彼女は勇者になれません

とっととカナリア本舗

1・落第優等生

「落ち……た?」


 掲示板に張り出された『勇者選定試験結果』の紙。

 周りの誰かが電話越しに『受かった……受かったよ!』と報告する声が、やけに耳に残る。

 私の視線は、私の受験番号があるはずだった場所をひたすらに見つめる。が、そこには一つずれた別の番号が記載されているだけだ。


 そんなはずがない。そんな訳がない。


 何度も、何度も、一から見直す。

 見間違いじゃないか、見逃したんじゃないか、もしかしたら今見ている光景は夢なんじゃないか。


 私は優秀だ。

 誰もが認める才能と、それに胡坐をかかず磨き上げる努力。

 センスをひけらかし、追い抜かれた童話のウサギとは違う。

 周囲のカメに寄り添う表面上の優しさを持ち合わせながら、鈍間な奴らに負ける訳が無いほどの差を常に開き続けてきた。


 だから、だから――


「一ノ瀬さん、番号見つかった?」

「一ノ瀬さんの番号は探す必要ないって。絶対に受かってるんだから」


 だから、合格を手にした友人たちの声、私を知らない彼女らカメの声が、いつも以上に薄っぺらく、煩わしく感じた。


 私は優秀


 ― ― ―


「保護区域への移住申請は完了してるし、あとは問題なさそうだな。一応これが今後のための案内で……一ノ瀬、何か質問はあるか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 私は教師から渡された用紙を笑顔で受け取り、席を立つ。

 勇者試験に落ちたその先、別の進路への準備を私は進めなければいけなくなってしまった。

 今いる学び舎や下宿先は、あくまで勇者という職業を目指す者のみが存在を許される場所だ。

 私はここに残るための理由を失い、勇者として人々を守るはずだった人生は、守られる一般人としての人生へと変わってしまった。


 部屋を去る直前、入り込んだ窓の奥の光景に目を奪われてしまう。

 蝉が声を上げ続ける夏の校庭では、次への切符を勝ち取った同級生が訓練に励んでいた。

 そこにあるはずだった私の姿を想像し、奥歯を静かにぐっと噛みしめる。

 きっと彼らは、これから私の体験できない多くの勇者としての経験を積んでいくのだろう。

 人々から感謝され、その功績を認められる輝かしい人生。殉職ですら、人々にとっては美談となる。

 私はもう、そちら側に立てはしない。


「その……なんだ。お前は俺が教員を務めてきた中で、一番優秀だ。勇者にはなれないかもしれないが、そこで人生が終わるわけじゃないんだからな」


 じっと外の光景を見つめる私を気の毒に思ったのか、教師は必死に言葉を紡いでいる。


 うるさいな、黙ってよ。そんなこと、最初から分かってる。

 見る目の無い馬鹿共に落とされて、人生を棒に振っていい迷惑だ。


「大丈夫ですよ、先生。ありがとうございます」


 ぐっと言葉を飲み込み、笑顔で優等生としての言葉を交わす。教師はその言葉に満足したかのような笑顔を浮かべた。

 その表情、慰めの言葉。何も教師としては間違っていない。

 試験に落ちた日、同級生たちも同じ様に正しいだけの言葉を私に投げかけた。

 だけど、全てが『他を思いやれる自分自身』に酔いしれているようにしか見えなかった。


 ――私がここで演じていた優等生も変わらないか。


 教室の扉を閉め、昇降口へと歩みを進める。

 廊下に貼られたお知らせや、何でもない壁のちょっとした傷やら汚れ。

 思い出で熱い感情でもこみ上げてくるかと思ったが、足はスタスタと前へ何事もなく進んでいってしまう。


 下駄箱からローファーを取り出し、中履きは手に持ったまま外に出ようとしたところで、後ろからドタバタと慌ただしく走ってくる音がした。


「い、一ノ瀬さん!」


 名前を呼ばれ振り返ると、少し息を切らした同級生――藤宮静香がそこにいた。

 よほど急いできたのか額には汗が滲み、普段ならふわふわとした可愛らしい銀髪が今は少しだけ崩れ、肌に張り付いている。

 彼女との接点は……正直そこまで無かったと思う。

 藤宮さんは他の同級生とワイワイするような明るいタイプではなく、あまり関わるタイミングが無かったのだ。


 少なくとも友達と定義するほど近くは無く、名前を思い出すのですら少しだけ時間がかかってしまった。

 だからこそ、呼び止められた理由に思い当たる節がない。


「えーっと……どうしたの藤宮さん?」

「あの……保護区域に移住するって聞いたから、今じゃなきゃ挨拶できずに終わっちゃうかなって。その……あっちでも、頑張ってください」

「あ、うん。ありがとう」


 別に仲良くも無かったのにわざわざ言う事か……?

 そんな感想が先に浮かんでしまい、少し淡白な返答で終わってしまった。


 藤宮さんは何かを言おうとまごまごしており、何かフォローしてあげるべきなのだが……正直めんどくさい。さっさと切り上げよう。


「じゃあ、私行くね。わざわざありがと」

「あ、えっと、その……一ノ瀬さんなら、絶対に保護区域でもすごい人になれると思うから。頑張って!」

「……っ」


 普段のおどおどした藤宮さんからは聞いたことが無いほど、大きな声で送られた激励。

 嫌味なんかじゃない、彼女は本心でそう思い口にしているのだ。

 別に仲良くなくても、私にだってそれぐらいは分かってる。


 けど、あの教師と同じだ。

 それは勝ち取った側だから言える言葉に過ぎない。


 すっかり勇者気分なんだね。上から語って、気持ちよくなるの辞めてくれる?


 ぐっと拳を握りしめ、また言葉を飲み込む。ダメだ、自我を出すな。

 私の本心は他人から快く受け入れてもらえるようなものじゃない。立つ鳥跡を濁さずというわけじゃないけど、ここで優等生として勇者を目指していた私自身を汚したくない。


「うん、ありがとう。藤宮さんもこれから頑張ってね」

「あ、ありがとうございます。私、ずっと一ノ瀬さんに憧れてたんです。何度も演習では助けられましたし、人を惹きつける魅力もあって――」


 あぁ、もううるさいな。黙ってよ。あなたなんかに何がわかるの。


 何度もダメだと言い聞かせる。脳内で反響しているその言葉の意味が、だんだんとぼんやりしていくほどに。


「――ってところも本当に尊敬してて、私も勇者候補として一ノ瀬さんに追いつきたいって思ったから頑張れたし――」


 止めて。もうそれ以上喋らないで。


「――だから、一ノ瀬さんなら勇者じゃなくても絶対に」


 ……なんで我慢してるんだっけ。

 その緩みの一瞬で、理性はブチっと音を立てながら切れてしまった。


「……いい加減にしてよ」

「……え?」

「うるさいんだよ、全員。あんたも、担任も、他の奴らも……

 高い位置から人を見下すような事ばっか言って、保護区域でもやら、勇者じゃなくてもやら……私には……私には勇者になる事が全てだった! 

 あんたみたいなたまたま運が味方してくれただけの才能の無い凡人には分からないほど、私はあの試験に人生を賭けてきたんだ!」


 どす黒い感情は弁が壊れた水道のように、止まることを忘れたまま吹き出し続ける。

 声を荒げ、相手を睨みつけながら、ただただ感情任せに言葉で目の前の人間を殴る。そんな八つ当たりでしかない行動に、自分でも嫌気がさす。


 一言発するたびに、築き上げたはずの優等生の仮面がぼろぼろと顔から剥がれ落ちていく。もう、この仮面は被れそうにない。


 正直、私がこの時何を言ってしまったのかは正確には覚えていない。唯一、私の発した刺々しい声音が、やけにうるさいだけの蝉の音とよく似ていたことだけは覚えている。

 そして、ようやく熱しきった脳みそが冷えたころ――


「ごっ……ごめ……ごめんなさいっ……」


 泣きながら謝罪を続ける藤宮さんは、そのままその場を走り去ってしまった。

 赤く腫れた目に、ぐずぐずの泣き顔の後ろ姿を見ながら、ただただ立ち尽くす私。

 荒んだ心は徐々に落ち着きを取り戻すが、どうすればいいのか分からなくなってしまった。

 もう、今の私は優等生の仮面は被っていない。何を、どう演じればいいのかすら判断できない。

 ――帰ろう。

 私は、もうそれしか考えることが出来なかった。

 追いかけることもせず、謝罪もしない。なんて酷い人間だと自分でも思う。これは少なくとも、正しい選択ではない。


 でも、もう全部――


「どうでもいいや」

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