第5話 封鎖
『警告。第D区画、完全封鎖。生物反応を検知。排除プロトコルへ移行します』
無機質な自動音声と共に、赤色回転灯が視界を赤く染め上げる。
イグニスは鉄塊のようなブーツを軋ませ、迷路のような研究所の回廊を疾走していた。だが、行く手にある重厚な隔壁が、まるで断頭台の刃のように次々と落下し、道を塞いでいく。
ドォン、ドォン、ドォン……!
背後からも、前方からも、鋼鉄が閉じる絶望的な音が響く。
「チッ、どこもかしこも塞がってやがる……!」
イグニスは舌打ちし、急停止した。
目の前に聳え立つのは、搬出ゲートの巨大な防爆扉だ。厚さ数メートルはある特殊合金の塊。いかにイグニスの怪力と大剣といえど、これを破壊するには時間がかかりすぎる。
振り返れば、通路の奥から金属的な足音が反響して聞こえてきた。追手の魔導兵たちが、確実に包囲網を狭めている音だ。
「くそっ、袋のネズミか……!」
イグニスは奥歯を噛み締め、大剣を構え直した。ここで迎え撃つしかない。だが、この狭い通路でルーナを守りきれるか――。
その時だった。
イグニスの腕の中で、ぐったりとしていたルーナが、ふらりと顔を上げた。
彼女は虚ろな瞳で、何もない壁の一角をじっと見つめ、震える指先を向けた。
「……あそこ」
「あ? 何言ってる、そこはただの壁だぞ」
「違う……。あそこだけ、空間の『編み目』が……綻んでる」
少女の呟きは、熱に浮かされたうわ言のように聞こえた。
だが、ルーナはイグニスの制止も聞かず、蒼白な頬に珠のような汗を浮かべながら、ギュッと瞳を閉じた。
彼女の体から、微弱だが、研ぎ澄まされた刃物のような魂気が立ち上る。
「私が……こじ開ける」
ルーナが何もない空間を「掴む」仕草をした、その瞬間。
ピキィィィン……。
耳鳴りのような高周波音が響き、イグニスは目を見開いた。
壁の手前にある「何もない空」に、ガラスのような亀裂が走ったのだ。
ひび割れは瞬く間に広がり、パリーンという幻聴と共に空間そのものが砕け散った。ぽっかりと空いたその穴の向こう側には、研究所の壁ではなく、錆びついたダストシュートの排気口が露わになっていた。
距離も、物理的な壁も無視して、場所と場所を直接繋げる禁忌の御業。
「……マジかよ。空間を繋げやがったのか」
イグニスは戦慄した。これが帝国が血眼になって求めていた「鍵」の力か。
穴の向こうからは、腐敗臭と冷たい風が吹き込んでくる。
背後の足音はもう、すぐそこまで迫っていた。
迷っている暇はない。
「吐くなよ、お姫様ッ!」
イグニスはルーナを抱き直すと、躊躇なく空間の裂け目へと身を躍らせた。
平衡感覚が狂うような浮遊感と、内臓が裏返るような吐き気。
二人の体は、地下下水道へと続く無限の暗闇の中へと吸い込まれ、滑り落ちていった。
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