魔殺しのイザナ
茜
プロローグ 血まみれのハッピーバースデー
その日は、俺の誕生日だった。
〖ただいま! パパ、ママ!〗
玄関のドアを開けた時、俺は違和感を覚えた。
普段なら聞こえてくるはずの両親の声が聞こえなかった。抱きついてくるはずの妹の姿が無かった。飼っていた犬の足音が響かなかった。
〖どこにいるのー?〗
最初はドッキリだと思った。両親と妹が、俺を驚かせようとしているのだと思った。次に、買い物か何かに出かけているのだと思った。
ただ、靴は玄関にあった。だから、やはりドッキリだと思った。
〖もぉ、ひどいよぉー! ドッキリだなんて。僕はこわいの苦手って、いつもいってるでしょ〗
玄関からリビングに繋がるドアを開けた。その先には、両親が、妹が、犬が、家族が揃っていると、そう思った。いつもと同じ、だけどケーキとプレゼントが添えられていて。いつもより少し幸せな日常が、そこにあると。
俺は思っていた。
〖ただい──ま?〗
赤かった。リビングが、ただ真っ赤に染まっていた。
〖え〗
夢だと思った。噓だと思った。ドッキリだとも思った。ただ、現実は残酷だった。
〖なんだ、まだいたのか〗
金の髪に、リビングを染めている血と同じ、赤い目をした女がいた。
〖これで全員だと思ったのだが。カゾクとは、ニンゲンの数が多いものなのだな〗
女が何かを呟いていたが、俺の耳には入らなかった。
俺はただ、女の足元に散らばっている両親と、妹と、犬だったものを見ていた。
大柄で、いつも溌剌だった父は体を横に、内蔵すらも巻き込んで引き裂かれて死んでいた。町内でも美人で有名だった母は手足をちぎり取られ、痛みに顔を歪ませたまま死んでいた。その愛嬌で皆から愛されていた妹は、骨が浮かび出るほど異様に瘦せ細り死んでいた。物心がついた時から一緒に遊んでいた犬は、頭を潰されて死んでいた。
〖あ、ぁ〗
目の前の状況を処理しきれなかったのだろうか、不思議と涙は出なかった。悲しいとも思わなかった。
ただ、なんで、と。そう思った。
〖あぁ、そういえば〗
女は俺の前に赤い塊を差し出した。形状とかすかに見える血の色、そして[お誕生日おめでとう]と掘られたチョコレートから、それがケーキだと分かった。
〖貴様、今日がタンジョウビだったのであろう。余は知っている。タンジョウビはめでたいものである、と。故に、祝いとして、余が食べてやる。光栄に思え〗
女はそう言いながら、俺に向かって手を伸ばし、俺を抱き上げた。
〖動くな。一瞬で終わらせてやる〗
俺の首筋に、女の牙が突き刺さった。血が噴き出した。走る痛みに、気を失いそうになった。失いたかった。
でも、失えなかった。失うことはできなかった。
〖あ〗
机に立てられている、一枚の家族写真が目に入ったから。犬と遊んでいた俺と父を背景に、母と妹が笑顔を浮かべている、そんな、どんな家庭にでも一枚はあるだろう家族写真が。
〖あ、ぁぁ〗
──生きたいと思った。死にたくないと思った。だから。
〖あぁぁぁぁ!〗
ポケットに入っていた、今日の学校の授業で使ったカッターナイフ。それを、今俺が見えている範囲で、刺し通せば人間を殺せるであろう耳に、思い切り、突き刺した。
〖──ぐっ、あ〗
瞬間、女の緩んだ腕から抜け出し、キッチンへと向かった。
〖あ、った〗
大量の出血により頭はまともに働かず、倒れそうになる体を気力だけで動かし、掴んだのは、鋭く研かれた包丁。几帳面な母が、毎日のように研いでいたことを、俺は知っていた。
〖っち、どこだ!〗
見れば、女は耳を手で押さえつけていた。指の間から見えるカッターナイフの持ち手の長さを見るに、かなり深くまで刺さったようだ。
〖ここ、だよ〗
女に、向き合った。目がかすみ、女の顔を見ることはできなかった。
〖ふっ、ふははははは! 逃げぬか、小僧〗
逃げたかった。今すぐこの場から逃げて、楽になりたかった。
でも、女は、家族を殺したお前だけは──殺す。
〖来い!〗
その言葉と同時に、俺は床を蹴った。
狙ったのは、女の心臓。
〖ふん!〗
女が僕に向かって拳を握り、突き出した。避けることは、しなかった。ここで避ければ、女との距離が離れてしまうから。
〖あ〗
女の拳は、俺の腹を貫いた。女が俺の首筋に嚙みついた時よりも激しい痛みが、俺を襲った。
立ち止まりそうになった。気を失いそうになった。倒れそうになった。
でも、ここで倒れたら、女の心臓に、この包丁は届かない。
〖あぁぁぁ!〗
だから、一歩、踏み出した。
〖なっ!〗
女の左胸に、包丁を突き刺した。心臓を貫けるように、深く。
〖ぐっ〗
力を込めて、より、深く。
〖──は、ぁ〗
その場に倒れた。もはや、立つ力すら残っていなかった。
〖見事だ、小僧〗
女の声が聞こえた。どうやら、殺し損ねてしまったらしい。
〖………〗
視界が暗くなっていく。これが、【死ぬ】ということなのか。
〖人の身でありながら、ここまで余を楽しませるとはな。良かろう、冥土の土産に余の名前を教えてやる。余は──〗
死ぬのは、怖くない。父に、母に、妹に、犬に、家族に会えるのだから。
でも、もし、もし仮に俺が生き返ったら、その時は。
〖余はライラ。吸血鬼、ライラ・ルナムーンである〗
──いつか必ず、お前を殺す。
魔殺しのイザナ 茜 @kamisimotenti
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