『足音のプレリュード』


深夜三時半。ファミレスの自動ドアが開くたび、二人の肩がびくりと跳ねる。


それはもはや条件反射に近かった。


「……ねぇ、さっきから店の前に、黒いセダンが止まってない?」


小説家が震える声で窓の外を指さした。


「見ないで。目を合わせたら終わりだよ、小説家さん。それはきっと、私の担当の『地獄耳の門番』こと、編集の木村さんだ……」


高橋がタブレットを抱え込むようにして縮こまったその時。


「お疲れ様ですー。進捗、どうですか?」


背後から、心臓を直接掴むような「低く、爽やかで、一切の感情がこもっていない声」が響いた。


そこに立っていたのは、眼鏡の奥の目を笑わせていないスーツ姿の男――編集者の木村だった。


「ひっ、……き、木村さん。なんでここが」


「漫画家さんのSNS、鍵垢(かぎあか)じゃないですよね? 『メロンソーダが薄い』ってポストしたら、この界隈で該当する店は三軒に絞られます」


木村は流れるような動作で佐藤の隣に腰を下ろし、伝票を確認した。


「小説家の先生もご一緒でしたか。ちょうどいい。先生のメール、三日前から『未読』のままですよね?」


「あ、いや、あれは……その、寝かせると文章が熟成されるかなって……」


「ワインじゃないんですから。 はい、二人とも。手は止めないで」


「木村さん、無茶言わないでくださいよ」漫画家さんが声を荒らげる。「この戦闘シーン、馬を五十頭描けって、物理的に無理です!」


「そこをなんとか。小説家の先生、馬が五十頭駆け抜ける大迫力の描写、期待してますよ」


「えっ、僕!? ……『大地を揺るがす蹄(ひづめ)の音。土煙の中に消える無数の影』……。ほら、これなら馬を描かなくて済む!」


漫画家の目が輝いた。


「それだ! 土煙で画面を真っ白にすればいいんだ! さすが小説家さん、現場の苦労がわかってる!」


「……先生方。そういう『作画コスト削減の談合』はやめてください」


木村の冷徹なツッコミが入る。しかし、三人の間には奇妙な連帯感が生まれていた。


書き手、描き手、そしてそれを世に出す者。


「……コーヒー、お代わり持ってきますね。あと二時間で、その章、終わらせましょうか」


木村が席を立った瞬間、佐藤と高橋は同時にキーボードとペンを猛烈な勢いで動かし始めた。


夜明け前のファミレス。外は少しずつ白み始めている。


「……ねぇ、漫画家さん。編集者って、何者なんだろうね」


「さあね。でも、一人じゃ絶対にたどり着けない場所まで、無理やり背中を押してくる怪物なのは確かだよ」


二人の原稿が、朝日に照らされて少しずつ形になっていく。

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