知の挑戦状 思想家言論対決
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挑戦状編
仕事とは マルクスvsハンナ・アーレント
テーマ:仕事とは何か
マルクス「仕事とは、人間が自己の力を外部化し、世界に刻み込む行為である。人は自然に働きかけ、その過程で自らを確認する。しかしその成果が市場を通じて切り離され、他者の所有物になるとき、仕事は自己実現ではなくなる。賃金という形式は、労働を関係から切断し、時間へと分解する。そこでは人は活動しているにもかかわらず、活動の意味を失う。仕事の問題は、道徳ではなく構造の問題だ」
・簡単ポイント
仕事を「自己表現」として捉えつつ、
その意味が奪われる構造に焦点を当てている。
ここでは、満足感ややりがいよりも、
誰が成果を支配しているかが問題になる。
アーレント「あなたは、仕事という語に過剰な統一性を与えている。生を維持するための労働と、世界を形づくる仕事は本来別の次元に属する。前者は循環し、後者は持続する。区別されないとき、世界は消費され、痕跡を残さない。仕事とは解放の手段ではなく、共通の世界を残す行為だ。そこでは成果よりも持続が問われる」
・簡単ポイント
ここで仕事は、
「自分のため」ではなく「世界のため」の行為になる。
マルクスが見ているのは構造だが、
アーレントは“世界が残るかどうか”を見ている。
マルクス「その区別が成り立つための条件を、あなたは前提として扱いすぎている。持続する仕事も、再生産される労働なしには成立しない。生存の問題を背景に退けた世界は、理念としては美しいが、現実には脆い。物質的条件は、常に先にある。仕事を高次の行為として切り出すほど、その基盤は不可視化される。その不可視化が、社会的分断を固定する」
・簡単ポイント
マルクスは視線を下に戻す。
「その世界は、誰が支えているのか」という問いだ。
仕事を美しく語るほど、
それを可能にしている労働が見えなくなる。
アーレント「あなたは、基盤の優先性を強調するあまり、人が現れる場を縮減している。生存は必要条件だが、それ自体が人間の意味ではない。必要に追われるだけの社会では、公共は成立しない。人が互いに姿を現すのは、必要を超えたところだ。仕事は、単なる生存の延長ではなく、世界を共有可能にする形式である。そこが失われれば、労働は終わりのない反復になる」
・簡単ポイント
アーレントは、
「条件を整えるだけでは足りない」と言っている。
人が人として現れる場がなければ、
労働は生きることと同一化してしまう。
マルクス「だが、誰がその「超えた部分」を引き受けているのかは問われなければならない。距離を取れる主体は、常に他者の労働の上に立っている。仕事が高貴なものとして語られるほど、労働は沈黙させられる。平等な公共は、平等な条件なしには成立しない。構造を問わずに仕事を語れば、現実は理想の影に隠れる。その影が、歴史を動かしてきた」
・簡単ポイント
再び、構造の話に戻る。
「語る自由」を持てる人と、
それを支える側の非対称性。
マルクスは、そのズレを放置しない。
アーレント「不可視化は確かに問題だ。しかし、すべてを条件の問題に還元すれば、公共そのものが消える。人は必要の計算だけでは集まらない。世界とは、誰の所有物でもない空間であり、そこに立つこと自体が意味を持つ。仕事は、その空間を可能にする行為だ。そこに立てなくなったとき、人は労働しか残されない。そして労働だけの社会は、世界を失う」
・簡単ポイント
最後に残るのは、
「世界があるかどうか」という問い。
条件を整えても、
そこに立つ場がなければ意味は生まれない。
・まとめ
二人は、同じ「仕事」という言葉を使っている。
だが、
一方は地面を見ており、
もう一方は地平を見ている。
どちらが正しいか、という話ではない。
自分が普段、
どこを見て仕事を語っているのか。
その位置だけが、
少しはっきりする。
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