文体研究・漢文と和文の交流
萩津茜
漢文と和文を使い分けた表現に挑戦してみませんか?
私たちは普段、口語文の世界で生きています。言文一致体ですね。言葉で話すのとほとんど同じ文体が紙に記述される。そういう世界に慣れていると、文体にわざわざ気を遣うことなんて滅多にないのではないでしょうか。
私はこの半年、文体の研究、特に漢文体を学んできました。発端は、ある執筆中の思索でした。あれ、この感情は、普段の書き方では柔らかくて全く伝わらないな、と。リズム感に欠けるし、単調にも感じられる。さてどうするか、というところで
文体に気を遣う、とはどういうことでしょうか。文体というのは文章の形式を定めるものです。例えば、手紙でかつて使われていた候文であれば、文末に候、とつけるなど。また、「だ・である」調の常体と、それに対をなす「です・ます」調の敬体といったものもあります。現代でも若干ではありますが、口語と文語における文体的な違いもあります。基本的には、一つの文に一つの文体。違和感なく読み手に情報を伝えるための基本です。ところで、文体という括りに多くの種類があるというのを知っていたでしょうか。普段無意識に常体を用いているとか、そういう人が多いようには感じます。ぜひともここは、文体の選択肢は一つではないということを理解していただき、その場に適当な文体を選択する、ということをしてみてはいかがでしょうか。
漢文体というのは、和文体と対になる文体です。和文体のほうが少々漠然としたもので、まあ日本語的な文体、と捉えてもらえればいいと思います。漢文体は文字通り、漢字を主とした文体であり、現代人にはどうも馴染みにくくはあります。そもそも触れる機会が少ない。そこで漢文体の例を挙げてみましょう。
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他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇、固より、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚記誦せるものが数十ある。これを我が為に伝録して戴きたいのだ。何も、これに仍って一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。
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これは中島敦『山月記』からの引用です。この一節を読むだけで、漢文調がどういうものかわかるでしょう。未だ~ざるに、というのは漢文における再読文字であるし、詩数百篇というように二字・四字でのリズムが形成されている部分があります。そもそもこの作品自体の舞台が古代中国なのです。
漢文体の持つ特徴は次のようなものがあります。古代中国の
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春 眠 不 覚 暁
処 処 聞 啼 鳥
夜 来 風 雨 声
花 落 知 多 少
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これは
漢文体がどういうものかは分かっていただけたでしょうか。ではこれを如何に活用すればいいのか、ということです。極論、漢詩を創れ、といえばそれでいいのですが、また別のアプローチをしましょう。
漢文体はリズム感を生みますし、正確な情報の伝達手段としては適しています。しかし、その性質故に硬い印象を読み手に対して与えてしまう。だからといって和文体では補完しきれない世界がある。これを漢文体がうまい具合で支えるのが理想的な形です。
文体を工夫するというのは、ある文体では描ききれない世界があることを知る、ということです。ぜひとも数ある文体の中でも漢文体に興味をもっていただき、日常で活用されることを願っております。
文体研究・漢文と和文の交流 萩津茜 @h_akane255391
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