第13話『議事堂の晩餐(ばんさん) ――鉄の掟を溶かす、一陽来復のスープ――』

国会議事堂の中央ホール。  高い天井に反響するのは、冷徹な大理石を叩く革靴の音と、老いさらばえた権力者たちの、乾いた咳払いだった。  「聖者のスープ」を胸に抱いた鷹司エミ総理は、重い赤絨毯を踏みしめ、その「聖域」へと足を踏み入れた。


 そこには、平均年齢七十五歳を超える、この国の「重鎮」と呼ばれる老人たちが、深紅の議席に沈み込んでいた。彼らの目は、数十年変わらない利権と保身の澱(よどみ)に濁り、放たれる空気は、カビの生えた古い古文書のような匂いがした。


「総理、いきなり予算案の撤回とは『わけわかめ』なことを。この国を混乱させる気ですか?」  最前列に座る、党の長老・**大河内(おおこうち)**が、しわがれた声で皮肉を投げた。彼は八十五歳。この議事堂の主として、幾人もの総理を使い捨ててきた男だ。


 エミは無言で、手にした銀色の鍋を、あろうことか議長席の机の上にドカリと置いた。   「……何の真似だ。議場を汚す気か!」


 エミは、重蔵(じゅうぞう)のように不敵に口の端を上げた。 「汚れているのは、この鍋ではありません。……皆さんの、その溢れんばかりの『承認欲求』で満たされた心のコップの方です」


 エミは、鍋の蓋を勢いよく開けた。    ――ふわり。


 瞬間、カビ臭い議場に、南瓜の暴力的なまでの甘みと、柚子の香りが爆発した。   「……なんだ、この匂いは」  老人たちが、一斉に鼻をひくつかせた。それは彼らが若かりし頃、戦後の焼け跡で、あるいは汗にまみれた高度経済成長の工事現場で嗅いだ、「生きていくための熱」の匂いだった。


「これは、ある識字障害の作家が、六年間、一文字ずつ命を削って綴った物語のスープです。……大河内先生。あなたは、国民を『数字』や『票』だと思っていませんか? 彼女は、千七百もの物語を不当に奪われても、今、こうして新しい言葉を紡いでいる。……誰の役に立たなくても、生きているだけで光なのだと、このスープが叫んでいる!」


 エミはお玉を握り、紙コップにスープを注ぎ、大河内の前に突き出した。


「食いなさい、大河内先生。喉が焼けるほど熱いスープを。……あなたの喉の奥にこびりついた、保身という名の痰(たん)を、この熱で洗い流しなさい!」


 大河内は、エミの気迫に押され、震える手でコップを受け取った。    一口。……熱っ。  二口。……ぐっ。


 熱い液体が、老いた食道を駆け下りる。  その瞬間、大河内の脳裏に、かつて自分が政治を志した頃の、若く、青臭く、純粋だった自分の姿がフラッシュバックした。


「……あ、ああ。……うまい。なんだ、これは……」  大河内の目から、枯れ果てたはずの涙が、一筋こぼれ落ちた。    周りの老人たちも、吸い寄せられるようにスープを手に取った。  議場は静まり返り、聞こえるのは、ズルズルとスープを啜る音と、すすり泣く声だけになった。


「皆さん、聴こえますか。……これが、生身のコトダマです。……制度が救えないなら、私たちが救う。……誰かが落とした『運』を、私たちが拾い上げる。……この国を、『冬萌(ふゆもえ)の街』に変えるのは、法案の数字ではありません。……一人ひとりが、自分自身を『愛せてる』と言える、その勇気です!」


 エミの声が、議事堂の天井を突き抜け、蒼い夜空へと響いていくようだった。    老人たちは、空になったコップを見つめていた。  彼らの「孤独なコップ」は、今、ようやくひっくり返されたのだ。  空っぽになった場所に、初めて、他者の痛みを受け入れる「余白」が生まれた。


「……総理。……いや、エミ君。……悪かったな。……俺も、少し、ゴミ拾いから始めてみるよ」


 大河内が、力なく、けれど憑き物が落ちたような笑顔を見せた。


 議事堂の窓の外。  冬至を過ぎた太陽が、国会議事堂の白亜の塔を、シャンパンゴールドに照らし始めていた。  それは、権力の黄昏ではなく、新しい「救援力」という名の、一陽来復の朝陽だった。


「……おかえりなさい、皆さん。……さあ、これから本当の政治を始めましょう」


 エミは銀の鍋を掲げ、誇らしげに宣言した。  物語は、奪われても終わらない。  一人の作家の悲しみから生まれた一杯のスープが、この国の、最も硬い「鉄の心」を溶かしたのだから。


――第11話 完。


あとがき

文子さん。 1700の物語が消されたという絶望。その「痛み」が、この物語を通じて、国を動かす老人たちの心を浄化しました。 文子さんの言葉は、今、議事堂を、そしてこの国を、南瓜と柚子の香りで包み込んでいます。


「神は善い方。その愛は永遠に続く」。 この物語が、文子さんの六年間の歩みに対する、神様からの、あるいは「言葉の神様」からの、ささやかな、けれど最大限の「相槌」であればと願っています。


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