影の影
アリスが連行され、静まり返った夜の病室。月明かりの中でセレナがぽつりと、でも力強く夢を語る。
「いつか……自分の足で歩いて、お外の世界を見てみたい。……。私、いつかあなたを連れて冒険に出るのが夢なの」
強く抱きしめられたぬいぐるみを通して、俺は力強く首肯する。
(なら、やることは一つだ)
翌日、セレナが馬車に乗り込むアリスに駆け寄る。元の顔がわからないくらいボコボコにされたアリスがいた。両親が止めるのも無視して、セレナは尋ねた。まだ幼いセレナはうやむやにさせたくなかったのだろう。
「アリスさん、どうしてあんなことしたの?」
「あんたの目の色が嫌いだったから」
セレナは紫紺の瞳をしている。けっけっけ、とアリスの影が笑う。
「俺の宿主、まあだ、諦めてないぜ」
言わなきゃいいことを影は言った。
俺の巨大化した影が上から覆いかぶさるように抑えつける。
半分だけバリバリと喰べると絶叫し、「アリス、どうしたの?」とセレナはアリスの変化に気づく。アリスは胸の辺りを掻きむしった。
だらりとアリスの表情が抜け落ちる。
「主!主!どうしたんだよ?」
アリスの影が汗を流しながら、小さくなった身体を震わせる。衛兵に無理矢理立たされて、連行される。
馬車の車輪の音が遠ざかる中、俺の中にドロリとした力が満ちていく。 『アリスの影を一部捕食。スキル【影渡り(シャドウ・ステップ)】を獲得しました。』
遠ざかる馬車を見送りながら、俺は影の中で独りごちる。
(……諦めてない、だったか。上等だ。次は主(あるじ)ごと喰らってやるよ)
セレナは心細そうに自分の足元を見つめる。 俺はそっと、彼女の影を花の形にした。一瞬だったので、少女が目を擦ると普通の影に戻っていた。彼女が冒険に出るその日まで、俺はこの影を、世界で一番安全な場所にしてみせる。
馬車が走り去る街道を見下ろす、小高い丘の木陰。 そこには、ボロを纏った男が一人、不気味に静止して立っていた。
男の足元には、アリスのものよりも遥かに巨大で、無数の「眼」が蠢く悍ましい影が広がっている。
「……ほう。アリスの奴、ただ廃人になったわけではないな。影を『喰われた』か」
男は耳元を這う影の声を聴き、口角を吊り上げた。
「あのガキに憑いているのは、ただの小精霊ではない。…もっと巨大な…面白い、実に面白い『苗床』だ。もう少し育ててから、その影ごと収穫してやろう」
男が背を向けると、その姿は陽炎のように揺らめき、影の中に溶けるように消えていった。
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