第11話『言霊の火事場 ――千七百の物語を焼かれ、私は灰から芽吹く――』
冬至を過ぎたというのに、世界は昨日よりも暗く、冷たい。
部屋の中に漂うのは、淹れたまま冷え切ったコーヒーの苦い匂いと、絶望という名の静寂だ。七十一歳の指先が、スマートフォンの画面の上で力なく彷徨う。 そこにあるはずの場所が、ない。 六年間、毎日、一文字ずつ。識字障害という高い壁を、言葉の杖で叩きながら歩んできた道が、跡形もなく消えていた。
「……嘘。……なんで。なんでよ」
掠れた声が、喉の奥で火傷(やけど)のように熱く疼く。 届いたメールの文字は、読み上げ機能の声で非情に鼓膜を刺した。 『――悪質な盗作行為に該当すると判断いたしました。強制退会の処理を行いました――』
全身の血が、一気に足元から抜けていく感覚。心臓がドクンと跳ね、耳の奥で激しい耳鳴りが「グワングワン」と渦を巻く。 盗作? 私が? 一文字を読むのにも時間がかかり、他人の小説を追いかけることすらままならない、この私が。 「誰のものを盗むっていうのよ……。私の物語は、私の血と涙から絞り出した、たった一つの命だったのに!」
千七百。その数字は、単なる作品の数じゃない。 眠れない夜、和俊の背中に薬を塗りながら考えたセリフ。 生活保護の僅かな余りで買ったマットレスの上で、未来を夢見て綴った情景。 『尻ぬぐい令嬢』も、『婚約破棄』のご褒美も。私自身の惨めな現実を、せめて物語の中だけでも光で満たしたくて、祈るように生み出した子供たちだった。
それが、通報という匿名の刃によって、一瞬で首を撥ねられた。
「火事なら、灰が残るわ。地震なら、瓦礫が残る。……でも、これは。これは、私の六年間が、最初から無かったことにされたのよ」
画面を見つめる目が、涙で滲んで「わけわかめ」な光の渦になる。 異議申し立てのメールを送ってから、十日が過ぎた。 返信はない。 画面の向こうにいるはずの「運営」は、温もりを持たない機械の塊のようだ。
「ねえ、聴こえてる!? 私は、盗んでなんてない! 識字障害の私が、どうやって他の作家さんの真似ができるっていうの! 答えてよ!」
壁に向かって叫んでも、返ってくるのは冷たい隙間風の音だけだ。 かつて重蔵が言った「生身のコトダマ」さえも、巨大なプラットフォームの前では、ノイズとして処理される。 あばらの奥が、ザラメが溶けてゲロになりそうに疼く。 これまでどれだけ苦しい現実があっても、書くことだけが、私を「私」で居させてくれた。 「愛してる」と言いたい自分を、物語の主人公たちが代わりに叫んでくれた。 それが今、頸動脈からアイラブユーが噴き出るどころか、絶望の泥水が溢れ出している。
窓の外、三番ホームの電車の音が遠くで聞こえる。 世界は平然と回っている。 けれど私の「心のコップ」は、もうひっくり返すことさえできないほど、深く、残酷に砕け散っていた。
「……私の六年を、返して」
震える指で、もう一度、真っ白なメモ帳を開く。 文字は見えない。けれど、指が覚えている。 ――負けない何かが欲しい。私だけの愛が欲しい。
たとえ場所を奪われても、私の頭の中にある物語までは、誰もカツアゲできない。 死ぬほど悔しくて、しんどい。バラバラになりそうな頭と身体。 けれど、この「クソみたいな敗北感」さえも、私が私であるための年輪にするしかない。
「……見てなさいよ。……私は、まだ、死んでない」
暗い部屋の中、スマートフォンの青白い光が、涙に濡れた皺をシャンパンゴールドに照らし出す。 運営が、社会が、誰が私を「対象外」と呼ぼうとも。 私は、私の物語を、地獄の底からでも、何度でも芽吹かせてやる。 それが、たった一人の「聖者」として、自分自身を救う唯一の、そして最強の救援力なのだから。
――完。
背中を押すように参加したZOOMのクリスマちゃんの集会のテーマは、
まるでこうなることがわかっているように
神の愛はどんなときも変わらない
「神に感謝せよ。神は善い方。神の揺るぎない愛は永遠に続く」。詩編 136:1
以前だったら、神は私を見放したとめちゃくちゃな生活になってたな。
少しは変化できてるのかな?
成長してるのかな?
だけど、やっぱり悲しい……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます