五庄屋

ニクウマイ

うきはの庄屋会議


「もう限界だ」

栗林 次兵衛(くりばやし じへえ)が、元々大きな目をカッと見開いた。

寺の両脇にある仁王像にそっくりで、黒目がこぼれ落ちんばかりだ。

「また領民が逃げた!」


「そんなのは今に始まったことじゃないだろ」

本松 平右衛門(もとまつ ひらえもん)が空になった杯を、端の欠けた長机に投げやりに置いた。カンッと乾いた音がする。伸びっぱなしにした竹のような長い手足をして、伸びた髪を雑に束ねている。


「うきは中でもわしらのところだけだぜ、こんなに米がとれない村は。去年も酷かったが、今年はもっと酷い。来年はもっとだろう」

山下 助左衛門(やました すけざえもん)が巨体をゴロンと床に転がし、ついでのようにわめいた。

「おい、もう酒はないのか?」

と、屋敷の奥へ向かってがなりたてる。


厨房から、

「もうございませんッ!」

と、助左衛門の奥方の悲鳴のような声が飛んできた。


びくぅっと体を起こし、顔をしかめた助左衛門は、

「チ、しけてやがる」

と、ひとりごちる。

直接奥方に言う勇気は無いのだ。

図体は大きいが、奥方には気の小さい男だ。


山下にだって分かってはいるのだ。酒どころか、食べる米も魚も野菜さえも少ない。

年々生活が辛くなっていくというのに、人間のすることは変わらない。

どれだけ洪水が起きても、年貢がつり上がっても、食べるものを食べないと生きていけないのだ。


重富 平左衛門(しげとみ ひらざえもん)が、限りなく湯に近い茶の入った湯飲みを持ちながら、まあまあととりなす。

「とりあえずはさあ、今のところ僕たちは助かってるじゃないか。こうして米だって魚だってあって」


「ちっぽけな握り飯一つと、ちりめんかしらすか分からんくらいの小魚だがな」

と、本松が茶々を入れる。


奥方には頭のあがらない山下が、厨房の方を気にしながら声を潜めて耳打ちした。

「おい、あまり文句を言うなよ。後で絞られるのは俺なんだぞ」


これまでずっと黙っていた、猪山 作之丞(いのやま さくのじょう)がやにわに立ち上がった。



「決断の時です!」


濃い眉毛がキリッと上を向いている。

小柄な体に闘志が満ちあふれている。



重富がズズズッと茶をすする音が部屋に響いた。

皮肉やで長身の本松が鼻をほじくりながら、ハッと笑った。

「何を決めるっていうんだ? どの順番で餓死するか? 背の順か? だったらお前が最初だな」

「おい、やめろよ」

と、真面目な栗林がとりなす。


のんびり屋の重富が、猪山を見上げた。

「何か考えがあるの、作の丞」


猪山はキラッと目を輝かせた。

小さな犬のような奴で、ぴょんっと飛び上がる。


「筑後川から水を引けば良いのです!」


シィン……。

また部屋に沈黙が満ちる。

本松が鼻くそを飛ばした。


「はい、バカ発見」


「平右衛門ッ」

と、栗林が本松の頭をパシッと平手で叩いた。


「だってそうだろ。バカ過ぎるだろ。筑後川から水をひく? お前、何か? 正気なのか」


お茶を飲みきった重富が、ふんふんと頷いた。

「まあたしかに、僕たちの村ってみんな筑後川に近いもんねえ。作の丞がそう思ったのだって、分からなくもないよ」


転がっていた山下が、やる気なさげにあくびをした。

「そんなことは百年前からみーんな知ってるんだよ。俺らの村はどこにあると思ってんだ。高台。川と川の間の山みてーな場所にあんの。な? 作の丞よ、考えてみろ。水が下から上に登ってくるのか? ん?」


「水に足でも生えてるんですかあ~?」

本松が絶妙に腹の立つ煽りを入れる。

栗林が今度は拳骨を落として制裁した。



「あのな、作の丞だって真剣なんだ。それを笑うことはないだろう?」

栗林は珍しく怒っていた。

「みんな茶化しすぎだ。何だっていいから、こうして集まって会議をしている以上は案を出そう。このままなら、俺たちは滅びるばかりだぞ。会議とは名ばかりで、転がって酒を飲んで、愚痴を言い合っているだけじゃないか」


「僕はお酒、飲めないけどね。あ、お茶もういっぱいもらえる?」

と、永富が空気を読まずに、おかわりをねだった。



筑後川は筑紫次郎と呼ばれている暴れ川だ。

数年に一度氾濫する。

この川の隣の高台が、五人の村なのだ。


何しろ高台にあるものだから、水が無い。

川まで水を汲みに行って、運ぶだけでも重労働だ。


田んぼに水が引けないから、米がとれない。

米がとれないから、飢饉が起きる。

ひとたび飢饉が起きれば村の民は減る。

しかし、藩におさめる年貢の量は変わらない。

しだいに、村民たちは家や田畑を捨てて逃げていくようになった。

もう残っているのは、村のまとめ役の栗林たち五人と、今にも倒れそうな骨と皮ばかりの村人たちだけだ。



「私、本気です!」

と、勢いの衰えない猪山がぴょんぴょん跳ねる。

元気だけはいい奴だ。

どれだけ怒られても、けなされても、しおれることがない。

雑草のような精神性を持つ男だ。


栗山が眉を下げた。

「うーん、でもね、作の丞。本松が言ったようにさ、僕たちのところは高台にあるだろう? 筑後川も巨瀬川もあるけれど、自然の摂理ってやつで、どうしたって下から水は上がってこないじゃないか。残念だけど」


猪山は、目をパチクリさせて聞いていたが、腕をぐんと広げてみせた。


「それでは、高い場所から引っ張ってくればいいのです。筑後川だって上流に行けば、山です。高くなるじゃあないですか」


栗山がいぶかしげに首を傾げる。

「高い場所って……隣村も越して、ずっとずっと西側に行ったら、そりゃ高くなるけどさ……え、作の丞、本気で言ってるの?」


「本気も本気です」


猪山はフンスッと鼻息を荒げた。

立ち上がったまま、ガッツポーズで足をドンッと鳴らす。

「おい、やめろ、床が抜けたらどうする」

山下が心配した。


ここでも水を差したのは、皮肉屋の本松だった。


「はいバカの極み、ここにあらわれり、だ。どんだけ遠いか分かってんのか? 隣山ってレベルじゃないんだぞ。どうやって測量するんだ」


栗山がハッと気付いた顔をして、膝を打った。


「そうだ、寛永9年の加賀藩の資料にあったぞ。前田利常殿の御許にで、板屋という者が測量を担当したと。夜、提灯の明かりを点けるんだ。遠くから高さや低さを見れば、水路の勾配の高さが分かる……!」


「高さが分かる……! じゃねぇよ」

本松があきれた。

「仮に分かったとして、どうすんだ? 誰がやるんだ?」

猪山が手を挙げた。

「私たちでやりましょう!」

「ハァァァ……やりましょうじゃねぇだろ。どんだけ大規模だと思ってるんだ。五人で何とかなる広さじゃねぇっつーの」


山下が頷く。

「隣村どころか、うきは中の村を巻き込むことになるだろうなあ」


本松が追い打ちをかける。

「金はどうするんだ? そんな、どれだけの金がいると思ってんだ? 明日の米でさえいっぱいいっぱいなのに、どこからそんな金が出てくるんだ。現実的に考えろ」



三度目の沈黙が部屋を満たした。

おかわりのお茶を、床にそっと置き、永富がぽつりと言った。


「でもさ、僕たち、このままだったら本当に……みんなで餓死するしかないよ」



今度は本松も何も言わなかった。

大干ばつは、五つの村から村民を多く奪っていった。

ある者は逃げ、逃げられないものは死んでいった。


山下が苦々しげに、大きな体を起こして、あぐらを組み直した。


「これが、わしらの現実ってわけか」


永富が、小さな小魚がのっていた、欠けた皿のふちをぼんやりと眺めた。


「もう一回、日照りが続いたら、本当にここは滅んじゃうんじゃないかな」



沈黙は同意だった。

皆が思っていた。

ここら一帯の村に、もはや未来は無い――。



猪山が叫んだ。


「屋敷を売りましょう!」


山下が哀れっぽく声をあげた。

「やめてくれ、かあちゃんに聞こえたらどうなるか……!」


「私たちは腐っても荘屋です。先祖代々に伝わる骨董品のひとつやふたつ、あるじゃないですか!」


栗山と永富が顔を見合わせた。

「まあ……なくはないけど……」

「あるにはあるけど……」


本松が鼻でせせらわらった。

「あの世にゃ銭は持っていけねえからな。ちび作にしちゃあ、まともなことを言うぜ」


青ざめていた栗山の頬に血色がよみがえった。

「そうだ、持っていたって仕方が無い。私たちは跡取りとはいっても、嫁なんていないし。私たちがみんな餓死するよりは、ここで奮起したほうがいいとご先祖様たちもおっしゃってくれるさ」


永富ものんびりと同意する。

「そうだね~、しがない独身たちには骨董品の茶器なんてあっても仕方が無いよ」


山下が泣いた。

「待て、俺は嫁も子どももいるのだ……! まだ腹の中だが、冬には生まれるんだッ」


「それならなおさら、ここで死ぬわけにはいかないだろう。子が生まれても、今のままでは奥方の食べる米さえ無くなるぞ」

と、栗林が最もなことを言った。


「お前らはうちの嫁の恐ろしさを知らないんだ……! お前らが来ることだってしぶしぶ承諾をもらったんだぞ。ものすごく期限が悪くなった嫁はヒグマよりもこわい」

と、山下が言い終わらないうちに、台所から、シャーシャーと刃物を研ぐ音が聞こえてきた。



「じゃあ、またね」

「うむ。また」

「明日、栗林の家に集まろう」

「さようなら」

「おい、待て、わしを一人にしないでくれ!」


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五庄屋 ニクウマイ @vimi831

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