タングマン
雫tv
第1話タングマン
世界は平和を装うのが上手だった。
ニュースでは協調、会談、合意、未来という言葉が踊り、裏側では常に発射コードが更新され続けている。
人類はいつも「次は撃たない」と言いながら、撃つ準備だけは怠らない。
田中高詩は、その矛盾を幼い頃から理解していた。
彼は天才として生きることを望んだことはない。
ただ、計算してしまうのだ。
人が言葉を発した瞬間、その裏にある意図、恐怖、保身、利得が数値として浮かび上がる。
未来の分岐が、地図のように見える。
だから彼は、人と距離を取るようになった。
近づけば近づくほど、嘘が見える。
善意ですら、自己満足という形で歪んでいることが分かってしまう。
それでも彼は、人類を見限らなかった。
「愚かでも、救う価値はある」
それが彼の、唯一の感情的な信念だった。
甘木企画を立ち上げた理由も同じだ。
兵器を作る会社でありながら、彼の机の上にはいつも“死者数の最小化”という指標が置かれていた。
命を守るために、最も効率の良い破壊を研究する。
その矛盾を、彼は誰よりも自覚していた。
北朝鮮が次期弾道ミサイルの準備を進めていると知った時、彼は即座に結論を出した。
外交では止まらない。
制裁では遅い。
軍事介入は最悪の未来を呼ぶ。
「なら、直接話すしかない」
それは狂気じみた判断だった。
だが、彼の脳内シミュレーションでは、生存確率はゼロではなかった。
平壌の空気は重かった。
視線が常に背中に突き刺さる。
それでも彼は歩いた。
首相との会談室は、驚くほど質素だった。
権力者は、余計な装飾を必要としない。
田中高詩は、感情を切り捨てて話した。
ミサイルを撃てば何が起こるか。
撃たなければ、どう世界が変わるか。
だが、彼は一つだけ誤算していた。
人は、正論を突きつけられた時ほど、激しく反発する。
「貴様は我々を侮辱している」
その言葉が出た瞬間、すべてが決まった。
連行。
拘束。
地下へ。
独房は狭く、無音で、時間の感覚を奪うように作られていた。
だが、田中高詩にとってそれは“作業場”に過ぎなかった。
彼は死刑を告げられても、動揺しなかった。
なぜなら、彼はもう一つの未来を見ていたからだ。
タングステンと鉄。
重く、硬く、扱いづらい素材。
だが、それを“人の延長”として再構成すれば、話は変わる。
彼は自分の研究を信じていた。
自分の知性を信じていた。
そして、自分が怒ると、どれほど冷酷になれるかを理解していた。
死刑執行までの数時間。
それは、人生で最も濃密な時間だった。
工具を組み替え、素材を削り、制御回路を即席で構築する。
一秒たりとも無駄にしない。
迷いが入り込む余地はない。
完成したタンクスーツ、タンクマーク1は、未完成だった。
だが、十分だった。
扉が開いた瞬間、田中高詩は“人間であること”をやめた。
恐怖も、ためらいも、倫理も切り捨てた。
彼はただ、進んだ。
刑務所は、国家の縮図だった。
無数の命令、上下関係、武装。
それらは、論理的に破壊可能だった。
脱獄後、彼は北朝鮮という国家を“対象”として捉え直した。
感情ではなく、構造として。
軍事拠点、通信網、指揮系統。
どれを壊せば、どこが麻痺するか。
彼は正確に理解していた。
そして、改良を始めた。
タンクスーツは進化した。
重さはそのままに、動きは軽く。
装甲は厚く、だが無駄は削る。
マーク2。
マーク3。
彼は眠らなかった。
休まなかった。
止まらなかった。
世界は騒ぎ始めた。
正体不明の存在。
国家の軍事力を無力化する“何か”。
英雄と呼ぶ者もいれば、悪魔と呼ぶ者もいた。
だが、田中高詩は評価に興味がなかった。
「撃たせない。それだけでいい」
最終的に、ミサイルは沈黙した。
国家は表向きの体裁を保ったまま、敗北を受け入れた。
田中高詩は、タンクスーツを脱いだ。
重力が、急に身体に戻ってくる。
「……疲れたな」
それが、彼の正直な感想だった。
彼はどこかへ消えた。
誰も追えなかった。
追う価値すら、判断できなかった。
だが、世界は知っている。
均衡が崩れそうになる時、
論理を無視した暴力が振りかざされる時、
どこかで、タングステンの男が動いているかもしれないということを。
戦争を憎み、
人類を信じ、
国家を敵に回した男。
その名は――
タングマン。
彼は救世主ではない。
だが、終末でもない。
ただ、
世界が一線を越えないための、
最後の理性だった。
――完――
タングマン 雫tv @aWrtyijSe36
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