死神の救済

@shiro_oo

ギィ、と耳障りな音が響き、扉が開いた。

音の主である青年は、蝋燭が並び、オルガンの音が厳かに響く中、コツコツと革靴を響かせる。その上から被せるように、鉄パイプを引きずる、ザリザリと耳障りな音を立てていた。

子供たちが、呆気に取られたように何も言わずに青年を見ている。逆光になっているせいで、真っ黒なシルエットが喋っているようにも見えた。

「ハァイミスタァ。良い夜だなァ。スズメがうるさくて敵わねェ。羽を毟ッて食い散らかしてやりたくなるくらい、良い夜だ……」

黒いフードを被った青年は、ボソボソとそう言いながら、立ち並ぶ子供の間を堂々と歩いている。乱れた黒く長い前髪から、青い右目がチラチラと燻る焔のようにのぞいた。左目は包帯で覆われており、言葉を吐く半笑いの口からは、肉食獣のそれと似た、尖った歯がチラチラと白い。

今は夜ではない。日曜の朝である。

教会が運営する孤児院で、礼拝が行われている時間だった。

しかし、青年はフードから覗かせた青い片目をギラギラと輝かせながら、黒い出立でそう言った。

「な、なんなんですか、貴方は!」

シィィィ、と歯の間から音を立て、「静かに。なァ、ミスタァ?」と聞こえるか聞こえないかの狭間で青年は言った。子供をあやすような口調だった。

気圧されるようにして、神父は口を閉じる。

「なァ、ミスタァ。俺が誰だかわかるかァ?」

ふるふると禿頭の神父は口を振る。黒いカソックが、ゆらゆらと揺れた。

大きなため息を一つ。それから、ニィ、と青年は唇の端を吊り上げる。出来の悪い生徒に語りかける教師のような笑みである。もっとも、それも口元だけなのだが。カサついた唇にピシとヒビが入る。

「オレァお前の死神だ。それくらい、見てわかンだろ?」

死神と名乗った青年は、切れた唇から血を滲ませながら、抱擁を乞うように大きく腕を広げた。ハリガネのように細い体躯の中、手のひらが大きいのがよくわかる。

「生憎鎌ァねェが、本物だぜ。主に使わされたンだ。ミスタァ、お前を連れて帰りなさい、ッてな具合に、よォ」

そう言って、無造作に鉄パイプを並行に振り抜いた。

あまりにも自然な動作だった。

神父は、何が起こったかもわからないまま、床に倒れ込んだ。一拍遅れてやってきた激痛に顔を歪め、呼吸を整えようとする。バケモノを見るような目で死神を見上げた時、状況が飲み込めた少女が、手で口を覆い、声にならない声を上げた。

死神は、面倒臭そうにそれを一瞥してため息をつく。

「ガキァいたのか……。悪ィなァ、お嬢ちゃん。目に入る人間ァ、全員お連れしろッてンだァ……」

そこで初めて、大勢の子どもたちに気付いたように頭をガリガリと引っ掻き、愉悦げに口角を釣り上げる。

そしてそのまま、大きな両手で少女の喉を締め上げた。

細いハリガネのようなような身体から想像できないような怪力に、苦悶の表情が上がる。数十秒して、少女の体がくたりと力なく垂れ下がった。

興味なさ気にそれを投げ出し、死神は鉄パイプを神父の鼻先の床に叩きつける。石畳の床と金属がぶつかり合うような、鼓膜の奥が揺れて、耳がおかしくなりそうなほどけたたましい音だった。

思わず恐怖に目を閉じた神父に、トン、トンと床を叩きながら死神は目を合わせるようにしてしゃがみ込む。

「ミスタァ。献金の横領はダメだろ。それは主のものだ。オレァ主の執行人だからよォ、これァ罰なんだ。わかンな?」

言い終わった瞬間、そのままそれを神父の頭に叩きつけた。行動の荒々しさとは真逆に、その口調はどこまでもとろとろとして優しい。まるでミルクスープのように穏やかですらある。

既にこと切れてしまった神父の頭に、再び鉄パイプを振り下ろす。

ぐちゃ、と果物が潰れるような音がして、赤い破片が子どもたちの周りに散った。

ぐるりと首を回して、正気に見える瞳のまま、一番近くにいた少年の頭に鉄パイプをまっすぐ振り抜く。「ゲァ、」と人間とは思えない声を上げて、少年はモノへと変わった。

「キャァッ!!!!!」

子供たちは、喉から甲高い悲鳴を絞り上げ、我先にと扉に駆け寄る。

扉は防犯上大きく重く、子供たちだけでは開けられない。普段は盾に見えるそれが、今は檻のようである。

死神は、一瞬面倒臭そうな顔をして、首から下げた煤けたロザリオに唇を寄せる。

「天国で、幸せにおなり」

ニィ、と唇だけで笑って見せた。

そこからは、吹き荒ぶ虐殺があるだけだった。

訳のわからないまま、少年少女は物言わぬ屍となった。

ある少年は頭の中身がザクロのように飛び散り、ある少女は首がおかしな方向に曲がっていた。赤ん坊と呼んでも差し支えない歳の子供は全て締め殺され、青年とギリギリ呼べる人間は関節を全て外された状態で顔を潰されていた。

ちらりと惨状を一瞥してから、死神は地下へと足を進める。

雇い主の言いつけである「悪事の証拠」を掴むためである。そんな書類があるのは、地下か神父の部屋であろうと当たりをつけたからであった。教会に地下は必要あるのか地図を見せられた時甚だ疑問だったが、捨てられないものを隠すのには丁度いい。

死神は神経質にガリガリと頭皮を引っ掻き、「聞ィとくンだったなァ……」と呟いた。

赤黒くべったりと汚れた得物を一振りして滴る血を落とし、ガラガラと耳障りに引きずりながら地下への階段を降りる。

死神は、裏の「何でも屋」であった。

義賊とも災厄とも呼ばれることがある彼は、どんな罪を犯しても憲兵の手にもかからない。派手に殺して、跡形もなく消える。その実態のなさと凄惨な現場から、「死神」と呼ばれるようになった。

死神の本名は、エドワード・グレイと言う。

ふと、その足が止まる。

彼の耳が、微かな息遣いを捉えたからである。

考え込むように目を閉じて数秒。

ガァン、と鼓膜がどうにかなってしまいそうな音を立てて、鉄パイプで壁を殴りつけた。

細く、小さい悲鳴。裸足で後ずさる音が、ペチ、と哀れに響いた。

「女……ガキかァ?」

「びっくりした……。音で分かるの?」

マッチを擦る音と共に、7フィートほど離れた場所の声がした。ランプにオレンジ色の光が灯り、茶髪の少女が照らし出される。

死神は、鉄パイプをザリザリ引き摺りながら少女に近づく。

「はァい、お嬢。いい月夜だなァ」

「こんにちは」

小さな声で、彼女は答えた。

顔を見ようとしているのだろうか、ランタンを死神の顔に近づけようとつま先で背伸びをしている。彼は腰を曲げ、顔を近づけた。

長い茶髪と新緑色の瞳の、10歳くらいの少女であった。太い眉毛より少し短い前髪を揺らした彼女は無表情。上で死んでいる子供たちと同じデザインだが、薄汚れた黒い制服を着ていた。

「ご挨拶できンのか。偉いなァ。お名前は?」

少女は真っ直ぐ死神の目を見据えて口を開いた。

「マリー。マリー・サンチェス」

今度は、死神がマリーの目を真っ直ぐに見る番だった。どこまでも聖人の名を冠している彼女に、死神は聖母を連想する。

「マリィ、マリィ……マリィ、な」

ガリガリと喉を引っ掻き、首に馴染ませる。マリーはそれを、澄んだ新緑色の瞳で見ていた。死神の青と緑が交わる。青い目線の先で、マリーの首が、幽鬼のように白く浮かんでいた

「なァ、マリィ。礼拝ァどゥした?」

「行かない」

「ア?」

予想外の答えに、彼は彼女をパッと見た。

マリーは、興味なさげに言い捨てた。

「神様なんて居ないんだから、意味ない」

死神は、一瞬鉄パイプを振り抜こうとして、手を止めた。日曜の礼拝にも行かず、我らが父を信じていないこの少女は、言ってしまえば異教徒だ。礼拝に行かない人間を、父が認知するはずもない。どちらかと言うなら、犬猫のようなものだ。動物虐待は趣味ではない。

それならば、と、死神は懐かしさを感じる声を発するマリーの喉を、大きな掌で撫で上げた。

「お嬢、死にたくァねェか?」

「なんで?」

「だよなァ」

いきなり死にたいかと聞いて「はい」と答えるのは、余程追い詰められている者だけだろう。経緯はわからないが、地下に閉じ込められていたとはいえ、マリーの受け答えはしっかりしていた。どうしたものかと死神は顔を大きな手で覆う。

「お兄さん、何しに来たの?」

その思考を止めたのは、マリーのスズランのような声だった。

「あァ?アー……何しに来たンだッたか……」

ボツボツと「オリヴァが」「金の」「証拠が」と思い出した単語を並べると、マリーは合点が言ったようにコクリと一つ頷いて彼に背を向けた。

「神父様の秘密の部屋なら、こっち」

彼女の言葉に甘えることにした死神は、どこを見ればいいか分からず、床を見つめながら歩いた。そこで初めて、彼女が本当に裸足であることに気づいた。たまに見える足の裏は血で赤黒く汚れている。聖母にあやかった名を持つ彼女が、靴も履けない生活を送っていると思うと、無性に苛立ち、殺して正解だったと煙草に火をつけた。

狭い通路に煙の匂いが充満する。

オレンジ色のランプの光が、白く濁った。

「お兄さん。タバコ。や。」

振り返って眉を顰めた少女を無視して、彼は白い煙を吐いた。

「お兄さんッて名前じャねェンでな」

「じゃあ、名前。教えて。」

死神は、煙草に唇を寄せた。体に悪い煙で肺を膨らませ、そして、それと一緒に言葉を吐いた。

「エド」

「エド、煙草。や」

「知るか」

彼女は、唇を少し動かして、前に向き直った。それから少し階段を降り、再び振り返る。

「ここ」

そこに立っていたのは、鉄の扉である。

サビが浮いているが、開閉には問題ない。

煙草の火を扉に擦り付けて消し、吸い殻を適当に放り投げる。

「マリィ、離れてな」

死神は、マリーの頭を雑に乱した。そしてそのまま、重い鉄の扉を開ける。ハリガネのような腕のどこにそんな力があるのか分からないほど、軽々と、音を立てて。

呆気に取られる彼女に、ボサボサの黒髪を揺らしながら振り返る。吊り上がった唇の端から、獣のように白く鋭い歯が覗いた。

「行こォぜ、宝探しだ」

そしてそのまま、返事も聞かず得物をザリザリと引きずってポッカリ開いた空間へと進んでいくのであった。マリーは、慌ててその後を小さな歩幅で追いかけた。

一歩進むごとに、古いアスファルトを踏むペチペチと湿度の高い足音が響く。通路を進んだ先にまたもう一つ扉が厳かなほど静かに佇んでいた。オレンジ色のランプの光が、木製の扉を同じ色に染めている。死神は乱暴にシンプルな取っ手を引いた。蝶番と鍵は銅でできているのか、青緑色に変色している。

ガシャンガッシャ、とけたたましい音が響き、思わずマリーは顔を顰める。

「鍵かァ……そらァそうなンだよなァ……」

彼は心底面倒くさそうにため息をついて、右手に持った鉄パイプでドアを殴りつけた。

ゴン、と鈍い音が広がる。そして、腰に手を当て、大袈裟なほどに下を向いて沈黙した。

マリーは、「この男、狂ったのかな」と内心で思いながら首を傾げた。

コンコン、と確かめるようにドアを叩く死神に、飽きてきたマリーがあくびをしながら、座り込んで自分の髪の毛を三つ編みにしていた、その時だった。

コォン、と音が深く響いた。

ニ、と尖った歯を見せつけるように笑った死神は、ホームランバッターのように大きく腕を振りかぶり、遠心力に任せて両腕を振り抜く。扉がバキャ、と派手な音を立てて割れ、蝶番が高い悲鳴をあげて吹き飛んだ。

「す、ごい」

「ァ?木ァもろいンだよ」

当然のように言い切って、壊れた扉の隙間から室内へと進む。

そこは、広い広い書庫だった。分厚い本が何冊も並んでいる。マリーは一冊だけ机のそばに落ちている落ちている本の、金色の「police blotter No.56」の文字をなぞって首を傾げた。

死神は、無言で煙草に火をつけ、一番奥に置かれた大きな机に歩み寄る。

机は、一番上の引き出しを除いて、全て空だった。ライターの光で透かしても何も見えないほどに分厚い封筒に、ご丁寧に蝋で封をしてある。

死神はそれを脇に挟んで、大きく煙を吸い込んでから、吐息だけで音を立てずに笑った。

持ち主がいなくなった重厚な机に腰掛け、手以外を動かさずに肺を汚す様を見て、マリーは漠然と「無秩序」と言う言葉を頭の中に思い浮かべた。

「中、確認しないの」

「それァ、オレン雇い主ン仕事」

意外なほどに長いまつ毛が吐息で揺れる。小さく煙草を壁に擦り付けて消し、死神は大きく伸びをした。

「エド」

「ア?」

「私の家、壊した」

「ア?アー……」

家、とは、教会のことだろう。

地下にいた理由は知らないが、未だ幼い少女が一人で生きていけるとは思えなかった。誰かが世話をしていた筈である。そう結論づけた彼は、ニィ、と赤い三日月を浮かべた。腰を折り、顔を彼女に近づける。

「俺ァ面倒見てやろゥか」

死神の頭に茶髪に新緑色の目をした妙齢の女性が浮かんでいる。彼女に思いを馳せながら、彼は冗談めかして、マリーの白い首を撫でた。

少し考えて、真っ直ぐに翡翠色の瞳で一つしかない青を見据える。

「うん」

ここで呆気に取られたのが、死神であった。しかし、彼はクツクツと喉を鳴らしてマリーの喉を指でなぞり、煙の匂いがする言葉を吐いた。

「任せろ、聖母マリィ」

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