人生とは サルトルvsショーペンハウエル

テーマ:人生とは何か


ジャン=ポール・サルトル「人生とは、あらかじめ意味を与えられたものではない。人はまず存在し、その後に自らの選択によって本質を引き受ける。人生の意味は発見されるものではなく、行為によって作られる。逃げ場はない。選ばないという態度すら、一つの選択だからだ。人は自由であることを強いられている。その重さを回避することはできない」


・簡単ポイント

人生を「未決定なもの」として捉え、

意味は行為の結果として生じると見る。

重心は未来と選択にある。



アルトゥル・ショーペンハウエル「人生とは、盲目的な生存意志が自らを表象として展開する過程にすぎない。人は自由に選んでいると思い込むが、その背後では欲望がすべてを駆動している。満たされれば退屈し、満たされなければ苦しむ。この往復運動から逃れることはできない。人生に意味を与えようとする努力そのものが、意志の自己保存だ」


・簡単ポイント

人生を「欲望の運動」として捉え、

意味付けそのものを疑っている。

重心は現在と構造にある。



サルトル「あなたは人間を、欲望の受動的な現象に閉じ込めすぎている。人は状況に規定されながらも、それに対して態度を取ることができる。人生は、条件の中でどう振る舞うかの連続だ。意味は状況の外にはなく、関与の中で立ち上がる。沈黙も撤退も、やはり選択である」


・簡単ポイント

決定論を退け、

状況への「態度」を人生の核に据える。

逃げないことが前提になっている。



ショーペンハウエル「態度を選んでいると思うこと自体が、意志の働きだ。あなたは苦を引き受ける勇気を称揚するが、苦は構造的に避けられない。人生に意味を要求するほど、人は疲弊する。賢明なのは、期待を下げ、意志の騒音を弱めることだ。救済は行為ではなく、諦観に近い」


・簡単ポイント

行為を肯定せず、

期待の減衰を重視する立場。

人生を「管理すべき負荷」として見る。



サルトル「諦観は、世界に対する一つの態度ではある。だがそれを普遍化すれば、他者との関係が失われる。人生は常に他者の視線の中で展開される。沈黙することも、関与することも、世界に痕跡を残す。人生とは、孤独な選択であると同時に、他者に晒された行為だ」


・簡単ポイント

人生を個人の内面に閉じず、

他者と公共の次元へ広げている。

孤独と関係性を同時に抱える。



ショーペンハウエル「他者の視線こそが、意志を刺激し続ける。承認、評価、比較は、苦を増幅させる装置だ。人生を他者に開くほど、静けさは失われる。完全な解決はない。あるのは、苦の総量を減らす工夫だけだ。人生とは、最適化の問題である」


・簡単ポイント

他者性を負担として捉え、

人生を「消耗の調整」と見る。

目標は充実ではなく、摩耗の最小化。



・まとめ


サルトルは、

人生を「選び続ける場」として見ている。


ショーペンハウエルは、

人生を「鎮めるべき運動」として見ている。


一方は前へ向かい、

もう一方は音量を下げる。


人生を語るとき、

自分がどちらの方向を見ているか。


それだけが、少し分かる。

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