Daybreak

言葉(ことは)

第1話 鉛色の空

長い長い夢を見ていたような気がする。よく思い出せない。断片的な場面を何となく覚えているだけだ。一面の炎・・・あちこちから聞こえてくる轟音、怒号、悲鳴・・・。

上も下もない前も後ろもない、無の空間。どこまでも沈んでいくような感覚に近しい。そして間も無くして目を覚ました。その直前、さらに場面が変わったのを思い出した。最後に見たのは・・・黎明の空。


「ーー!」

「・・・オン!」

「レオン!」

目を覚ますと、見慣れた自室の天井を見ていた、とある人物越しに。それは狐の耳に長く伸びた尻尾を生やした少女だった。茶色い大きな瞳でこちらを見下ろしている。なんて説明くさい言い回しをしているが僕はその少女のことを知っている。

「オリヴィア・・・」

「やっと起きた、レオン、いつまで寝てるの?」

彼女の名はオリヴィア。ヴルペスの少女、狐種の獣人だ。現在の僕のビジネスパートナーのような存在であり、しっかりした性格ゆえよく世話を焼いている。

「いやごめん、そんなに寝てしまっていたか」

「早く行かないとまたオスカーにどやされるよ。レオンだけならいいけど私まで一緒に叱られるのは御免だからね!」

「あぁ、すまない・・・」

「どうかしたの?寝ぼけてるみたいだけど」

「いや、なんか夢を見ていたような気がするんだけど、うまく思い出せなくて・・・」

「夢なんてそんなもんじゃない?ほら、さっさといくよ!」

徐に立ち上がりオリヴィアの後を追った。


鉛の空に覆われた街を抜け、この都市一番の高さを誇るセントラルタワーに入り、受付のお姉さんに頭を下げられる。急いでいるため軽く会釈をして小走りでエレベータに乗り上階に上がって行く。エレベーターは一部がガラス張りになっていて、上層階に行くにつれて街を一望できる。この街の空が鉛色なのは僕が生まれるより前のことだと聞いている。元々世界は暗闇に覆われていたわけではなく空も青かったらしい。いや、空というものは本来青かった、という方が正しい。朝になると太陽という星が東の空を照らし、夜になると月という星が太陽の代わりに光り輝いていていたという。更に夜には星という数多の天体があちこちに点在し、それは壮観だったそうだ。今僕たちが見ている空は本来の空ではなく、人工的に作られた仮物らしい。そういう意味ではこの街の空は「空」とは呼べないのだろう。朝と夜という概念も僕には時間的な差でしかなく、その概念を体感したことはない。それらも全て言い伝えられた話でしかなく、今でもこの街に生きている人間の中でその真実を知る者に僕は会ったことがない。本当にそんなものがあるのかどうかも怪しい。ただ、子供の頃から読んでいた書物にはどれも同じようなことが書いてあった。夜明けとともに明るくなり、陽が沈むとともに暗闇が訪れる。その繰り返しなのだと。その中でも僕が特に気に入っているとある冒険者の手記には『日の出と共に現れる黎明の空は、この世で最も美しいものだった』と記されていた。だから僕はいつか、本当の空を、そして黎明の空を見に行くんだと、漠然とそう思っていた。


セントラルワター35階で僕らは降り、真っ直ぐに伸びた廊下を歩く。全面黒く塗られた道中には何もなく突き当たりに一つ部屋があるだけだ。部屋の上部には光沢のある黒い板に金色の文字で「局長室」と書かれてある。僕は部屋の前で軽く深呼吸をする。

「いい?レオン、もし怒られたら正直に言うからね!レオンがよだれ垂らして呑気に寝てましたって」

「盛るな盛るな、分かったって。てかここで言ったら聞かれてるかもしれないだろ」

やれやれ、という表情を浮かべているオリヴィアを尻目にノックをして中に入った。


局長室は非常にシンプルな作りをしている。両側の壁には一面に本棚が埋め込まれてあり、ぎっしりと本が並べられている。奥は全面ガラス張りになっており、都市を一望出来る。窓の近くに大きな執務デスクがあり、その正面に向かい合うようにソファが二つ置いてある。そしてその執務デスクに座っている人物に僕たちは会いにきた。


「おはようございます」

「おはよーっす・・・」

「やあ、レオン、リア。時間通りだね・・・とは言えないかな」

「お、おはようオスカー。そうかな、いつもこの時間じゃないかな?」

オスカーと呼ばれた人物は机につまれた書類とにらめっこをしている。

「そうかい?いつも君たちと話してからしようと思っている仕事にもう着手できてしまっているのはいささか不思議なことだね」

手に持っている書類から視線をあげ、レオンのほうをチラリと見るオスカー。

「あー、今日は調子がいいんじゃないかな、オスカー」

レオンは頭をかきながら下手な芝居を打って出る。

「ほら・・・だから言ったじゃん、オスカーを誤魔化せるわけないでしょ!」

耳元でオリヴィアの小さいが痛い声が聴こえる。

「あー、ごめんって・・・」

片手を前に出し最小限の謝罪の意を伝える。


オスカーは書類を置き、腕を組んでフッと微笑を浮かべた。

「まあいい、前の調査任務からそれほど日も空いていないしな、レオンも疲れているんだろう。少しくらいは多めにみよう」

「さすがオスカー!」

やれやれと言わんばかりのため息をオリヴィアが吐く。

「それで、オスカー、今回の概要を聞いてもいいですか?」

「あぁ」

オリヴィアの質問を境にレオンたちの表情に力が入る。

「ソキィアの話によると、フェニスの南東、アクアとの市境に奴らの拠点を見つけたかもしれない」

「拠点、ですか・・・」

「あぁ、これまで何度か空振りしてきているし、実際にところは分からないが、もしそうだとしたらこれは好機だ。だが今回の拠点侵攻はいつもの任務とは毛色が違うらしい・・・さすがに君たち以外にも何人か出そうと思っているんだが、行けるか?」

「毛色が違う・・・というのは?」

オリヴィアが訊く。

「ソキィアの見立てでは、いつも以上に危険な香りがするらしい。ただ全容はつかめていない。場所は見つけても仲間でじっくり観察できたわけではないだろう。諜報員は君たちのように前線で戦闘するわけにはいかない。ただ彼女はレプス(野うさぎ)の獣人だ。彼女の観察眼や直感を信じようと思う。いけるか?」

「オスカーがそう言うなら、問題ありません」

「僕も大丈夫です」

「そうか。では作戦開始は14時からとする。支給品は防衛局のものを送ってもらうから、道中でもらってくれ」

「了解です」

「他のメンバーも正式に決まったらまた連絡する、すまないがよろしく頼む」

「はい!」


「レオン、リア」

部屋を出て行く前にオスカーに呼び止められる。

「ん、なにオスカー」

「はい」

「ちゃんと、帰ってこいよ」

オスカーの真剣な眼差しは僕らを惹きつける。出発前にはいつもこの顔をする。ここに帰ってこようと、オスカーの思いに最大限応えようと、そう思わせてくれる。

「あぁ、行ってきます」

「はい、必ず」

僕らは局長室を後にした。

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