再誕の王女—―終焉へ、青い約束が灯る

wakoyu8

第1話 光の花が舞う日

 青い空は、当たり前の色だった。

 なのに――息を吐くたび、喉の奥が切れた。


 ここは静かすぎる。音がない。祈りも、叫びも、もう届かない。

 ただ、光の花が降っている。雪のように、儀式の名残のように。触れれば溶けて、冷たい温度だけが指先に残った。


 約束はふたつ。

 ひとつは口にした。言葉にして、世界の側へ置いた。

 もうひとつは、口にしない。言ってしまえば壊れる気がしたからだ。壊れない形にするには、時間にするしかない。


“今”を渡す。

 役割も、名も、贖罪も置いていける――短い時間を。




 名だけが残る。

 二音。

 いつ、どこで、何が起きるかは曖昧なのに、その二音だけが異様に鮮明で、青の中で刺さっている。


 花弁が肩に落ちた。重さはない。

 それでも胸が痛むのは、失ったからじゃない。――まだ届いていないからだ。


 王城の奥で、鐘が鳴った。

 夜明け前の薄い闇を割る音。眠っていた者たちが息を呑み、起きていた者たちが膝をつく。


 回廊の窓が、いっせいに白んだ。

 風がひと筋、通った。風の加護を持つ家の者だけが、わずかに肩を震わせるような、慎重な風。


 次の瞬間、光の花弁が舞った。

 雪ではない。火花でもない。

 淡い光が、花の形をして降ってくる。床に落ちる前に溶け、空気だけが甘く冷える。


 産室の扉が開いたままになっていた。

 侍女たちが慌ただしく動くのに、誰も扉を閉めない。閉められない。

 祝福が、廊下まで溢れていた。


 そこに、七歳の少年が立っていた。

 夜着の上に外套を羽織っただけ。背はまだ低い。頬もまだ幼い。

 けれど目だけが、幼さを裏切っていた。


 少年は花弁を見上げた。

 見上げたまま、瞬きが遅れる。

 泣きそうな顔をしているのに、泣かない。泣くべきではないと、身体が先に知っている。


(――やっと)


 言葉にはしない。喉が詰まって、音にすると崩れそうだった。

 息を吐く。長すぎる年月を数えるのを、とうにやめたはずなのに――胸の奥が勝手に数えてしまう。


 六百四十年。

 その数字が、骨の内側から浮き上がる。


 産声が上がった。

 小さく、強い声。

 その声だけで、少年の世界の色が変わった。


 花弁がひとひら、少年の指先に落ちる。

 触れた瞬間、冷たいのに温かい。

 祝福だ。確信ではなく、感触として分かる。


 少年はゆっくりと跪いた。

 誰に命じられたわけでもない。祈りの形式でもない。

 ただ、この瞬間だけは――世界より先に、膝を折りたかった。


 迎えるのは赤子ではない。

 そこにいる“魂”だ。


 少年は立ち上がり、表情を整えた。

 廊下にいる侍女たちの視線が集まる。彼はそれを受け流す。

 七歳のまま、七歳ではないやり方で。


 産室の奥から、もう一度だけ声がした。

 小さく、確かな声。


 少年はその音を背に受け、踵を返す。

 走らない。駆け出したい衝動を、身体の内側で折り畳む。

 歓喜は声にしない。声にした瞬間、壊れる気がした。


 ただ、胸の奥に置く。

 光の花が溶けた跡の冷たさを、忘れないために。


 ――今度こそ。


(つづく)

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