悪魔と少年 1

ジットリと、重く冷たい空気がまとわりつく12月の半ばであった。雪が降るには少し気温が高く、氷混じりの雨がボタボタと降っている。

少年は、公園の遊具の中で、真っ赤になった鼻を擦る。同じくらい赤くなった指先を吐息で温め、擦って、コートのポケットに捩じ込んだ。

殴られた頬がズキズキと痛む。口の中が切れているのか、鉄のような味がした。

「クソっ………!」

喋るたびに、切れた口内に歯が当たる。

全てが少年の気力を奪い、立つことすら億劫だった。

少年は一人だった。

つい先程一人になったというのが正しい。

どうしてこんなことになったんだっけ。

少年は、口元にこびりついた血を手の甲で拭い思い返す。

少年は、所謂いじめられっ子だった。一年前にミドルスクールを卒業し、ゴタついた国内から逃げるようにこの街にやってきた。そして、本屋を営む親の手伝いをしながら、暮らしていた。しかし、13歳のコミュニティはとっくに形成され終わっており、閉鎖的なこの島で、少年はどこにも入れてもらえなかった。

別に、それだけなら、構うものか。

少年は、フレームの曲がった眼鏡をポケットに入れた。

治安の悪いこの島の北側には、マフィアの下請けのギャングが多い。それを知っていた少年の親は、もちろん南側に店を構えた。しかし、計算外にギャング達は南側にも勢力を伸ばしていた。場所代に法外な値段を請求され、近隣の住民はそれを憐れみはするが助けることはない。生活は出来なくはないが、ゴロツキが店の前にいるという状況に、客足は遠のいていく。

そして、そのギャングにまだ入れてもらえない、少年と同じ歳くらいの子供は、暴行寸前のいじめを、笑いながらするのであった。

まぁ、これも良いだろう。頭の悪いやつに構う暇なんてないし、かなり痛いだけで、殺されはしない。

問題はその次である。ついにギャングが武力行使に出たのである。理由はわからないし分かりたくもない。もしかしたら、冗談のつもりだったのかもしれない。彼らは、少年を甚振った後「ジョーダンだって。ほら、笑えよ」と下品に大きく口を開けて笑うのが常であったからだ。それの延長とは言え、やっていいことと悪いことがある。

少年の両親が営む本屋で、火事が起きたのだ。

曇天の中、轟々と燃え盛る家の前で、少年は立ち尽くすことしかできなかった。ちょうど昼時だったため、ガスが漏れていたのに気づかずに火をつけたのだろうという人もいる。しかし、少年の母は几帳面な女性だった。

中年の婦人が、慌てたように大人が残っているんだと叫んでいる。どこを見渡しても、少年の父母はいない。

あいつらだ。

あいつらが火をつけたんだ。

証拠はない。けれど、事故ではないなら、可能性がもっとも高いのはそれに思えた。

しばらくして火が消えて、全身に大火傷を負った二人が憲兵の緊急車両に乗せられていくのが見えた。少しだけ見えたが、もう手遅れだろう。どちらが父親で、どちらが母親か、見分けもつかなかったから。

呆然と落ち着ける場所を探していた少年を待っていたギャングの卵も、そう判断した理由の一つだった。

日が暮れるまでこづき回され、笑いながら去っていく彼ら。悲しいはずなのに泣く体力も無く、公園の前を通り過ぎる、兄妹らしき二人組を見て、悔しさに歯噛みした。

自分はこんなに苦しんでるのに、他人はそんなことは知らない。自分に手が及ぶのが嫌で助けようともしない。

次第に曇天は決壊し、ポツリと雨が降ってきた。このままだと風邪を引いてしまうと、重ったるい体に鞭を打ち、少年は遊具の下に移動したのであった。

やっぱり、クソ。

「神様、居るなら、助けてよ……」

少年は、あまりに弱々しい自分の声に、思わず笑みが溢れた。こんな声が届くはずがない。

神は死んだと、ニーチェは言った。

「助けてくれよ。もう悪魔でも何でもいいからさぁ」

掠れた、怒りに満ちた声だった。

あいつらが憎い。助けてくれなかった街の人間も同罪だ。こんな苦しみを知らずに、さっき通って行った兄妹。あれも許してなるものか。

地面を思いっきり殴りつける。その痛みにも、理不尽に腹が立つ。

「クソっ………!!」

「やめなさい。手を痛めるよ」

降ってきた声に少年は勢いよく振り返る。

声の主は、サラリーマン風の男だった。柔らかそうな茶色の髪の毛に、いくつか霙のかけらを乗せ、煮詰めたように深い紫の目を細めてふわりと微笑み、黒いマグボトルを差し出す。

「コーヒーだけど、飲めるかな」

「……ありがと」

ズタズタになった口の中に、熱いコーヒーが沁みる。しかし、身を切り刻むようなこの寒さと比べれば、はるかにマシだ。

じんわりと体の芯から温まっていくような感覚に、少年はほうっと息を吐く。

「親御さんは?」

「……病院」

「頼れる大人は?」

「いたら、こんなところに、いないだろ」

「確かに」

男は、少し笑って少年に手を差し伸べた。

「良かったら、話を聞かせてくれるかな」

少年は、少し迷って、男の手を取った。

男は、手を引いて少年を起こし、ゆっくりと公園の出口に向けて足を進める。

「オニーサン、何?」

「サム。サム・モラレス」

「そうじゃ無くて。なんで俺みたいなの、拾ったの」

「呼ばれたから、かな?」

「呼んでないけど」

「嘘だ。君は僕を呼んだ」

柔らかな口調の、しかしはっきりと言い切るサムに、少年は目を向ける。

近づく街頭の光で、ぼんやりと彼の服がわかった。黒いスーツに、青いネクタイ。それから、赤黒いシミのついた、白いシャツ。

ツン、と、自分のものではない血の匂いがした。

「君、名前は?」

「………ジョシュ」

「ジョシュ、か。うん。よろしくね」

おっとりと目尻を下げたサムに、ジョシュは気温が三度ほど下がったような心地がした。

「まずは、契約の証だ」

彼はそう言って、ジョシュの傷だらけの腕に銀細工の時計を巻いた。レディースだが、彼の少年らしい手には、不思議と似合っている。

その腕時計が、手枷の様にずっしりと重い。

自分が握った手が、悪魔のものだと言うことに、今更ながら気がついたのである。

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