【1年 4月-10】初対面のノリじゃない

 翌日の月曜の昼休みは、綾菜がイラストの上手な林さんにアポをとってくれて、漫画文芸部の部室でご飯を食べながら漫画制作についてプレゼンをすることになった。


「林 千歌(ちか)です。千の歌と書きます。よろしくお願いします」


 林さんは眼鏡におさげの典型的オタクという印象だ。背は普通で体型も普通。大学デビューで化けそうなタイプかもしれない。


「真城健康です。ヘルスの健康だけど、けを高く発音してね。よろしくお願いします」


 俺が手を出すと、林さんは「あっ」と一瞬声を上げて躊躇したあと俺の手を握った。この反応……。また陰キャゲットだぜ!


「座ろうか。あ、これ、ウエットティッシュ。握手したからってわけじゃなく、食前だからね」


 ウエットティッシュの袋を弁当箱の袋から取り出して、テーブルの真ん中に置く。林さんにウケてはいないようだが、この握手からのウエットティッシュを出すやりとりはもう定番にしておこう。


 林さんが入口から見て右端に座ったので、その向かいに俺、その左に綾菜という順で座った。綾菜が早速ウエットティッシュで手を拭いて、そのウエットティッシュを無言で俺に渡してくる。


「林さんも、ゴミちょうだい」


「あ、どうも」


 そうして3枚集まったくしゃくしゃのウエットティッシュをまとめて弁当箱の袋に放り入れた。


「ふたりは付き合ってるんですか?」

 と、弁当箱の蓋を開けながら、林さんがいきなりぶっ込んできた。


「いや、付き合ってないよ。おさななじ——」


「コンヤクシャだよ」

 綾菜がおどける。


「おい、嘘を言うな。初対面なのに印象が悪くなる」


「でも、あたしと結婚してもいいって言ってたよね」

 綾菜がニヤニヤしている。


「それは言ったけど——」


「当てましょうか?」


 林さんの眼鏡がキラリと光る。


「幼稚園時代の話でしょう? 幼馴染あるあるってやつですね?」


「いや、それが——」


 綾菜と目が合う。


「「昨日」」


「はあああああああ?」


 林さんがブチギレた。


「イチャイチャするなら帰りますよ、こっちは真剣そうな話だから来たんですよ」

 

「いや、すみません、真剣です、真剣です。昨日の会話が特殊だっただけで、ただの幼馴染なんですよ。資料も作ってあるから。どうぞ」


 クリアファイルからA4の紙を取り出して、林さんに渡す。綾菜にも1枚渡し、俺の分も取り出した。


「『目指せ、高2で厨二!』……ですか」


「要するに、高校2年の1年間、俺が原作の漫画をガチで描きませんか、ってことなんだけど。原稿料は出すし、プロ用のデジタルの機材も揃えるから、環境としては悪くないと思う。——あ、食べながらでいいので」


「提案は魅力的だと思います。私はシナリオを作るのは苦手で、イラスト専門なのもそのせいですから」


「林さんは、将来的にはそういうイラスト方面の仕事につきたいの?」


「できればそうしたいですが、AIの発展速度が著しいので、食べていけるか不安です」


「だったら、漫画家という選択肢はアリだと俺は思うよ。漫画って作者の個性を楽しむ要素が大きいと俺は思う。『この作者の新作出たんだ、読もう』とかさ」


「AIには出せない不安定な絵だからこそ味があって面白いって作者もいるね」

 と、既に弁当を食べ始めている綾菜が言う。


「そう。あと、漫画の場合はストーリーが面白いかどうかが一番重要で、作画は受け入れられる幅が広い」


「そのストーリーが林さんとしては一番不安じゃない? 面白くない話を描くのはストレスでしかないよ」

 林さんが言いにくそうなところを、綾菜がフォローしてくれている。


「それはこれから2年に上がるまでに2人と相談しながら練るよ。それでも俺の出した案がどうしても面白そうじゃなければ、林さんは降りてくれて構わない」


「そうですか……。漫画のジャンルについては、私の意向に合わせると資料に書いてありますね」


「うん。ただ、バズりやすさ、作りやすさ、読者層を考えると、できれば異世界ものにしたい。設定に制限がないのはいろいろ都合がいいから」


「例えばスポーツものだと作画にも資料が必要ですしね。異世界ものでいいと思います。もちろんやるかはプロット次第ですが」

 

「明日、考えているあらすじを書いて持って来るよ。本格始動までまだ期間はあるし、それは全部ボツでもいいから」


「わかりました」


「あと、もしこのプロジェクトの漫画が売れなくても、林さんの方は作画のキャリアとして利用しやすいと思う。作画できる人は需要あるはずだし、次は全部自分で描いてもいいし」


「うーん……キャリアになって、原稿料も出るので、私のデメリットが少ないのはわかります。資料に目を通したいので、しばらく時間をいただけますか」


「あ、ごめん、俺も食べるね。いただきます」


 俺が弁当の蓋を開けると、綾菜が興味深そうに中を覗いてくる。


「ほうれん草を茹でて、豚の生姜焼きを作っただけだよ。あとは冷凍。あ、生姜焼き味見してみてよ。味の濃さはどうかな」


「りょーかい」


 綾菜が俺の弁当箱から豚肉を取って食べる。


「まあまあかな」


「……またイチャイチャですか?」

 林さんがこっちを見て睨む。


「弁当をちゃんと作れるくらいには料理上手になりたいから、綾菜にチェックしてもらってるだけだよ。ははは」


「白駒さんはアシスタント予定と聞いていますが……」


 林さんが首を傾げて長嘆息する。


「色恋沙汰でプロジェクトが途中で頓挫するなんてことは嫌ですよ」


「アシスタントは、最悪、プロとか漫画家志望の人を雇うから大丈夫」


「それもお金かかりますよね。どこからお金が出るんですか?」


「資料の資金の項目にも書いてあるけど、親を説得したから、大学進学用の資金を突っ込む。SNSでバズって投資資金を回収できれば理想だけど、そうじゃなくてもキャリアにはなるから問題ないと考えてる」


「凄いですね……。そういうところが厨二と言えば厨二ですけど……」


 林さんはご飯をもぐもぐと食べながら資料を読んで考えている。親を説得したのは本当で、昨日の夕食で資料をプレゼンして10億円から資金が出ることが決定した。支出したとしても数百万程度なので、リスクとリターンを考えればやらない理由がない。


「でも、もし私がこれに参加するなら、マキくんと白駒さんとは長期的に付き合うことになるので、茶化さずはっきり関係を言ってほしいです」


「「……」」


 俺と綾菜は顔を見合わせて黙った。せっかく昨日いい感じに曖昧にできたのにどうしよう。


「もういいですよ。『答えは沈黙』ってところですか? 白駒さん美人だから、そんなチキンは蛙化で誰か他の男に負けちゃいますよ、マキくん」


「林さん、最高!」


 綾菜が爆笑する。


「ズバッと言ってくれて気持ちいい! コイツの扱いはそんな感じでお願い」


「お手柔らかに頼むよ……」


 確かにチキンとカエルは味が似てるらしいけども。


「ちなみに、あたし、去年は3人に告られてるから。言ってなかったけど」


「はああああ?」


 思わず大声が出てしまった。マジで初耳なんですけど。ぼっちはこういう情報が外野から回ってこないのが辛いな。しかも何かあっても誰にもフォローされないし、相談できる相手もいないし。


 あれ? ぼっちって恋愛戦においては三国志の呂布並みに終わってないか? 孤立して敵に差をつけられて詰んでるパターンじゃん。あ、強キャラで例えたのはぼっちなりの強がりです。


「ごほん、失礼。えー、話が脱線してるよキミたち。まずちゃんと食べよう。林さんは資料を読み終わったら教えてよ」


 俺も弁当を食べるが、味がしない。落ち着け。どっちにしろボールは綾菜にある。そうなるようにあれだけ考えたじゃないか。


 ——だけど、今思えばそれもまたヘタレだったかな。


 でも、俺は呂布じゃないので。個別の武力すらないので。戦略練るしかないんすよ。


「あ、けんこー、お肉のお返しに何か取ってよ。肉じゃがは? お母さんが昨日作った残りだけど」


「じゃあ、じゃがもらう。肉より味がわかりやすいから」


 俺がじゃがいもを取るところを、林さんが眉をひそめて見ている。


「お、だし強めのやつじゃん。好き、これ」


「好き? じゃあ作り方教えてもらってまた今度作るね」


「嬉しい。楽しみにしとく」


 林さん、今小さく「爆ぜろ」って言わなかったか?


「あの……林さん。林さんの描いている絵を見たけど、学年一上手いのは間違いないだろうと俺は思ってる。俺はできれば林さんにプロジェクトに参加してほしいんだ。他の人じゃなく」


「そう言ってもらえるのは嬉しいです。ありがとうございます」


「だから、もし、俺らのこういう感じがどうしても嫌だったら、綾——白駒さんにはプロジェクトから抜けてもらおうと思う。白駒さんには悪いけど」


 横を見ると綾菜が呆然として固まっている。綾菜を傷つけて胸が痛いけど、咄嗟の判断として、こう言うのが正解だと思った。


「白駒さん、ごめんなさい。アシスタントをやるって言ってくれている白駒さんには申し訳ないけど、メインの作画の人が優先だから」

 

 俺は頭を下げた。事前に綾菜が外れる可能性も打ち合わせしてくれば良かった。あとでボコボコにされる覚悟でまた謝罪しよう。


「何やってんだお前ェっ!!」


 林さん、今一瞬麦わら帽子を被っていなかったか。


「こんなに素敵な幼馴染が協力してくれてるのに、抜けてもらうって簡単に言っちゃダメですよ! さっき白駒さんのこと、綾菜って名前で呼んでましたよね。私に合わせて表面上だけ取り繕わないでください」


「……すみません」


「私のせいでふたりの仲が変になるのは嫌ですよ。マキくん、ちゃんと白駒さんの存在のありがたみを理解してください。そんなんじゃ罰(ばち)が当たりますよ。おみくじずっと凶になりますよ」


 それって罰(ばち)になっているんだろうか。

 と言うか、林さん、いやに綾菜の肩を持つな。イチャイチャしてたら普通、どっちの印象も悪くならないか。


「簡単に言ったわけではないよ。プロジェクトでは林さんのことを優先したいってだけで。イチャイチャが見てて嫌って気持ちもわかるしさ」


「……それについては言い過ぎました。話が違って予想以上にイチャイチャ——、ええと、つまり、テンプレ的な幼馴染より仲が良かったので」


 ああ、これ、綾菜から事前に何か相談があった感じがするな。


「でもマキくんには天罰が下れと思うのは変わりません。白駒さんは——」


「林さん、もういい、もういいよ。ありがとう」


 綾菜が遮った。


「こいつがこうなのは昔からだから、慣れてる。やると決めたら妥協しないってだけだから」


 と言いつつ、綾菜は机の下で俺の足を蹴っている。うん、大人しく蹴られよう。


「そういう相手のことがわかってるところはテンプレ幼馴染って感じですね。面倒臭そうだけど、少しだけ羨ましくもあります」


 林さんの強張っていた顔が和らいだ。


 それからは、具体的な条件面について、事務的なすり合わせをして終わった。林さんが漫画文芸部に入っているので、籍だけでも、ということで俺と綾菜も漫画文芸部に入ることになった。明日の昼はプロットの草案を林さんに見せる予定だ。


   ◇ ◇ ◇


 放課後はプロット作り以外の全ての時間を綾菜への謝罪とご機嫌取りに使った。


 綾菜はそれほど怒ってはいないようだったが、不機嫌ではあったので、詫び石ばりにサービスを提供し、一発ギャグをしろと言われて滑ったり、ほっといてと言われたからほっときつつスーパーに栄養ドリンクとケーキを買いに行ったり、練乳を付けた苺を食べたくなったと言われたからまた追加で買いに行ったり、とにかく俺は人権を捨てた。


 こういうことをしているから妹に奴隷って言われるんだよな。でも謝罪の意は言葉だけじゃなく行動で示したいし、加減が難しい。謝罪ってどうやったら終わるの?


 とりあえず、綾菜が練乳苺をひとつ食べさせてくれたから、俺の人権は回復したと思うことにしよう。

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