大正呪物市松人形-間宮響子-

江渡由太郎

大正呪物市松人形-間宮響子-

 深夜に着信音が鳴り響く。

 そして、その通話はひどく静かな声で始まった。


「……人形が、呼ぶんです」


 霊能力者である間宮響子は、スマホをスピーカーにしたまま目を閉じた。


 通話相手の声の向こうにある“気配”が、すでに異様だったからだ。


「夜になると……女の子の声で。“キヨは、ここにいるよ”って」 


 依頼人は、呪物収集家を名乗った。

 インターネットの闇市場――曰く付きの品を扱う匿名サイトで、一体の大正時代の市松人形を購入したという。


 スマホへ送られた画像を見た瞬間、間宮は確信していた。


 ――これは、集められた呪いではない。

 ――育てられた呪いだ。




 大正十一年。

 千代子は、生まれつき身体が弱く、六畳一間の座敷からほとんど出ることができなかった。


 窓から見えるのは、庭の梅の枝と、季節ごとに変わる空の色だけ。


 両親は、せめて寂しくないようにと、一体の市松人形を娘に与えた。

 白い肌。

 切り揃えられた黒髪。

 穏やかすぎるほど、何も語らない顔。


 千代子は、その人形に名前をつけた。


「キヨ」


 それは、自分の名前とよく似た響きだった。

 キヨは、千代子の友達になり、やがて、姉妹になった。


 千代子は、人形に話しかけ続けた。

 痛みのこと。

 外に出られない悔しさ。

 死が近づいていることを、子供なりに理解している恐怖。

 キヨは、何も言わなかった。

 ただ、聞いていた。



 千代子は、十四歳で亡くなった。

 四十九日。

 その朝、母親は、人形の異変に気づいた。


 ――目が、少し開いている。


 前日は、確かに閉じていた。

 気のせいだと思おうとした。


 だが夜、座敷の奥から、衣擦れの音が聞こえた。


「……お姉ちゃん?」


 その声を聞いたのは、父親だった。

 家族は恐怖し、寺へ相談した。


 住職は、人形を一目見ただけで、顔色を変えた。


「……これは、供養では足りぬ」


 人形は、寺の奥に預けられた。


 だがそれから、寺では奇妙なことが続いた。


 夜ごと、子供の咳払い。

 畳の上を引きずる音。

 そして、誰かが誰かを呼ぶ声。


 やがて、記録は途絶えた。




 時は流れ――令和。

 寺は既に廃寺となっていた。

 

 翌朝、間宮響子は依頼人の自宅へ向かった。

 呪物収集家の部屋で、間宮響子は人形と向き合っていた。


 ガラスケースの中。 だが、閉じ込められている感じがしない。


「……キヨ、ね」 


間宮が名前を口にした瞬間、 部屋の温度が、ほんのわずかに下がった。


 人形の口元が、わずかに緩む。 依頼人が震え声で言った。


「名前を呼ぶと……近づく気がするんです」


 間宮は頷いた。


「この人形は、千代子の“代わり”になったのではない」

 「千代子の続きになった」


 人形は、魂を宿したのではない。

 千代子という存在が、未完のまま折り重なった。 


 間宮は、人形に問いかけた。


「……まだ、千代子でいるの?」


 沈黙。


 だが次の瞬間、間宮の耳元で、はっきりと声がした。


「――ちがう」 


子供の声。


 だが、年齢が定まらない。


「キヨは、キヨ。千代子は、もう――」 


 人形の首が、わずかに傾いた。


「いらない」


 間宮は準備は終え、封印の儀が始まった。

 だが、途中で間宮は気づく。


 ――この呪物は、外へ出たがっていない。

 ――誰かを、中へ入れたがっている。


 人形の視線が、間宮に向く。


「……ねえ」 


 間宮の脳裏に、病室の光景が流れ込む。

 救えなかった子供たち。

 名前を呼び続けられた夜。


「お姉ちゃん」


「ここにいれば、痛くないよ」


 間宮は、一歩、前に出かけ――踏みとどまった。


「……私は、代わりにはならない」


 静かに言う。


「あなたは、ひとりで完成してしまった――だから、もう……誰も要らない」


 間宮は、人形を呼ばない封印を選んだ。


 名前を刻まず、存在を否定せず、ただ――誰からも思い出されない場所へ送る。


 人形の顔が、初めて歪んだ。


「……やだ」 


 その声は、確かに姉を呼ぶ妹の声だった。




 後日。 呪物サイトは閉鎖された。

 人形の行方は、誰も知らない。


 だが、間宮は知っている。

 ――名前を呼ばれなければ、あれは動けない。


 それでも……。 





 夜、ふと古い写真や人形を見たとき。

「キヨ」という名前が、理由もなく浮かんだなら。 

 決して、口にしてはいけない。

 あれは今も、 誰かの“姉妹”になる準備をしている。 呼ばれた瞬間、あなたの居場所は――市松人形の、内側になる。


 ――(完)――


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