ!」

 どよめく周囲の子ども達に対して赤毛の少年は吐き捨てる。

 あまりの迫力に、子ども達は文化人形を赤毛の少年に押し付けて逃げて行った。


 路地には、赤毛の少年と佐久良だけが取り残された。

「――ほれ」

 涙で歪む視界に、人形が差し出される。

「ありがとう……えっと、僕は佐久良。君は……」

「俺は由利」

 由利と名乗った赤毛の子どもは、傷一つ無い玉のような顔を綻ばせ、にっと笑った。

 シフォンのセーラーカラーシャツに、丈の短いキュロットスカート、バレエシューズという全体的にふわふわした印象の服装で、こんな洋菓子のような少年がさっきの一撃とドスの利いた声を出したのだと思うと、その落差に心惹かれた。


 由利の服の下で、何かがぼんやりと光った。

 昼の明るさの中でも見て取れる電気の光。

 彼はエレクトロウェアを着ている。

 ネオ南都を支配する浄世講の構成員にしか所持を許されていない筈のものを。



 新人類による暴動を鎮圧した蓮見五月七日つゆりなる男が創った、邪機を殺し、不穏分子の人間を処分する自警団――浄世講。

 左腕に赤い腕章を付け、一般人には所持が許可されていない武器やエレクトロウェアを装備して大勢で連れ立っている姿は時々見掛ける。

 佐久良にもその威光は十分に理解出来た。



「僕がDomやって、聞いたやろ? 逃げへんの?」

「ただのDomから俺が逃げる? あほ抜かせ」

 怖ず怖ずと訪ねた佐久良を、由利は笑い飛ばした。

「新人類が発生したての頃は、超能力ひけらかして争いを起こして、うちのおじいちゃんに討伐された奴も居ったらしいけど、そんなん一部のあほの話やろ。

 佐久良がそんないちびりには見えへんわ」

 他人に興味など無さげな由利の態度が、佐久良に取っては救いだった。

 先程絡んできたような連中は、良くも悪くも他人と関わりを持ちたがり、敵味方に分類しなくては気が済まないらしい。

 そういう時、佐久良はDomであるというだけで『敵』に分類されてばかりだったのだ。


 実を見ただけでも美味しい野いちごか不味い蛇いちごか何となく見分けられるのと同じように、雰囲気を見ればUsualか新人類かは分かる。

 由利はUsualのようだ。

 新人類と対等に接してくれるUsualなんて、大人であっても多くはない。



「それより、何か面白い遊びでも教えてくれへん? 俺、家の外に出たことってあんまり無うてさあ」

 由利に迫られ、佐久良は少し申し訳なさそうに目を逸らした。

 目線の先には、立派な屋敷の門と土塀、その向こう側から路地を見下ろす満開の桜の木があった。

 よく見ればその木は、二本寄り添いながら聳えて一本の大木かのように振る舞っている。


「誰かと一緒に遊べるもんなんか、あんまり知らん……今かて、この子とお花見しとっただけやもん」

 文化人形を抱き締めてぼそぼそ言う佐久良の肩に由利は寄り掛かる。

「ほな『三人』で花見するのは? やかましくせえへんから、混ぜてや」

 そして佐久良と由利は路地に立ち、桜花を眺めた。

 沈黙していても文句一つ言わず風雅な景色を楽しんでいる由利は、共に居て心地良かった。

 

 親以外の誰かに自分を知ってほしくて口を開くという、初めてのことが佐久良に起こる。

「この木、二本引っ付いてるやろ。

 仲が良えみたいで好きやねん。

 結婚の桜って名前付けて、春以外もちょくちょく見に来てんねん」

「けっこん、て何?」

 由利は首を傾げる。


 分からないのも無理はない。

 家や婚姻といった制度は争いの元としてWSOに廃止されたものの一つだった。

 WSOが廃止したものの中では、人々の生活に与えた影響は比較的少ない方であったが、苗字が廃止されたことで個人識別が難しくなるという不便も起きた。

 結局、屋号のような自由度の高い呼び名として苗字は現在復活している。


「昔の人がやっとった、貴方のことが好きですって約束すること」

「へえ、佐久良は物知りやな」

「本で知っただけや」

「本が読めるんか!?」

 ちょっと前までは仏頂面か冷笑かの二択しか無かった由利の表情は、感心したり驚いたりと、ころころ変わるようになっていた。

「簡単なものやったら、多少は」

「凄いなあ。結婚のことはどういうふうに書いてあった?」

「それは、こんな話やった」

 佐久良は、絵本の内容を諳んじる。




 昔むかしのお話です。春の国には心優しい王子様が、その隣の夏の国には歌が上手なお姫様が居ました。

 二人は大人になったら結婚しようと約束していましたが、ある時お姫様は行方知れずとなってしまったのです。


 探しても探してもお姫様は見付かりませんでしたが、王子様だけは諦めませんでした。

 王家に伝わる魔法の剣を振るってうんと強くなり、手掛かりを求めて沢山勉強しました。

 そして毎晩、お姫様が好きだった歌を口遊んでは、聞き覚えが無いかと旅の妖精達に訊ねていたのです。


 収穫の月の晩、いつものように王子様が窓辺で妖精達に問い掛けていると、一人の妖精が夏の国で耳にした恐ろしい噂話を教えてくれました。

 森の奥深くに住む怪鳥が、丁度そんな音色の歌で人を誘い込んでは殺しているらしい。

 そしてその鳥の顔は、お姫様にそっくりなんだとさ。


 王子様は魔法の剣を携えて、早速森へと入って行きました。

 茨を掻き分け、泥を這い、やがて高く聳える塔を見付けます。

 不思議なことに、塔には入り口がありません。

 疲れきっていた王子様は、一休みしてからもう一度入り口を探してみようと思い、塔の近くの茂みで眠りに就きました。


「梯子を下ろしておくれ」

 大きな声に驚いて王子様が目を覚ましたのは、明くる朝のことでした。

 様子を窺うと、塔の麓にはとても美しい女の人が居て、上の方にある窓を見上げていました。

 暫くすると窓からは、燃えるように輝く長い長い髪がするすると垂れてきました。

 女の人はその髪を梯子のように使って上へ上へと昇って、とうとう窓から塔の中に入って行ったのです。


 夕方になると再び髪が垂らされて、下りて来た女の人はそのままどこかへ去って行きました。

 王子様は窓に向かって呼び掛けます。

「梯子を下ろしておくれ」

 すると同じように、長い長い髪が地面の際まで垂れてきました。

 王子様が髪を掴んで昇って行き、窓から塔の中に入ると、燃えるような髪の先には行方知れずだったお姫様が居ました。


 お姫様は悪い魔女に攫われて、塔に閉じ込められていたのです。

 さっきの美しい女の人こそが悪い魔女だったのです。

 よく見れば、塔やその中の家具は全て人間の骨や皮で組み立てられ、髪で縫われ血で色塗られたものです。

 鳥に化けて人を殺すことを楽しんでいる魔女は、自分から疑いの目を逸らす為、そして王家の評判を落として財産を乗っ取る為に、お姫様を利用しているのでした。


「一緒に外へ抜け出そう。

 僕は君を救い出す為に強くなった。

 魔法の剣だって持っている」

王子様はお姫様に言いますが、お姫様は怯えています。

「魔女は残忍すぎる。私に自由なんて無い」

 それでも王子様が夜通し勇気付けたお陰で、お姫様はやっと決心したようでした。

 

 しかし二人が手を取り合った瞬間、鳥の鳴き声が森に響きました。

 朝になれば魔女が来てしまいます。

 脱出は今夜だと約束し、王子様は塔を出て行くと、少し離れた洞窟に身を隠しました。


「梯子を下ろしておくれ」

 魔女は今日もお姫様に声を掛けて、塔の上に昇ります。

 お姫様の顔を見た魔女は、あっと声を上げました。

 ずっとずっと閉じ込められて暗く沈んでいたお姫様の表情は、希望を抱いたせいで、隠しきれない程美しく輝いていたのです。

 そんなことは絶対に有り得ないと考えた魔女は、魔法の水晶に、昨夜ここで何があったかを映し出しました。

 王子様のことを知って怒った魔女は、お姫様の髪を短く切って、魔法を掛けます。

「そろそろ王家の評判は地に墜ちた頃合いだろう。

 お前はもう用済みだ、遠くて寒くて暗い荒野へ飛んで行ってしまえ!」

魔女が叫ぶと同時に、お姫様の姿は煙のように塔から消えてしまいました。


 夜になり、何も知らない王子様が塔の麓にやって来ます。

「ねえ、梯子を下ろしておくれ」

 呼び掛けに応えて、長い髪が窓から垂れてきました。

 王子様はわくわくしながら髪を昇って行きましたが、その先に居たのはあの魔女でした。

 切り取られた髪だけが魔女の手の中にあり、お姫様は塔の中に居ません。

「お姫様はもうこの世に居ない! 

 私が殺してやった!」

魔女は高笑いしながら鳥に変身すると、塔から飛び立ちました。

 ああ、お姫様が死んでしまった。

 絶望した王子様は塔から身を投げましたが、命を絶つことは出来ず、魔法の剣だけが粉々に砕けました。




そこまで佐久良が語り終えた時、由利は堪らず口を挟んだ。

「飛び降りるだなんて、損するだけやないか! 

 王子様は何で、そんな得にならんことしたんや」

魔法の剣が砕けたことが心底残念だといった顔をしている。

 少し考えてから、佐久良は思ったことを言った。

「それだけ、お姫様のことが好きやったんちゃうかな。

 損得とかどうでもよくなるくらい」

 すると由利は、案外あっさりと受け入れてくれた。

「そっか。好きやったからか」




 死ぬことが出来なかった王子様は、夏の国のお城へ赴き、森での出来事を話しました。

 しかし王様もお妃様もとっくに魔女の虜になっており、王子様の言うことを信じてはくれませんでした。

 王子様は夏の国から追放され、更には故郷である春の国からも、お姫様の顔をした怪鳥を前にして情に流され、殺すことが出来なかった上に魔法の剣を失った愚か者だと罵られ、縁を切られてしまったのです。


 夏の国を追われる道中、王子様はある噂を耳にします。

 恐れて誰も近付かない荒野から時折届いてくる、澄んだ美しい歌声の噂です。

 僅かな希望を胸にした王子様は荒野を目指して歩き続けます。


 荒野へ向かう途中にある冬の国は鍛冶が得意な国だから、そこでなら魔法の剣を直してもらえるかもしれないと王子様は考えていました。

 しかしその前に通り掛かった秋の国で、重い病に罹った人達と出会い、病を治す為に魔法の剣の刃を粉にしたものが必要だと分かると、優しい王子様は欠片をみんなあげてしまって、冬の国で剣を作り直すことは出来ませんでした。


 来た道を振り返ると、遠くの空に春の国と夏の国の戦火が見えます。

 更なる絶望に包まれながらも王子様は旅を続けて、とうとう大陸の果てにある荒野へ辿り着きました。

体は疲れ果てていましたが、心だけは決して折れていません。

 歌声を頼りに歩き続け、とうとう声の主を見付けます。髪は随分短くなっていましたが、それは間違いなくあのお姫様でした。



「再会を喜ぶ二人が流した涙が凍って、魔法の剣が二振り生まれます。

 魔法の剣は、希望を捨てず荒野へ踏み出した者の汗や涙が凍って生まれるものだったのです。

 春の国と夏の国を滅ぼし尽くした魔女は二人を見付けて襲い掛かってきましたが、二人は力を合わせて、魔法の剣で魔女をやっつけました」


 魔法の剣が復活したという一節に、由利はぱっと顔を輝かせた。

 それを見た佐久良も笑みを零しながら、物語の結末を語りだす。



 二人は荒野で小さな結婚式を開きます。

 旅の途中で王子様が助けた人達が、王子様を心配して荒野までやって来て、二人をお祝いしてくれました。

 お姫様と王子様は、ずっとずっと仲良く暮らしました。



 うっとりと聴き入る由利の余韻を、男の声が打ち切る。

「由利様! 探したんですよ」

 エレクトロウェアを着用していることから並大抵の身分ではないだろうとは思っていたが、由利には御守まで付いているようだった。

 近付いて来た男は佐久良を一瞥してDomと判断し、ふんと鼻を鳴らすと由利を引き摺って行く。


 それを呆然と見送っていると、由利は何やら男を言いくるめたらしく、彼の手から逃れて佐久良の元へ戻って来た。

「なあ、またここで会える?」

「うん」

 問われて佐久良は即答したが、ふと不安に駆られた。

 自分と一緒に居ては、由利まで嫌われ者になってしまうのではないか。


 由利はそれを見抜いたようで、自信に満ちた表情で宣言する。

「大丈夫、何かあったら俺が佐久良を助ける! 

 約束や」

「……でも……」

「佐久良は俺と会いとうないんか?」

「そんなことはっ……」

 いじめられることなんかより、由利に会えなくなることの方が怖い。

 佐久良は瞬時に覚悟を決める。

「ほな、俺も由利を守る……約束する」

「そう来な」

 由利は、にっと笑うと踵を返し、そのまま御守の男と共に去って行った。



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 時々過去編を挟むことになりますが、読んでいただけると恋愛模様や結末に深みが出るかと思いますので、気の向く限りお付き合いいただけると幸いです。

 何故スパダリ幼少期の佐久良が気弱なのか、その謎を解明しにアマゾンの奥地に旅立ちましょう!

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